見出し画像

運転免許やってよかった―50代のオジサン運転人生、免許をいろいろとってみた#9

おわりに 運転免許って何?

 20代の最初に教習所の門を叩いて以来、アメリカのある州のDriver’s Licenseを所持していた期間を含めて30数年、免許を保持し続けてきました。

社会的責任の重さを肝に銘じる

 運転は社会的行為であり、責任が伴います。

 レンタカーをぶつけた話しは書いた通りですが、その他、車庫から出ようと思ってブロック塀にすったこともありました。

 スピード違反、一時停止違反、歩行者優先違反(横断歩道を渡ろうとしていた歩行者を優先させなかったこと)で検挙されたこともありました。

 しかし、大きな事故や違反はなく、ここまで来ることができたのは本当に幸いだったと思います。

 違反や事故を起こすときには、共通していることがあります。

 舐めているのです。

 調子に乗っているのです。

 自信をつけてしまっているのです。

 事故なとおこすはずがない、と。

 未熟者が、何度か失敗して学習しました。

 運転して車庫まで戻って来たとき、事故がなかったのは、自分の技能がすぐれていたからではなく、神が守ってくれたからだと思うようになりました。

 実際そうです。

 物陰から飛び出されたら、どれだけ安全運転を心がけていても避けられないこともあります。

 この心がけは一生涯忘れたくないと思っています。

やってみて「つながった」

 いろいろな免許に挑戦しました。そのときは躊躇しても、思い切ってやってみるものです。

 後になって「つながった」ことがありました。

 大型1種を取りました。仕事が一区切りついたとき、運送関係の会社に応募しました。取ったときには考えていなかったことです。

 大型2種を取りました。50代になってバスに挑戦しました。取ったときには考えていなかったことです。

 バス会社に応募して、配属になったのが支援学校の送迎でした。その後、支援の必要な児童のケアに関わることになり、支援学校のバスに乗ってくる児童を迎えに行くときがあります。これも「つながって」いました。

 話しは変わりますが、「つながった」をもう一つ。

 30代の頃、アメリカで修士論文を書きました。第2章のスピード違反の話しは、そのときのことです。その修士論文は、日本で論文を書いたときの一部になりました。そのときには考えていなかったことです。

 臨床心理士を取りました。これも今、役に立っています。そのときには考えていなかったことです。

 やっているときは将来のことはわかりません。それでも、なんだかあとになって役に立っていることも多かったなと、感慨ひとしおです。

 やろうかなと思ったら、思い切ってやってみる。そうすると、違う展開が見えてきたりします。

自立と自信

 なんでそんな免許取るの? はたから見ていたら不思議かもしれません。

 しかし、挑戦してみたくなるのです。

 もちろん、運転が好きでなかったら、免許には挑戦しなかっただろうと思います。

 好きだと、挑戦したくなります。

 何度かやって、わかったことがあります。それは、

 一つひとつが自立のステップであり、自信に「つながった」

ということです。

 やろうかなと思ったら、思い切ってやってみる。そうすると、自分の軸を太くすることができます。

人生を豊かにしてくれた

 運転免許が自分の人生を豊かにしてくれたことは間違いありません。

 運転はストレス解消になります。精神衛生上、大いに役立ちました。

 行動範囲は数字で表せないくらい広がりました。

 いろいろなところに行って、いろいろなものを見て、味わって、いろいろな人に出会って、免許がなかったら不可能なことばかりです。

いつまでも事故なく

 ハンドルを握るとき、判断の素早さなどは若い頃のようには行きません。

 仕事に行った日はハンドルを握ります。

 運転は社会的行動です。責任を伴います。

 そのことを肝に銘じ、事故や違反がないように、大型を運転するような気持ちで、ゆったりと運転するよう心がけています。

 一つひとつの免許に、

 「ありがとう」

の気持ちです。

 これでこのシリーズは終わりです。何かお役に立てることがあれば幸いです。ここまでお読みいただいて本当にありがとうございました。


サポートしていただけると大変嬉しいです!