心の拠り所
2024年9月12日Thu
精神科通院日だった。
今年に入ってから2度目の毎週通えた嬉しい日だった。
先生には開口一番
辛かった?と聞かれた。
それは、アタイが先生に2日間に渡って希死念慮と言うか、数々のフラッシュバックにより苦しくて世界に、自身の過去に申し訳無くなってどうしようも無くなり、メールを送って返信を頂いて居たからだった。
しかし、アタイ自身は先生とのメールによるやり取りと、散々泣くだけ泣いて記憶をすっ飛ばしたりした事により、或る意味吹っ切れ、少し楽に成れていた。
外出時用の頓服と、耳鼻科で夏バテや虚弱体質に効く漢方の処方箋、両方がかなり功を奏してくれたのも大きかった。
びくびくせずに買い物含めた最低限の外出が苦しく無く出来る。食事が適当に成りがちな所をそれなりに3食胃に入れる事が可能に成る。
食べて動く事の身体の喜びを得れた1週間でもあった。
そして、今日
先生と話をしていた際にキッパリと先生はアタイの家族は狂って居る。そう言い切って下さった。
嬉しかった。
その場ではどう返したか今は覚えてないが、頭の中は物凄い安堵感に包まれたのは覚えている。
父親からの最後の会話での言葉(家を出る時)は、やっぱりお前はキチガイなんだな。だった。
福祉の世界で働く人間からの大きな差別用語に驚きもしないアタイが居たが、やっぱりアタイは親不孝者の酷い人間なのだとずっと尾を引いて居た。
母上からも昨年の自殺未遂に終わって退院した時に言われたのは、やっぱりあんたは狂って治らないんだねぇ。だった。死にたければ死ねばいいのに、上手くやる事すら出来ないんだもんねぇ。迎えにこさせられた親の気持ち考えた事有る?と。
去年の春から今の今迄、改名含めた過去のほじくり返しも有り、アタイは何処か魂と言うか自分の意識が身体から抜け出て、空っぽの自分を見下げる感覚に成る事も時折あって、このまま魂だけ抜けたまま、身体の呼吸が止まれば良いのに、と、思った事も度々だった。
けれども、先生が家族が狂って居ると言い切って下さった事で、アタイが狂って生きている訳では無いのだと、ストンと胸のつかえが落ちてどこかへ行ったら、生きると言うその難しさに対して、先生に頼れる、先生は少なくともアタイを分かって下さる味方だと確信を持てて前をもう少し向く気力が出た。
心の拠り所が有ると言う感謝な気持ちと穏やかな気持ちでスキップして歩きたい気分な帰り道だった。
加えて先生の新しいブログをお薬を薬局で待って居る間に読み、アタイはむちゃくちゃ家庭で一緒に過ごしたワンコ&にゃんこ達に懺悔の気持ちが有るのだが、先生にも有る事が書かれており、深い理解者の居る事に同じ様に罪の感覚やペットロスの感覚が有るからこそ先生はその場限りと言うか、分かったふりをしたりはしない強さと忍耐力で診て下さって居るのだと改めて考えた。
19歳の秋、紹介状を持って先生の居た当時の大きな病院に行って本当に良かった。
受付の方には初診の方は他の先生に成ると言われた時に泣きながらパグLove先生じゃないと意味無いんです~!!と泣き喚き、先生が俺が診るから良いよ。と、仰って下さったあの晴れた日のアタイを後にも先にも他者の前で泣き喚いた事をよくやった!!と、褒め称えたい。
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