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人生をかけたラブレターリレー     ~Because of you~

Because of you

1940年代に生まれたこの楽曲は
トニーベネットが50年代に出会い亡くなる直前まで
この曲をただただ愛しているんだという思いで
歌っていたという隠れ名曲中の名曲。

君といるから 太陽は輝いてみえるし
君といるから 価値ある人生になるんだ

愛しい人にまっすぐに最大級の愛の比喩がふんだんに使われている
ロマンティックな歌詞もまた魅力的な楽曲。

なんですが。

この楽曲が当時大ヒットした背景には
あの「真珠湾攻撃」が舞台になっている映画が
一役かっていることもあり
2度とこの現世で会えない人へ思いを伝えようとする
米国兵の「遺書」に変わるラブレター。
いわば悲恋歌としての描写が隠されています。

楽曲の雰囲気は全く違いますが、
日本の当時の歌謡界の類似楽曲で例えると
淡谷のりこさんが特攻隊員に歌った
「別れのブルース」の悲壮感の世界が最も近いかもしれません。

というのも。

悲しみの奥にある悲壮な世界を歌うには、
淡谷さんしかり。トニーしかり。
人間力や経験値といった目に見えない氣の領域のスキルが必要不可欠。

それだけ宇宙のように果てしなく
それだけ太陽のように暖かく
それだけ地球のように深い蒼の悲しみが歌える人生が前提にあるからこそ
初めて腑に落とすことができる愛の歌。
人生をかけた愛のラブレターといっても過言ではない
Because of youとはそんな大きな歌なんだと
私は思っとるわけです。

おりしも。
MOMOSEJAZZが
この楽曲をレコーディングしていた時期は
日本中が先祖に思い馳せる氣の領域タイム。
8月盆真っただ中。

「日本にも戦争を舞台にした曲はたくさんあるけどな
 同じようにアメリカの曲にも沢山あるんだよ」

生前、父がそんなふわっとした話をしてくれたことを徒然思い出したのは
父のコレクションだったレコードに被ったほこりを
SONSと綺麗にふき取っている最中
携帯から一斉に黙とうのサイレンがなった時でした。

第二次世界大戦が終戦を迎えたのは
父が10歳の時。
進駐軍がチョコレートやキャラメルをトラックからばらまき
彼らがのったトラックのラジオから
聴いたことのない音楽が聞こえてきたそうです。

英語が少しできた父は米兵に
チョコレートをねだりながら聞いたそうです。
この音楽は何なんだ?

Jazz

心が天気の日は
人種も言葉も国境も越えてみんなあっという間に仲良くなれるんだ。

心が雨降りの日は飢えや差別でそっぽむくんだ。
それがJazzさ。

父は米兵から聞いた話をきっかけにjazzが流れる店や
ラジオのある場所をてんてんと梯子し
路地裏に流れてくる曲を夢中で聞いていたそうです。

晴れの日も雨の日も。

私が物心ついた頃から
父は私を膝にのせてスイングjazzが沢山詰まったレコードを
かけながらよく云っていました。

お前が大人になったら
このブックレートに乗ってる街に行ってみるといい。
晴れの日も雨の日も。
どんな音楽が聞こえるんだろうな。


父のコレクションのレコード
戦闘服のイラストが当時のjazzの
背景を物語っています


私の父は孤児でした。

貧困、差別、愛がまっとうに受け取れない幼少期から青年期にかけて
普通なら野垂れ死んでもおかしくない状況から
実のところ、日本人ではなく米兵に命を救ってもらったそうです。

まれにぐれてもおかしくなく、ましてやよくぞ
そんな自分の置かれた環境に唾をはくことをしなかったのには
敵国だった米兵から「Jazz」という音楽を通して、
甘いチョコレートのような「真逆からみる人生の視点」を
沢山教えてもらったからだとも云っていました。

真逆からみる人生の視点・・?
表と裏のこと?

そういえば。

米兵から教えてもらったというオセロゲームで
人は4つ角をとったら神様になれるんだぞ~
みたいなわけわからんこともよくいっとったなっと
落語家を目指していた父らしいというか、
人の心を瞬時に惹きつけ面白おかしく例え語る父を思い出すたび
ますますわけわかめな私にもなるわけです。

が。

こうして氣の領域時期に触れ、思い出す昔話を
時系列に書き出していくと
父が話してくれた言葉の裏側の意味や
何をもって父が人生を語っていたのかということが
ひとつひとつ腑に落ちていくものがあるのも不思議なのです。

父が最初に流れ着いた街は横浜だったそうです。
私が上京した街も偶然にも横浜だったのですが
怖いもの知らずに育った私は
jazzに触れてこいと言う父に背中を押され海を渡りました。

父のコレクションブックレート型のLP版にのっていた街。

NYへ。

その街で私は2人の息子を生みました。
彼らは、父が大好きだった朝顔が咲き誇る
お盆を跨いだ月雨の日にまっさらな魂で生まれてきたのですが、
東南アジア人差別という洗礼の鞭をうけ
雨の日のjazzを幼心に抱えることになりました。

未だに現地では戦争の名残に囚われ、
過去にとらわれ憎しみを人柱にぶつけるスラムがあり
貧困、犯罪、差別といった痛みを抱えながら
腐るか腐らないかの二極の間で揺れている
マイノリティたちも混在しているのです。

我々は、その「闇」のハザマから
SONSをこの日本に連れてかえってきましたが
ほどなくして世間はパンデミックになり
気が付けば戦争があちこちで勃発している世になっています。

NYに限らず。この日本でも実は視点は同じ。
人を信じることができないものたちの闇が
地獄絵図という世界をつくりあげる源になり
我々は気が付かないうちにこの世の地獄絵図を片側の身におき
見て見ぬふりをするものたちのハザマで
何をどうすべきかと
揺らされながらこの日本で生きているのです。

父が米兵から聞いたという
jazzのよもや話をひとつしておきます。

戦争をおっぱじめたやつはいうんだよ。
俺のが上だからひざまづけってな。
誰のおかげで食えてんだよとかな。
挙句のはてには
いつかはお互いがわかりあえるとかな。
お前の国にはいるのか?
殺されてありがとうなんていうやつが。
家族が泣かされてマリアさまに
愛せるように努力しますとか言えるのか?
人は簡単に死ぬんだよ。
お前の国のやつだってそうだろ?
もう生き返らねーやつどんだけでもいるだろ。
人を傷つけた人間はな
自分の「罪悪感」をなかったことにしやがる
それが神の一番の逆鱗に触れることだって知らねーんだよ
そいつの母親にきいてみな
母親がさじなげてんならサッチモにきいてみな
誰も教えてやる奴がいないなら
サッチモのペット聴いてみな。
そういうやつらに
恥を知れ
我を知れ
愛を知れって吹いてんだよ。
それがjazzなんだよ。

この話のネタ元になってる曲は
まぎれもなくサッチモの
Because of you

戦中の怒りと悲しみの視点の世界は
本来、えげつないほどに切ないのです。

トニーが生涯かけて歌ったというのも
この米兵視点から考察してみれば
この歌の奥にある闇が少しわかっていただけるのではないか思います。

故に。

時々曇りがちなSONSたちの心に寄り添えるようにと
私はスタンダードJAZZの主語を
自分目線(私目線)から3人称に抽象度を広げ
歌詞の視点を真逆に歌っています。

Because of you~

君たちだからだよ 太陽だけじゃなくて月も輝いてみえるのは
君たちだからだよ 価値ある人生に思いやり気が付けるのは

爆撃を落とす飛行機音に雨の日のjazzを抱えていた父は
横浜の港から地平線の先に繋がったJazzの国に思いを馳せるも
その国へ渡ることは生涯ありませんでした。

お前が代わりにみてきてくれな。
たくさん歌ってこい

これが父との最後に交わした言葉でした。

Because of youの”YOU"は
父からもらった愛を
私の愛するものへただただ繋げる”You”
国境なきJazzをうたい
晴れた日も雨の日も
想像の世界から創造する世界へ祈る歌

これがMOMOSEJAZZのBecause of youの世界。
父からSONSたちへのラブレターリレーの歌のお話です。


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