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全体を見ることから知っていく学び

「やらさせてる感じが嫌」
息子が学校を利用しなくなり、他にもうちと同じような生活スタイルのご家庭と交流させてもらっているうちに、お子さんが上記のようなタイプだという話を聞くことが多い。

自分の気持ちを圧し殺して、他人に指示されたことをやらされるばかりの生活をしていたら、、?
その方が良いという人はいないんじゃないかな。

じゃあどうして、「やらさせてると嫌なのか」を考えてみた。

<自分で決めた場合>
自分で選択したから納得していてやる気がある。
自分にとって興味のあることを選択している。
上手くいった場合に本当の達成感を得られる。
上手くいかなくても自分で選択しているので後悔が少ない。

<他人に決められた場合>
なぜ今これを、またはなぜこのやり方でやらなければならないのか納得していないことがあるのでやる気がでない。
わからないことがあるので不安。だからやりたくない。
失敗したら自信をなくす。

要するに、自分自身の意志に触れずに決められたことは「わからない」を含んでる。
やり方がわからない
理由がわからない
メリットがわからない…などいろいろ。

わからないことはやりたくない。
怖いもん。

わからないから、やりたくならないのに
子供に相談無しに、大人が勝手にやるって決めてしまっているから
自分の気持ちに正直に表現する子供は自分に出来る様々な方法で表現する。抵抗する。

学び方は人によって違う

学校をいやがる子の中には、全体→細部の順に理解していきたいタイプの子が多い気がする。
これはきっと、「わからない」を無い状態にしてから取りかかり始めたいという、気持ちの表れなのではないかな?


「なぜこれをやる必要があるの?
自分はやりたくもないのに。」

それに対して学校の教え方は細部→全体へ。
理由もよくわからない。
先生に聞いても、
「学校とはそういうものだから。」
「将来役に立つから…。」

やるのを拒否すると、怠けてるとかダメな子問題児認定。

全体像がわからないから不安なのに。
子供が、全体がわかればやってみようと思えることも、細部を理解してからでないと全体に進めないシステムばかり。
なぜ今これをやるのか意味がわからないまま学ぶのは強い不安とストレスだよなぁ。

子供にやってみたいこと(全体)ができたとき、叶えるためにはこれとこれ(細部)をやる必要がある。それを自分で必要だと気付く(納得する)。
すると、やりたいことの実現のために、少し難しいことも頑張ろうとエネルギーが湧いてくる。

息子の就学児健診のときに作った見通し↓

幼稚園卒園式の見通し↓

小学校運動会の見通し↓

学校の教え方が合わない

学校の教え方って、入り口から細部スタートになってる。
子供は、先生に言われたことが基礎なのはなんとなくわかるけど、最終的に何に繋がるのかわからないから、やらされてる感になってしまう。
わからないことのまま取り組み始めるのは怖いのよ。
学校の先生が子供に何かを伝えたいなら、何で先生がその事を子供に伝えたいのかを心を込めて、子供たちに伝わる言葉や視覚を活用して説明することからなんじゃないかな?
子供がやる気にならない、先生についてこないことを子供のせいにはしないでね。
 子供は自分から「面白そう!」と感じたら、自分からやり始める。
先生の説明がわかりやすかったら、興味を引くことだったら、面白そうだっら、子供はやり始める。
子供を育てるのは大人。
まだ未熟な子供にたいして、「どうしてできないんだ?!やらないんだ?!」と大人が怒っているのはなんで?

仮に先生が「面白そう」と思えるように説明ができたとしても、子供が「面白そう」と思わなくてやる気にならないこともあると思う。
それはその時その子にその事柄が必要ないからだ。
子供にはその時その時で興味を持つものがあって、興味を持ったものがある時にその部分の力(能力)が伸びる。大人の都合で教えられて覚えるよりも簡単にぐんと伸びる。モンテッソーリ教育ではこれを「敏感期」と言うらしい。あるテーマに興味が湧く(敏感に反応している)タイミングで学べるように大人がサポートできたら、その子は深くて自分のためになる学びができ、なによりも楽しいんで学んでいる。
私が息子としているホームスクールなら、子供がその時敏感になったものにとことん時間を使うことが出来る。

息子七歳、私は母親七歳、先生は先生になってから何歳?

大人が、新しいことを素晴らしく楽しいことだと子供に伝えることが出来たなら、もしかしたら子供の世界を広げ、視野を広く育てることが出来るかもしれない。

でも本当は子供の学びを大人が操作するのではなくて、子供が自然と興味を持ったちょうどいいタイミングで大人がサポートしてあげたり出来るのが、本当のところの「学び」になるんだと思う。

自分が出来ることと、人を育てることは大違い。
大人になるまで人を育てる経験はしていない。大人になって、人を育てる立場を一からスタートをするのだから上手くはない。
つまり、今
上手く出来ない子供に偉そうに接しちゃいけない。大人だって「教える」技術が未熟なのだから。

それに子供のうちにどんどん新しいことを吸収して、そこから柔軟な思考で湧き出てくる発想を 誰かの指示に従うために蓋をして何年もストップさせ続けてしまうのは本当にもったいない😵その子の持ち味を伸ばせない。。。


それぞれの特性を活かして

この先に何が待ってるのかわからないのに
大人に言われて何の疑いも持たずに何でも取り掛かることが出来る子供のほうが、私は将来が心配だ。自分がどんな方向へ導かれているのかわからずに、言われた通りにしてしまって大丈夫?
もう少し相手を疑うことだって必要なのではないのか?警戒すること疑ってみることができないと、簡単に危険なことに巻きれちゃうかもしれないし、
人を支配しようとする相手がいたときにすぐに巻き込まれちゃう。自分が巻き込まれていることに気づかずに。

何かに敏感に反応する種族がいるから、人類は生き延びてると何かで読んだこともあるが、本当にそうだと思う。

敏感が強めな種族とそうでもない人達が、自分達の得意なところを活かしてバランスをとって安心して暮らし、命を繋いでいきたいな。

#ホームスクール

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