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ヒマワリの彼は、きっと今日も。

10年前の8月。日中の夏の暑さが残る20時過ぎ。
人通りも少なくなってきた上野駅コンコースで、当時花屋のアルバイトをしていた僕は一人の男性に声をかけられた。

「花束をお願いしたいんです」

仕事帰りだろうか。ノーネクタイでも清潔感を漂わせたスーツ姿は、まだ大学生だった僕に大人の気品を感じさせた。

「どんなイメージがいいですか?」
「ヒマワリを入れたいかな。今の時期の花だから」

店頭の花々を眺めながら、その男性は自分より若い僕に対しても丁寧に接してくれた。

「どなたへ贈られるんですか?」

少しだけ向かいの表情が陰る。
マズい質問をしてしまったか。
しかし、彼の表情は一瞬ですぐに照れたような笑顔へ変わった。

「別れる彼女に贈ろうと思うんです。離れても応援していると伝えたくて」

これまでプロポーズの花束を頼まれることは何度かあった。
別れる相手に花を贈ることがあるなんて。

彼と彼女の関係がどのようなものかは分からない。まして当時の僕は男女交際のアレコレを全く知らなかった。

だけどその時、男女という壁を超えてお互いを一人の人として尊敬しあえる関係があるのだと気付いた。



花屋で働いていたとき、周りは女性ばかりだった。
お客さんはほとんど女性。店のスタッフも男性は僕だけだった。まして学生は珍しく、周りは年上ばかり。完全に弟のように扱われていたこともあり、お互いを男女として見ることはほとんどなかった。

そんな中で日々過ごすと「男性だから」「女性だから」という視点が次第になくなっていく。

当たり前のようにみんな力仕事をするし、夏は暑い中で汗を流しながら、冬は冷たい水とともに作業をする。化粧が崩れるから、手が荒れるから、そんなことは当然関係ない。

でも女性の楽しみ方を忘れてはいるわけではない。むしろファッションもメイクも存分に楽しみながら毎日花と触れ合っていた。


「ねえ、何か気付かないの?」

たまにやってくるこの質問は、抜き打ちテストだ。
髪かメイクか、それともネイルかアクセサリーか。
イメチェンをして僕が何も言わないと、このテストがやってくる。

「相手が何か変わった時は気付けるように。そして、ちゃんと伝えること」

それがいい男の条件だと教わった。もちろんそれは女性だけでなく男性に対しても。僕が髪型を変えたり、新しい服をすぐに気付いて言ってくれた。

「花は気持ちを伝えるものだから。花を扱っている私たちが、日々感じた気持ちや変化を相手に伝えられるようにしておかないとね」

お店の女性たちは僕を男性として、だけど同じ仲間として、一人の人として育ててくれた。


花屋で女性に囲まれて過ごしていたからだろう。社会人になり花屋以外の仕事に就いても、女性の中であまり意識することがなくなった。

女の子を見てかわいいとか、綺麗とか、スタイルが良いと思うことは当然ある。
ただそれ以前に、一人の人として接する癖のようなものが気付かぬうちに付いていた。

女性と2人で食事もするし、遊びにだって誘う。
会社では女性の中で一人混ざってランチを食べる。今いる部署もほとんどが女性だけれど、配属を伝えられたときに「女性の中でも違和感がなかったから」という理由もあった。

好んで女性の中に混じっているつもりもなければ、男性を避けているわけでもない。ただその時にリズムが同じで価値観が同じ相手と過ごしているだけだ。

高校卒業までずっと野球をしながら男社会で過ごした自分が、こんな価値観になるとは想像しなかった。だけど、男女関係なく接することができているこの状況が好きだ。

男性も女性も関係なく、お互いを思い、尊重しながら過ごせばいい。


男が花を好きでいい。
ネイルやピアスを見てかわいいと伝えていい。
綺麗なワンピースやスカートを見て、似合っているねと伝えたらいい。

それをチャラいとか軽い男だと笑う人もいる。
もったいない。一緒に楽しめることがたくさんあるのだから楽しめばいい。

女性も同じだ。
男性らしいと思われている趣味や話題に入っていけたらいい。

同じ花を見て、綺麗だと伝え合うのと同じだ。
男女関係なく、好きなものを好きだと伝える。
気持ちを素直に相手へ伝える。

それを僕は花屋での生活で学んだ。


10年前にひまわりを贈った男性も、似た気持ちだったかもしれない。
男女での付き合いは終わってしまったけれど、一人の人としてこれからは応援していきたい。その気持ちを花という見える形にして最後に伝えたかったのだと思う。

花はいずれ枯れ、消えてなくなる。そこに儚さがありつつ、その命の美しさがあるからこそ、気持ちを込めた贈り物になる。

自分の感情に花を一本添えれば、その気持ちはプレゼントに変わる。


3月8日はミモザの日。
国際女性デーとして、身近な女性に感謝を伝える日だ。

「愛や幸福を呼ぶ花」と言われるミモザを、男性から女性へ贈るイタリアの習慣が浸透したという。

元々は男女格差が今よりも強い時代に、女性労働者がデモを起こしたことが国際女性デーが生まれたきっかけだという。しかし時代は変わりつつある。男女平等、まして性別という壁があることも見直されている。

女性に焦点を当てた日ではあるけれど、男女の枠にとらわれず身近な人との壁をなくし、気持ちを伝えあえる日になれば良いと思う。


ミモザという花は面白い。
バラやカーネーションのように大きな花が1つ付いているのではなく、1本の枝に小さく黄色い花がいくつも連なって花を咲かせる。

ミモザの花を見て、身近なあの人は何を思うだろう。

小さなヒヨコの集まりみたい、とか。
集団下校の黄色い帽子たち、とか。
ロマンチックなあの人は、天の川のようだというかもしれない。
腹ぺこのあの人は、揚げ玉を思い出し、うどんか蕎麦を食べたくなるかも。

どんな感想でもいい。
ミモザを眺めながら一緒に笑い、気持ちを伝えたらいい。

「恥ずかしいかもしれないけど、男の人から言って欲しいの。かわいいとか綺麗とかありがとうとかさ。お店に来てくれる男の人って、気持ちを花に込めようと思ってるから応援したくなるのよね」

先輩が言っていた言葉を思い出す。

勇気を出した女性たちの一歩が社会を変え、今日の「国際女性デー」に繋がった。

そんな大きな話ではないけれど、今日は男性が勇気を出して、花屋へ一歩踏み出す日になるといい。そして、花を手に照れながらでも気持ちを伝えれば、1年後は今日よりも世界が少しだけ明るくなっているかもしれない。

「花に気持ちを込めて届けてみるか」
力まずに、気軽にそう思える男性が一人でも増えたら嬉しい。

花が分からなくても大丈夫。
今日はミモザを選べばいいのだから。


誰かに気持ちや感情を伝えることは難しい。
そのきっかけを与えてくれる「ミモザの日」を素晴らしく思う。

そしていずれ、何かの日に関係なく、性別も超えて気持ちを花に込めて贈る人が増えたら良いなと思う。

10年前にヒマワリを贈っていたあの人のように。

文・大久保忠尚

#ミモザの日だから伝えたいこと

#ぶんしょう舎

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