『VRおじさんの初恋』感想。刹那の肯定、終末を受け入れるということ。
結論から言うと、百合だと思います。
先日、だらりとtwitterしているとタイムラインに絶賛と共に一つのweb漫画がリツイートで回ってきました。
『VRおじさんの初恋』という題。そのテーマ。そしてキュートな絵柄。(めっちゃ好みの絵です)
勿論その評判も加味されましたが、それを抜きにしても興味を惹かれるには十分な要素が揃っていました。
そして軽い気持ちで1話読み、そのまま2話、3話。
6話でこの物語の顛末を見届けたとき、私は言葉に出来ないエモーションに溢れ、作中よろしく「やっぱりだめだ耐えられない」と何度も悶え転がっていました。
この気持ちも甘美だけれども。この感情を言語化し見つめ直すことで新たな何かが見付かるかもしれないから。
まずは本作を是非ご覧になっていただきたいです。
(個人的には、少なくとも二周するのがお勧めです。「ホナミ視点のナオキ」を意識して読めるので)
以下、ネタバレ全開につき注意。
https://note.com/violencetomoko/n/nc5a105c4fff4
このお話は、終末の物語なんだと思います。
終わり行くワールド。黄昏の先に出会ってしまった二人。
ナオキに先はない。もう人生の成功なんて考えられない、いつか自らに破滅が訪れるまでの消耗戦であることを自覚し、最後の居場所さえも終焉を突き付けられて。
ホナミに先はない。もう人生の成功を十分為し遂げ、未練も何もなく、自らに宣告されたタイムリミットを受け入れて、最期にふらっと訪れた知らない世界で果てる。はずだった。
そんな二人の終末旅行。その果てにあったのは、別離。
ナオキの精一杯の告白を、ホナミは突き放す。私の終末に付き合わせたくない、より良い人生を送ってほしいと。
ホナミはナオキの人生にまだ可能性、「未来」を見出しているんですよね。もう自分には決して「未来」は無いけれど。ナオキには「生きて」ほしいと。
そんな想いを受け止めて、ナオキは「より良い人生」を送ろうと試みる。本来ナオキのパーソナリティと如何にも無縁そうな地にまで赴いて。
https://note.com/violencetomoko/n/nb501cd8c33bc
ここでナオキがその「未来」を受け入れて、その失恋を糧として「より良く生きる現実の人生」を全うする…… というような結末であれば、それは道徳的なお話になったと思います。
でも、ナオキはそんな「未来」を受容できなくて。そこに初恋の人は居ないし、あるいは元々「より良い人生」なんて信じていないのだから。
自らの未来を否定し、ナオキは「破滅への決意」を結ぶ。
(全体的に漫画的表現・演出がとても上手な作品だけれど、特にこのページ一連の流れは感情の動きを精細に描写していると思います)
先にも言ったように、ナオキにもホナミにも未来は無い。あるいはナオキには在ったかもしれないけど、もう無い。
ラストシーン、二人は邂逅を果たすけれども、その先に待ち受けるのは破滅だ。タイムリミットは刻々と近付いていく。
この蜜月だって永くは続かない。それは二人とも分かっているのだろう。
でも、それでいい。
今「好き」であること、今「最後の恋人」と共にあること、それが全て。
未来なんていらない。今このひと時を享受し、刹那を肯定しよう。いつか必ず訪れる、終末を受け入れよう。
それは実に破滅的で、しかし確かな絆によって紡がれた感情、関係で、何よりも尊いものだと私は思います。
宇宙の果て、世界に置き去りにされた二人のアバターを乗せて列車は走る。行き先なんて、無い。
この、刹那を肯定する関係性を私は「百合」と呼んでいて。
だからアバターが女の子同士であることや肉の器の如何は関係なく、『VRおじさんの初恋』は文学的エモーショナルを放つ「百合」なのだと感じています。
バーチャルの関係性。それはとても刹那的だ。
少なくとも現代社会においてその関係に「その先」は提示されておらず、回答が与えられるのも遠い未来の話だと思われる。
しかしそもそも、そんな「回答」は必要なのだろうか?
無論、その関係に未来を求めてしまうという気持ちは分かるし、未来があるに越したことはないのでしょう。
しかし、それは決して「未来が無ければ意味がない」ということにはならない。
バーチャルにおいても、現実においても未来の無いナオキとホナミの結び付きは、されど絶対に無意味なんかでは無い、と私は思います。
刹那でいい。その感情自体に、何よりも意味があるんだ。
そのひと時は、掛け替えのないものだから。
命短し、恋せよバーチャル。
※画像じゃんじゃか引用してしまったので何か問題ありましたら該当箇所削除いたします。
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