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今年の振り返りと来年の目標

あっという間にすぎた2020年。
たしか、つい先日「今年はオリンピックイヤーだ!」と年が開けたはずなのに、その日からは予想できない形で年末を迎えてしまった。

私自身、去年から力をいれてきた規模の大きい企画が無くなったり、出展しようと決めていたイベントが開催できなかったり。
振り返ってみると、去年「2020年はこうしたい!」と思い描いていた事はほとんどできず、なんとか今の自分を保つ事で精一杯な一年だったと思う。

とはいえ、充実していなかったかと聞かれればそうでもない。
むしろ2019年よりも「自分らしい活動ができた」と思える一年だった。
その要に、この「note」というプラットフォームが一役かってくれたので、今年のまとめはnoteに書かせてもらおうと思う。

今年初めの挑戦

今年の3月。
年度末までの怒涛の締め切りが終わり、コロナの影響もあってしばらく仕事が落ち着いた。
落ち着いた、といえば聞こえはいいが、実質仕事のない期間が2ヶ月くらい続いた。

当時コロナがこんなに長引くとは思っていなかった私は、仕事が減った事自体はあまり問題視していなかった。
それより時間ができたことで、人生で何度目かの「エッセイ漫画しか描けない様じゃダメなんじゃないか」モードに突入していた。

エッセイ漫画、すなわちノンフィクション。
それに対して創作漫画、いわゆるフィクション。

この二つは、漫画を描かない人にとっては同じ様なものかもしれない。
しかし前者しか描いたことがない私に言わせてみれば、この二つは似ている様で全く違う。
脳の使う場所が違う、とすら思う。

なぜ私が定期的に「エッセイ漫画しか書けない様じゃ(以下略)」モードになってしまうかというと、簡単に言うと表現力に幅を持ちたいからだ。
イラストレーターと名乗ってはいるものの、自分で言うのもなんだが絵のクオリティは誇れたものではない。
その上エッセイしか描けない、漫画しか描けない、こんな状態で長く生きられるほどこの業界は優しくない。

私がエッセイ漫画を描く時、頭の中で整理する時間は割と要するが、一度「描こう」と思えば特に悩む事なく完走している。
テーマによっては異なるが、少なくとも「何を描けばいいのか、どう始めればいいのかわからない」という混乱状態にはならなかった。
自分の描きたい事、いつも感じていることを描く。ただそれだけだった。

なのに、こと創作漫画ともなると頭が真っ白になってしまう。
そしてこの3月もそのモードは発動。

今回はいつもより時間がたっぷりあったので割と真面目に創作漫画と向き合うことができ、気の知れた編集さんの協力もあり、打ち合わせしてもらいながらプロットを積み上げてきた。
どういう話が「ウケる」のか。どういう話が「売れる」のか。敏腕な編集さんから教えてもらった事は山ほどあった。
私の知らない、創作漫画の世界……。
アドバイスを元になんとかラフを描きあげて、編集さんを介して版元の会議にあげてもらった。

大事なのは「描きたい気持ち」

しかし、その熱は一瞬で消えてしまった。
それはなぜか。
5月になって私は「描きたいこと」を見つけたからだ。

描きたいこと。それはnoteにも載せた「保護猫ちゃんを家に迎えるまでの話」。
今年の5月に引き取った保護猫のしらすとの出会いを通じて、保護猫活動の大切さや実態を知って欲しかったから。
私はやっとラフ提出できた創作漫画をそっちのけで、またエッセイ漫画に没頭してしまった。

エッセイ漫画は事実に基づくものしか描けない。
突然異次元に転生もしないし、登校中にぶつかった少女が転校生として自分のクラスにやってくることもない。
どう描けば「ウケる」とか「売れる」とか、そう言う計算はできない。
その分、自分の「描きたい事」が全面に現れてくる。

どこにでもいる様な私が、考えて、学んで、行動して、愛猫を迎えた。
そんなどこにでもあるストーリーを、ツイッターをはじめとする多くの人たちが応援してくれた。

SNS投稿漫画にしては割と長編になってしまったその話を描き終えた頃、ちょうど先ほどの編集さんから「創作漫画、ボツでした」という報告をもらった。
だけど私は落ち込まなかった。(まぁガックリはしたけど)
だって私は、描きたいことをみつけたから。

漫画にこだわらなくてもいい

ここまでが私の2020年上半期だった。
雨降って地固まる、じゃないけれど。エッセイ漫画から抜け出そうともがいた結果、またエッセイ漫画の虜になってしまった。
どうやら私はしばらく創作の世界にはいけないらしい。

ただ自分の表現力の幅の狭さを諦めたわけじゃない。
エッセイしか描けない、漫画しか描けない私が、書き手として頼りないのは違いない。

そこでたどり着いた答えが「エッセイ」という部分は保留にしたままで、「漫画」という表現方法に変化球を入れてみるという事。

漫画以外の表現方法ならいくつかある。その一つが「文章」
それまでツイッターの上限文字数である140文字以上の言葉を打ち込むことがほとんどなかった私が、初めて長い文章に挑戦しようと思った。

そう決めた時、この「note」というプラットホームがすぐに思い浮かんだ。

私のnoteの使い方を見直した

もともとnoteのアカウント自体は持っていたけれど、失礼ながら私自身はツイッター漫画の倉庫として扱っている部分が強く、noteならではの魅力を最大限に利用できる使い方をしてこなかった。
「せっかくツイッター用に漫画描いたし、noteから知ってくれる人いるかもしれないし。」みたいな、わりと消極的なテンションで使っていたと思う。

もちろんそういう使い方も正解だと思うし、去年までの私の使い方が悪かったとは全く思っていない。
だけど今年は一歩踏み出して、noteでしか書けない様な文章と向き合った。
140文字しか打てないツイッターとは違う、長文を楽しむことに慣れた人たちが沢山いるnoteという場所で。
結果としていえば、それは私にとって間違いなく表現力を広げる糧となった。

noteで今年書いた文章は、量としてはそう多くない。文章にまとめるのはまだまだ慣れが必要で、スピードも遅いし癖も強い。
だけど、ツイッターでいつも漫画を読んでくれているたくさんの人達から
「文章、いいですね」
「漫画とは違う人みたい」
という、こそばゆくなる反応をいただけた。

私としては漫画の時と全く変わらず同じテンションで書いているつもりだったので「私以外、私じゃないの〜」なんて照れ隠しに口ずさみながらその感想一つ一つを楽しんだ。
まるで初めて漫画の感想をもらった時の様に、何度も見返してニヤついてしまった。
これは創作する人なら誰もが通るであろう、みてもらえるという幸せ。

そんな矢先にいただけた、noteとfreeeが主催するコンテストでの入賞。

今まで「賞」と名のつくものに全く縁がなかった私は、受賞の連絡をいただいて心臓が止まりそうだった。
知らない誰かが私を評価してくれた。それ以前に、知らない誰かが私の文章を読んでくれた。その事実すら、書いた当時はイメージできていなかった。
漫画ではなく文章を書いているという実感がやっと湧いた瞬間だった。

2020年と2021年

イラストレーター・漫画家という仕事としては、来年もなんとか著書の出版が決まり、苦しい中で現状維持に留めた一年。
一方、noteで書いた文章は自主的な活動・作品なので、どんなに力を入れても今の段階では仕事とは呼べない。

だけど仕事よりも前段階の、いわば水面下でのウォーミングアップは色々と整った2020年だった。
2020年の目標「エッセイ漫画以外でもやりたいことを見つける」は、「文章」という形で達成したと言っていいと思う。

来たる2021年。
希望だけなら、大きく出てもいいですか。
僭越ながら、何らかの形で文章の仕事がしたいと感じています。
でしゃばりついでに小声で言うと、いつかは漫画ではなく文章でも本を書きたい、という目標も生まれました(これはさすがに来年中には無理なので気長に)
世間知らずな上に図々しい願いだけど、大抵予定より低空飛行するものなのだから、せめて目標くらいは大口叩くくらいがいい。

現状維持のまま、裾を広げた2020年。
2021年は、その広げた土地に種を撒けたらいいな。

それではみなさん、良いお年を。

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