本当のこと

「怒らないからほんとのこと言って」と言われてほんとのことを言って、怒られなかったことがない。
詰められている時点で相手は「本当のこと」が自分にとって不都合なことだと勘づいているわけで、嘘も含めて上手にかわすのが互いのためである。
正直者が報われる社会であってほしいが、独りよがりの「正直」はババアが運転するプリウスみたいな危うさを孕んでいる。


世の中にはっきりしたものなどほとんどなくて、大概は曖昧なグラデーションである。
「赤色」と言われても、人によってグラデーションのどこを「赤色」と思うかは違うわけで、僕が語った本当のことだって、次の瞬間には相手が聞いた本当のことに置き換わっていたのだろう。

善悪も例に漏れず曖昧なもので、悪とは声の大きい人が自分を肯定するためにその場その場で作り出しているものにすぎない。
元彼は悪口のネタにされるのが常だし、戦勝国はどれだけ人殺してても、なんかあんまり悪く言われないことを見ればわかることだ。


先日、確執があって長く会っていなかった父に、久方ぶりに会った。
色々と抱える想いは抑えて、あくまで冷静に話してみると、ものの考え方や青年時代のこと、好きな音楽まで似ているところがあって吐き気がした。

父は今、月10万の住宅ローンを払うために働き続け、妻子の出て行った一軒家で1人寝起きしている。
酔うたびに暴れていた父は別れ際、2回り小さくなった背中を丸めながら
「酒には気をつけろよ」とだけ言った。
幼い頃から母に繰り返し聴かされてきた父の悪口も、今は少し違った色に見える。


悪を追及することは必要だ。
けれど、誰が見ても真っ黒な悪など存在しないことを忘れてはならない。
過ちの多くは環境が作り出していることを知り、追及よりも理解に努める方が、いくらか生きやすい。

人は自分が見聞きしたものだけを「本当のこと」だと思い込んでいる。
自戒を込めて。

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