20.05.11 蜘蛛の糸

芥川龍之介の有名な小説に「蜘蛛の糸」というものがある。

あらすじはこうだ。
ある日、極楽を散歩していた釈迦が地獄をのぞいて見ると、罪人たちの中にカンダタという男がいた。カンダタはどうしようもない悪人だったが、ただ1回、踏み殺しかけた蜘蛛を助けたことがあった。釈迦はこれを思い出し、地獄の彼に向けて蜘蛛の糸を垂らす。カンダタは垂らされた糸にすがるが、下を見ると同じように罪人たちが登ってくる。このままだと糸が切れてしまうと思ったカンダタが「この蜘蛛の糸は己のものだぞ。」「下りろ。下りろ。」と喚いたところ、カンダタのすぐ真上で蜘蛛の糸が切れてしまった。それを見ていた釈迦は、悲しそうな顔をして去っていく。

芥川龍之介は別の何かから派生した(元ネタが別にある)作品が多いと言われていて、この「蜘蛛の糸」も元となった作品がいくつか挙げられている。
一つは「罪と罰」などで知られるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に出てくる「一本の葱」という小話。ロシアでおとぎ話(昔話)のように伝えられている話だとかも聞く。
もう一つはポール・ケーラスというドイツの人が書いた「カルマ」という作品。「因果の小車」というタイトルで日本語に翻訳されているらしい。

どちらも話の流れはだいたい同じで、罪人を哀れに思った神さま系のひとが、その罪人の善行にちなんだ何かで救おうとする。けれど罪人は周囲を蹴散らそうとするので結局救われることはない、という感じ。

こういった仏教的というか宗教的な話があるからか、よく「蜘蛛は殺してはいけない」と言われる。
もちろん、家の害虫を食べてくれる益虫としての役割もあると思うけど、蜘蛛は釈迦の使いというくらいだし、何かそういう思想的なものと繋がっているのだろうなと思う。

だけど私は蜘蛛がこの上なく嫌いなのだ。
虫は全般苦手だけど、蜘蛛がいちばん怖いし気持ち悪い感じがする。昆虫なのに足が8本あるからなのか、糸に引っかかる感触が嫌いなのか、幼少期に大きい蜘蛛が母親のスネを駆け上る瞬間を目の当たりにしてしまったからなのか。かわいらしくデフォルメされたスパイダーちゃんたちも本当にいや。iPhoneで「クモ」と打った時に予測変換で出てくる絵文字も嫌い。

そんなだから、いつか地獄に落ちた時に釈迦が私を哀れんで蜘蛛の糸を垂らしてくれたとしても、絶対にすがらないと思う。そもそも、私は蜘蛛が嫌いだから蜘蛛を助けることなぞこの先の人生で一度たりともないだろうけど。
ただかわいそうなのは、蜘蛛が嫌な私のためにありとあらゆる蜘蛛を殺しまくってきた旦那さんだ。彼はそこまで蜘蛛を憎んでいる訳ではないだろうに、私のために殺生を重ね、万が一地獄に落ちた時に唯一の頼りとなるであろう蜘蛛の糸すらも望めない。本当にごめんね。

蜘蛛の糸は青空文庫で読める。久々に読んだ。


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