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寄り添う

9月始まってから2週間、大学院の協力校で実習を行いました。

文学教材の大定番、「ちいちゃんのかげおくり」の教材を使って3クラスに渡って、全10時間、授業をさせていただきました。

3クラスやったのですが、まだまだ納得できず、次は、勤務校にお願いをして、1クラスだけ授業をさせていただいています。

これ教えたいな、このことに気づいて欲しいな、と教材研究をすればするほど、教師は欲深くなっていきます。だんだんと頭でっかちになっているのでしょうね。目の前の子どもたち(実際に学ぶ子どもたち)が、少しずつ置いてけぼりになる感じ…

このことに気づけるか、気づけないかの差は大きいと今さらながらに感じています。昨日、ふと翌日の授業の構想をしているときに、「いつも寝ている○○くんが思わず起きてしまうような、楽しい授業ができないかな…?」とぼんやりと考えていました。

「そうだった!!この子たちが楽しくなったり、少しでも国語に興味が出てきたなと思える授業にしなくては!!」

一番大事なことを忘れていた気がします。

目の前の子どもたちに寄り添った授業を作ること!!

石井順治さんの著書の中には、教師の解釈もただの一つの解釈にしかすぎない。正しい解釈というものはない。という旨の記述がありました。「そうだよな。教師の解釈がすべて正しいということはあり得ないんだよな。なら、教師も子どもと同じ立場で、同じ土俵の上で、教材に向き合わなくては…」

そんな当たり前のことを、改めて感じたのでした。

石井さんの著書の言葉に「本当に聴くことができる子どもは、本当の自分の答えを見つけられる子どもにちがいない」という一文がありました。

「本当に聴くことができる子は、本当に聴くことができる教師の背中を見て育つもの」という一文も。

今日もまた、子どもたちの紡ぐ声をじっくりと聴く1日にしたいと思います。

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