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ラフトラックメイカー

近頃、Amazon primeで海外のコメディドラマを見ています。日本のドラマと異なるのは、日本じゃない場所で日本人じゃない俳優が役を演じている点です。それから、随所にラフトラックが挿入されている点です。
登場人物が間抜けな動作をしたり、面白いジョークを言ったりすると、ドラマ内での音声が中断して「ワハハハ」という類の笑い声が挿入されます。この笑い声が視聴者につられ笑いを引き起こし、おかしみをより高めてくれるという寸法です。

日本でもバラエティ番組には笑い声が入っていることがあります。呪いのビデオにもたまに笑い声が入っています。日本のドラマにラフトラックが入っているのは見たことがありません。なので、海外ドラマを見始めた当初はラフトラックに違和感があったのです。でもその内慣れてしまって、ラフトラックと共に楽しめるようになりました。
私がラフトラックと一緒に笑い出すと、面白さが増すと共に、電車内のボックス席に共に座す乗客から白い眼差しで見つめられます。少し恥ずかしい気持ちになりました。時と場所を考えて人のことを白い目で見てほしいものです。

「ラフトラックをドラマにまで挿入するのは反対だ。登場もしていないはずの人間の声が挿入されているのは不自然だし、ドラマの興を削いでいるのではないか?」という声もあります。

確かに、私も当初はドラマの流れを遮る笑い声は不自然ではないか、という感想を抱いていました。しかし、よく考えるとドラマにBGMが入っている時点で不自然なハズなんですよね。
ある邦ドラマの主人公が川辺を走っているシーンで、BGMとして金管アンサンブルが流れていました。この場合、主人公の後ろをトランペットを吹き散らかしている人がずっとついてきているのでもなければ、ドラマ内の出来事とは微塵も関係のない音が入っていることになります。

多分、生まれて始めてドラマを観た時は誰しも登場人物の行動に合わせて音楽が流れることを奇妙に感じたはずです。基本的には自分の人生にBGMは流れないのですから。しかし、大人になるとドラマに音楽が流れるのは当たり前で全く何も違和感を抱かない。死人になればドラマそのものに何の感情を抱かなくなります。人は皆、三歳児頃には感じていたハズの違和感を忘れてしまっているのです。
まあ要するに、「慣れ」の問題なのだろうということです。要しなくても、慣れの問題だと思います。

多少不自然であっても、視聴者はその内慣れる。ならば、ドラマを盛り上げるためにもっと様々な手段が使えるのではないでしょうか。

海外では、お金を貰って葬式で泣く「泣き屋」と呼ばれる職業があったようです。泣き屋を雇う理由は様々あります。誰かが代わりに悲しむことで、故人の親族が冷静に葬儀に立ち向かえたり、亡くなったことを悲しむ人が増えることで故人を重要に思う気持ちが高まったりといった理由があるようです。他にも、火葬場の火が漏れ出した場合にはその大粒の涙によって消火要員として助太刀できそうです。

しかし、ここで私が注目するのは別の役割です。
それは、葬儀の参加者が泣き屋の悲しむ姿を見ることで、悲しみが伝染して参加者自身の故人を悼む気持ちがより強化されるという側面です。

泣いてる声を聞いたり、泣いている姿を見ると自分も悲しくなる。この効果はドラマの演出に使えるのではないでしょうか?

例えば、カップルの一方が別れを切り出すシーン。厳かな音楽でシーンの悲しみを強調するのもよいですが、ここで誰かが悲しみにくれる「オウオウ……」といった声を挿入するのはどうでしょうか。きっと視聴者は泣き声トラックによって登場人物への感情移入を深め、悲しみにかきくれるハズです。
声だけでも効果的ですが、泣いている姿を見せれば更なる悲しみを呼び起こすことが可能です。例えば、画面を上半分と下半分に分割して、上半分は元のドラマを、下半分は泣いている人を映し出すというのはどうでしょうか。画面分割が難しい場合は、別れ話が始まると共に大勢の人間が二人の背後に登場し、突然号泣しだせばよいでしょう。

ドラマ以外にも使えます。FaceBookやTwitter等で悲しめの内容が書かれた投稿をタップすると、泣き声が聞こえるようにするのです。同様に太ったおじさんの写真をタップすると、太ったおじさんのうめき声が聞こえるようにしてもいいかもしれません。
共感の欠如が叫ばれるこの現代、大衆の共感力を深めるのにピッタリの機能です。

「そこまでするのはいくらなんでも違和感があるだろう」とお思いですね。
ですが、思い出してください。人間は慣れの生物。
十年後には悲しみの声や太ったおじさんのうめき声が街中にこだましていても全くおかしくはないのです。