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承認されたくない欲求と常連になりたくない症候群

「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。

いわゆるひとつの承認欲求というやつ、Twitterやnoteでいいねやスキを頂いたりお褒めのコメントを頂いたりするのは当然嬉しいし有難いという気持ちになるのだが、なぜかリアルな生活では他人に自分の存在を承認されたくないという謎の自意識がある。

江坂任というめちゃくちゃ大好きなサッカー選手がおり(今はコロナ禍で難しいのだが)練習見学に行けばその後クラブハウスに引き上げて来る選手にサインをもらったり写真を撮ってもらえたり少しならお喋りも出来るファンサービス略してファンサというものがある。
自分もサインをもらったり一緒に写真を撮ってもらったりしたいという気持ちはあるのだが、自分の存在を認められたくないという謎の自意識でそれができない。 

江坂任の視界に入りたくない(江坂任の角膜を汚してしまうのではないかという怖れ)

江坂任と同じ空気を吸えない(江坂任の肺を汚してしまうのではないかという不安)

江坂任の貴重な時間を自分ごときに費やして欲しくない

という自分ごときが江坂任の人生に(たとえほんの数秒でも)存在してはいけないという強い気持ちが存在する。

以前某選手のファンサに何回かお邪魔した際に顔や存在を覚えていただいたことがあり、自分では覚えてくださっているという認識はなかったのだが、久しぶりにファンサに訪れた際「久しぶりですね!まだ○○やってるんですか?」と以前の私との会話を覚えてていてくださったことがあり、嬉しかったし生きてて良かったと思ったのだがそれ以来会いに行けなくなってしまった。

それと同じ気持ちなのかはわからないが、美容院や飲み屋、喫茶店等のお店の方に顔や名前を覚えられると途端に行き難くなる、常連になりたくないという謎の感情も併せ持っており、その謎の感情のせいでいくつかお気に入りのお店に行けなくなってしまうという弊害が生じている。
店員さんは良かれと思ってこちらの名前や顔を覚えてくださり話題を振ってくださってるのに…と申し訳ない気持ちを感じつつも足が遠のいてしまうのだ。

何度ドラえもんの石ころぼうし(まるで道ばたに落ちている石ころのように誰にも気にされなくなる帽子)が欲しいと思ったことか。

とあるアイドルヲタクアイドルさんが

自分の世界には
推しがいてくれなきゃ無理だけど
推しの世界には
自分なんていない方がいい

と仰っていたけどめちゃくちゃ共感してしまったし、こんなことを思うのは自分だけかと不安だったが私だけではなかったと安堵もした。

いったいこれは心理学的にも証明されている感情なのだろうか。


誰かこの感情に名前をつけてくれ。


2020年に書いていた下書きに加筆修正したものです。

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