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たった一言が尾を引く夜

雨のせいもある。
しかし、母上からの甘えてる発言は大打撃だった。
左肩に心臓があるかの様に左腕が激痛が走る中、母上と話をして居た。
痛みの定義の中に検査結果で何も出なくても痛みに苦しむ痛みが有ると定義付けも有る世界なのに。
あの時、痛いのは辛いよね、そう言ってくれたのはただ口からポロッと出ただけの何も考えても居ない発言だった事が証明された気分だ。

電話の後からかれこれ5時間以上はゆうに過ぎて居るが、もうフラッシュバックの嵐で当分母上を見たくも無い、会話もしたく無い、そんな気分にまで追い込まれて居る自身が居る。

甘えるな。
それは幼い頃から何万回と言われて来ており、寂しさや心細さ、切なさに苦しみや痛みとの葛藤との思い出に即繋がる。

長女とはそんなものだと思って生きて来た。

実際、改名をした際にも医療機関で説明すると、看護師さんから躾の厳しい親御さんだったんだね~時代が変わって思い通りになって良かったね~と、嫌味なのか何なのかわからない話に成った事も有る。

40歳で自律神経失調症でホルモンバランスボロボロで早期閉経に近くもなり、愛情すら分からず虚無感に苛まれ、睡眠障害に線維筋痛症、ストレス性難聴にまで追い込まれてるアタイの根源は愛着障害な訳だが、それでもアタイは甘えた生き方の人間なのだろうか。

常に痛みやらと毎日闘って踏ん張ってる気分だが、甘えてるのか。

因みに日曜日、朝の目覚めが良かった為、溜め込んだ食器を洗い、キッチンの床をツルピカに磨き上げてみた。勿論冷蔵庫も動かして下迄しっかり拭きあげた。お陰様でその後30分位は右手の震えが止まらなかったけど。

午後は部屋の床をざっくり埃拭きして、時計の電池を入れ替え、ようやく時計の役割を果たせる様にした。

合計1時間程だが、日頃が寝たきり老人みたいな生活な為、中々の労力を使って心地好い疲労感に満たされていた。

それをぶち壊す甘えと言うパワーワードだった。

母上はある意味強い人だ。
結婚中もあのDV夫と居つつ、仕事もバリバリこなし、離婚後も手続き面倒と言って元旦那と同じ苗字を気にせず使い、仕事の帰りが深夜0:00越えをものともせず仕事の鬼みたく働いて居た。そして、並行して三基商事(ミキプルーンで有名なネズミ講)をバリバリこなし、時に海外へ出掛け、休みの日は友人を招いてホームパーティ。

今でも、70歳半ばだが、コーラスに書道、華道に教会の学び会に礼拝、時々コーラスの舞台で遠征に、と、パワフルに生きている。

悩みは春の鼻炎位。生理痛も更年期障害もほぼ無く、大きな病気は脳梗塞2回。しかも後遺症はほぼ完治。凄まじい生命力なる人だ。

母上にとったら、40歳なんて自分だったら7歳と4歳児抱えて、勿論ワンオペで習い事から何から動き回った時期で、一番身体に脂がのってる頃でしょうょ?って感じなのだろう。

母上はアタイとの人格分離が未だ上手くいって無い感覚が所々有る。それ故、余計にアタイの痛みや精神的苦痛が理解不能の領域なのだろう。

アタイも諦めている。
諦めが着いているのに、それでも昔よりも話し易く成った母上と居ると無意識下に母上に自分を理解してくれているかも知れない、そう淡い期待をいつの間にか抱いてしまって居た模様だった。

だから今回、こんなにも凹んだ次第なのだろう。

雨降りの眠れぬ夜、母上との冷ややかな思い出ばかりがフラッシュバックしてキツい。

やはり腹をくくって訪問介護や市の社福関連と連携して貰う手続きを嫌だけど行って、母上に手伝って頂いていた事を行政と言うか民間会社に任せて、本格的に独り生きて死ぬ迄の道程を手助けして貰いながらの生活にシフトチェンジすべきなのかしら。

まいってる時に複雑な手続きはすべきでは無いから様子見が必要だけれど、40歳、今年41歳。ある意味人生折り返しの病人と自認すると、そろそろ真面目にお墓の事等含めて前向きに検討して行かねばな、と、考える夜に御座います。

夜な夜な長々、ウッティー文章を読んで下さり有難う御座います。
月曜日、新しい1週間が始まりました。
お互い、健やかに日々を過ごせます様、心より祈っております。
感謝を込めて🍀🍀🍀

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眠れない夜に

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