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どうせ2日で終わる日記【28日目】

「『最近寒いですね』という当たり障りのない文言」という文言があるが、そもそも最近寒いですねから会話が繋がることが無いのでこれが会話を切り出す常套句として鎮座しているのが気に食わない。常套句なのかもしれないが悪手じゃなかろうか?
などと思う今日この頃。
昨日の更新が遅かったので今日はちゃんと早め早めにやっておく。大事。

夢ってなんですか

自己啓発本のタイトルみたいな話から始まってしまったが、残念ながら内容も自己啓発本みたいな内容だ。自己啓発本らしく恐らく大半の人が思っているであろうことを明文化した、それだけの話だと思う。

今日たまたま受験生の頃お世話になった人に頼まれ、高校一二年生の進路相談に乗ってあげることになった。
別にその進路相談自体は何の問題もなく終了したのだが、その後その人と話した内容が少し印象深かったので、書ける範囲で書きたい。

それは、高校生の将来の夢や目標が無い、ということだ。

単純に言えば、別に行きたい大学もなく、なりたい職業もなく、ただ地元の大学に適当に進学すればいいかなぁと漠然と考えている人が多い、らしい。

僕は目標が無いことが悪いとは思わない。
それでも今が楽しく生活できていればそれでいい、そういう考えでも良いと思う。
もっと漫然に、別に今が良いというわけじゃないけど日々なあなあとすごしている、でも別に良いと思う。本人が良いと思っているかは知らないが。

ただ、それでもやはり人生での選択において、良い方を選ぶというのは良い選択だと思う。
別に小泉構文とかそういうのではなく、単純に良い環境を選んだ方が良い、という話だ。

今回は大学の話だから大学に限ったことを言うと、もし選べるのならば知名度や偏差値のある大学を選んだ方が良いし、もっと言うなら自分の生きたい大学があるなら絶対にそれを選んだ方が良い。と僕は思う。

最近学歴フィルターというのが話題になったが、実際社会にはそういうのが存在するし、僕はそれの有用性は認めている。
良い大学出ても使えない奴はいる、みたいな言説を唱える人が一定数いるが、別にそれはどこの大学も一緒で、偏差値の低い大学で使えない奴もいる。企業側としては全ての人から等しく希望を取って宝石を探したいところだが、それでは如何せん量が多すぎて調べるだけでも莫大なコストと時間がかかる、ということで既に大学受験で得られる忍耐力や継続力、計算力、読解力、目標に向かって何かを達成する経験と実力、そういった比較的基本的なスキルを身に付けている人の中からさらに良いものを選ぼう、というのが学歴フィルターで、僕はコスパが良いやり方ではあると思うのでこれが意味が無いとかそういったことは無いと考えている。

少し道を逸れてしまったが、ともかく別にレベルの高い大学に行きたい訳でも行きたい大学がある訳でもなく、ただ周りが受けているから、親や先生に言われたからと大学に行く道を選ぶ人が多いらしい。
上述のように別に僕はこれを悪いことだとは思っていない。

思っていないが、後悔する可能性を大きくはらんでいるとは思っている。

というのも、どうも話を聞くと、そもそも「大学とは何ぞや」とか「大学ってよくわからないけどまあ皆行ってるし行くか」程度の認識しかない人が結構いるらしい。そんなまさか、と思ったのだがどうも高校生に話を聞いているとそんな人が多いようだった。
僕はこの認識のまま大学生になると、後悔する可能性が高いのではないかと思うのだ。
大学生になって、”子供”から”半社会人”となってから経験する4年間で過ごす世界は高校生までの世界とは全く違う世界だ。そしてその後経験する社会においても同様に。

社会にはやはり学歴フィルターというものが存在し、仕事の選択肢はどうしても高学歴の方が多い。周りの環境にしても、大学の学習環境(人含め)は良い大学の方が整っている傾向にあるし、勿論社会からの目も違う。
そして何より、大学で高校の規則などから解放されて自由な生活を送り、いろんな人との交流の中で新しい世界を体験することで、突然降って湧いたように自分のやりたいことが出てくる人が割といる。
そもそも大学とは何か、すら知らない彼らにとってそれらを知るのは恐らく大学に入ってからになる。
そして、それが上手くかみ合わないと、「あの時もっとちゃんと大学受験に向き合っていれば……」という後悔を生み出すことになる。
上手くかみ合えば別にそのまま行きたい道を進めばいいが、今の社会では選んだ大学による選択肢の幅はあまりにも違いすぎるのだ。

勉強がそもそもできる人は高校生の時点で目標が無くとも周りの勧めるがまま上位校を選択し進学するため、こうした悩みを持つことは少ないかもしれない。
しかし一方で、別段勉強が得意な訳でも無く、かといってやりたいことも無い人の場合は、こうしたもうどうしようもない後悔を生み出すことになる。

「大学なんだからやり直せる」というのはよく聞く文言だが、僕は違うと思う。
やり直せない。
18歳で初めて行く大学と、22歳で再受験して行く大学は大きく違う。
同じ体験でも、そこで得られる自分の感情はきっと大きく違うし、18歳から22歳の気付いてから再受験するまでの間の苦痛はきっとずっと覚えたまま過ごすことになってしまう。

一応念を押して言っておくが、僕は良い大学に行かなきゃダメだ、と言っている訳でもいわゆる学歴厨という訳でもない。行きたい大学があるならそこに行けばいいし、就きたい仕事があるならそこに就けばいい。
実際僕も大学は偏差値では決めてない。単純にその大学で学びたいこと、経験したいことがあったから今の大学を選んだのだ。

ただ、その目標も無い人が漫然と今の自分に見合う大学を適当に見繕って4年間を過ごす、というのはもしかしたら後悔を生むかもしれない。
正直な所、そこにいて自分が楽しいかどうかの九分九厘は人間関係で決まると言っても過言ではないので、大学生活やその後の社会生活が楽しいかどうかはこの話には関係が無い。
ただ、大学に入って初めてなりたいもの、やりたいことができた時に、選択肢の幅の狭さであきらめざるを得ない、という状況になることを避けるためだけに、何も無いなら良い大学へ行った方が良い、という話だ。

多分、先生たちが良い大学へ行きなさい、というのはこういう理由がある。
しかし、それをあえて口にすることは無い。
もしかしたら言っているかもしれない。けど、大抵それを言ったところで高校生の勉強のモチベーションをあげることは出来ない。それが出来るなら多分最初から勉強している。

僕も先ほどの進路相談でそんな話をした。
しかし、どうもその高校生はあまりピンと来ていないように鈍い反応をした。まあ正直そういうものだと思うし、僕も高校生の頃そんなこと言われても「はぁそうですか(まあ僕は大丈夫だろ)」程度にしか考えなかっただろう。

どうすれば生徒の成績が上がるようになるか。
学習塾で少しバイトをしていた経験から言うと、やはり生徒のモチベーションですべてが決まる気がした。
どんだけ丁寧に教えても聞いてくれなきゃ意味が無いし、覚えてくれなきゃ意味が無い。ちゃんと自分で問題を解いてくれなきゃ意味が無いし、そもそも勉強の時間を作ってくれなきゃ意味が無い。
結局のところ、予備校の講師にしても学校の先生にしても、してあげられることには限界があり、最終的には本人がどうするかで決まってしまう。
「受験は個人戦」というのはあまりにも使い古された文言だが、これの真意をちゃんと受け取っている高校生はどれくらいいるのだろうか。僕は受け取っていなk(ry

まあうだうだ言ったが結局のところこれを解決する方法は無い。
シュタゲを見て物理に目覚めました!とかならまだ簡単な方だが、別に全人類シュタゲを見ている訳じゃないし見たい訳じゃないので難しい。ちなみに僕はそれだ。
そういう意味では、高学歴YouTuberが増えたのは良い兆しなんじゃないだろうか?○○に憧れて同じ大学に来ました!とかめちゃくちゃ青春じゃないか???

ともかく、そういう後悔を抱える人が一人でも少なくなればいいなぁ、などと話を聞きながら思いましたとさ。


なんだか当たり障りのない話をしていたらかなり長くなってしまったので今日はここまで。

それでは

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