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サイコロジー的トートロジー

心理学の本が好きでよく読んでいます。好きと言っても食すのが好きという意味ではなく、読むのが好きというニュアンスです。大抵自分が知らなかった事実が書かれていて面白いのですが、たまに奇妙な文章に出会います。それは、以下のようなモノです。

「人間は繰り返し見たものを好きになる傾向があります。何故でしょうか?それは、単純接触効果が働くからです!ある大学の実験では、被験者に……」

単純接触効果そのものに意義を申し立てたい訳ではありません。語り方に珍妙さを感じるのです。

繰り返し見たものが好きになる現象に対して、「単純接触効果」という名前を学者がつけたワケです。ということは、「単純接触効果によって繰り返し見たものを好きになるのです!」という説明は、「繰り返し見たものを好きになる現象によって、繰り返し見たものを好きになる現象が発生します!」と言っていることになります。全く説明になっていないと思いませんか?

何かの説明をする際、普通は抽象度を下げてより具体的な道具を使います。今回だったら「繰り返し見たものを好きになる現象を単純接触効果と呼ぶ。単純接触効果が発生するのは、人は見たものを無意識に記憶するから」みたいな説明があれば納得できます。しかし、例の説明は全く抽象度を落としていないのに、あたかも何かを解説しているかのような装いです。

人生を思い返すと、同じような論法で言いくるめられたことが何度かあることに思い至ります。

「人を殺しちゃいけないのは、法律で禁止されているからだ」

まだ私が幼い頃、どうして人を殺しちゃいけないのかを友人に尋ねて、このような返答を受けた記憶があります。ちなみに、私が人を殺してもいいと考えていたサイコパスというワケではなく、道徳的に深遠な議論を友人としたいがために聞いた質問ですので悪しからず。

「法律で禁止されているから人を殺してはいけない」は奇妙ですね。人類が今まで生きてきた中で、「どうもこういう行動はしない方が良さそうだぞ」という項目をまとめたものが法律のハズです。したがって、「悪いことを法律で禁止している」のであって、「法律で禁止されているから悪いこと」というのは倒錯しているし、トートロジー感もあります。遺族が悲しむからとか、ナイフを刺されたらめっちゃ痛いから、みたいな説明が妥当なんじゃないでしょうか。

逆に考えれば、具体的なことや細かい部分はよくわからないけど説明をしなければならない場合には、非常に有効な手段なのかもしれません。