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現状報告〜ヘルニアン・ラプソディ〜

あまり表立って言いたくもなければ言う必要もない、しかし、一部の人たちには知っていて欲しい。
そんな自分の今を書きたいと思います。
お付き合い下さい。

実は去年のちょうど今頃、仕事で怪我をしました。
首のヘルニアです。
症状は重いものでした。
MRIの画像を見た時、素人でも理解できるほどでした。
医者からもかなり大きいヘルニアだと言われ、愕然としたのを覚えています。
兎に角、痛い。
起きている間、姿勢は少しでも楽な姿勢をとらざるを得ず、そうすると奇しくもジョジョ立ちのような様相となり、とても外出できるような状況ではなくなりました。
日常生活のほとんどに支障を来たし痛みで息も絶え絶え、苦しい日々でした。
夜もどんな体勢で寝ていても激痛で、ふせったり起き上がったり、唸り声をあげながら布団の上でうごめく化け物のようでありました。

さて、この地獄のような怪我をどう治療するかというと、まず医者に言われたのは自然治癒でした。
ヘルニアはある程度までなら自然治癒するらしく、個人差はあるけれどもまずは2,3ヶ月の自宅療養を勧められました。
当時、既にコロナ禍で手術をするにもいつ出来るようになるか分からない状況であり、自分自身、首の手術というものに大変な恐怖を感じたため、勧められた通り様子を見ることにしたのです。
その間、リリカ(プレガバリン)という神経性の痛みに効く薬とロキソプロフェンを毎日摂取していましたが、1ヶ月ほどすると痛みはなんとか我慢できるようになり、夜もそれなりに眠れるようになりました。

触れるのを忘れていたのでここで痛み以外の症状について説明します。
首の骨と骨の間にある髄液が外に漏れ出し、それが神経を圧迫して症状が出るのですが、賢明なみなさんならお分かりの通り、神経関連と言ったら痛みの他に痺れや麻痺という症状が主立ったもので、例に漏れず自分もそれらが深刻なレベルで発生していました。
首の下から背中を通り左手末端までほとんど感覚が有りませんでした。
力も全く入れられなかったため、左利きの私はかなり不便な生活を余儀なくされてしまいました。
バンド活動も行っている自分にとって、ギターがまた弾けるようになるのかも大きな心配でした。

先に書いた通りひと月が経過した頃には痛みは耐えられるほどになりましたが、感覚の方はそれほど良くはならず、ひたすら布団の中で安静に過ごす日々。
痛みについても薬の恩恵が大きく、飲み続けなければなりません。

発症から2ヶ月後の2度目のMRI検査の結果、ヘルニアは少し小さくなり自然治癒している事実を知ることになります。
しかし、今にして思えばこのことがかえって怪我の終息を遅くしてしまった要因でした。
この結果を受け当時の担当医は、このまま自然治癒で今より良くなりそうだと見解を示しました。
実際に私も薬に頼っているとはいえ少しずつ症状は軽くなっていたのでなんとなくその言葉を信じました。

先にはヘルニアを怪我と称しましたが病気と言えばいいのか何と言えばいいのか未だに自分でも分かっていないのですが、なんせ面倒でやっかいな疾患だと今では強く思います。
何故かと言えばまず発症原因を特定しづらい、されづらいという点です。
そのため最も労災が認められにくい怪我のひとつと言われています。
私の場合、仕事中に重い荷物を持ち上げた瞬間に首にピキッと音を伴って痛みが走ったのが直接の原因でしたが、首や腰への負荷というのは普通に生活しているだけで生じているものであるという言い分で労災の申請を認められないケースが多いそうです。
(私の場合は申請が通り、受給させて頂いております)
そして1番の問題が個人差が大きいという点です。
ひとくちにヘルニアといってもまず首と腰があり、そしてそれぞれ何番目の骨と骨の間で発症しているかによって症状に差が出てきます。
更に髄液の漏れ具合の大小と症状(痛みやしびれ、麻痺)が必ずしも比例しないこと、どこまで自然治癒するか、またそれにどれくらいの期間を要するのか、手術した場合はどこまで回復するのか。
それら全てに個人差があるという言葉でしか医者も説明できないらしいのです。
以上のような特性から、身近でよく聞く疾患ながら一般の方からも正確な理解が得にくく、心ない言葉をいくつも浴びせられました。

話が脱線しましたが、このように手術しても回復の度合いは未知数で、まだ自然治癒しそうだと言われたら、手術を見送りたくなる人の方がほとんどだと思います。
加えて自分の場合は職種上、ヘルニアからの復帰に対して職場側が慎重であったことも相まって、更に2ヶ月間、自宅療養するという判断を下しました。

(しかし、ここまで随分と長くなってしまいました…)

そして発症から4ヶ月、3度目のMRI検査の結果はあまり芳しくなく、自然治癒はあまり進んでいませんでした。
この頃は痛みはかなり落ち着いていましたが感覚の方が相変わらずで左手は使い物になりません。
いよいよ手術の選択が現実的になっていたのですが、また別の問題がありました。
あれだけ私の復帰に慎重だった職場なのですが、その割に労災申請の手続きを怠っていました。
自分からは何度も催促しましたが、その度はぐらかせれていたのです。
労基に自ら相談の電話をした結果、やはりこの時点で手続きが終わっていないのは異常らしく(すみやかに対応、手続きしてもらえたなら1ヶ月かからないものらしいです)労基から職場に対して指導することを提案されましたが、復帰後の自分の立場を懸念してそれを断りました。
結局、職場が手続きを完了したのは発症から半年以上過ぎてからで、補償を受けることができるようになったのは更に2ヶ月後のことしでした。
この職場の対応に対し、私は復帰を急ぐ意思を完全になくし、労災が認められる間はずっと自然治癒を目指す方向で療養する判断をしました。

8ヶ月の月日が経ち、ようやく諸々の状況が整い、手術することを決意します。
痛みは辛い時だけ薬を飲む程度までやわらぎ、筋力の低下を食い止めるための軽度なリハビリも行えるようになっていました。
そして今年の6月の頭、実に発症から9ヶ月でついにメスを入れることになりました。
仕事復帰や音楽活動のためにはやはりどうしても手術する必要があったのです。

執刀医は実に腕の良い先生で首の後ろに1センチにも満たない跡が残ったのみでした。
それも時間と共に更に目立たなくなると思われます。
私の患部はたまたま首の後ろ側から手術できる位置だったので難易度や危険度ははかなり低いものだったらしいです。
(位置が悪いと首の前からの手術となり、その場合はリスクが跳ね上がるそうです)
手術時間も約1時間とあっけないものでした。
それでもかなりナーバスになり、前日には睡眠薬が必要でした。
大概の手術で行われる準備でしょうが前日夜からの食事制限、当日の下剤、術中の尿道カテーテルなど、かなりのストレスや痛みが伴いました。
下剤は指導係に同伴してもらっている新米女性看護師に入れられそうになりましたが全力で拒否しました…
入浴も病院側の手違いで予約した時間に女性の方が利用していて、危うくラッキーすけべな展開が繰り広げられるところでした。

…術後、患部自体の痛みは鎮痛剤の点滴と服用で大したことはありませんでしたが、それよりも全身麻酔の副作用が疲労と相まって酷く辛いものとなりました。
3時間ほどは鼻に酸素を送るチューブが入ったままになっておりそれが苦しかったのですが、取れたら取れたで上手く呼吸が出来ずとても苦しい思いをしました。
加えて、頭痛やめまいがあり、はばからず唸り続ける一晩となりました。
全身麻酔の手術後にはよくある症状らしいです。
チューブが取れるタイミングでさっそく身体を起こして歩行を試みなければならないのですが、その時の恐怖は中々のもので、何せ首の手術の後ですから負担をかけないように起き上がりたいのですが、麻酔の影響で全身に上手く力が入らないのです。
なんとかよろつきながらふらつきながら手すりにすがりつつ立ち上がることが出来ましたが、ドレーンやら点滴やらのしがらみが付きまとい、歩きにくいことこの上なく、しかも消灯しているわ廊下までの通路が狭いわで何の罰かと思われました。
そういえば手術前から腕に針を通すのですが、利き手じゃない方と言われて右手を差し出したのですが、失敗され、結局左手に変更になりました。
2回刺されたんです。
ですが、手術を終えてみたら何故が右手に刺さってるんです。
????…
どうやら手術するのに左手側では都合が悪かったらしく、2度目の変更をされたとのこと。
そんなの最初から打ち合わせしといてくれよと。
なんで3度も刺されなければいけなかったのか…
更に思い出したんで書きますがコロナ禍なので入院前にPCR検査をするのですが、病院の外の仮設テントの下で鼻の2穴とも入念に何度もぐりぐりやられて痛いのなんの。
個人的に検査してもらったときは片方のみだったので面食らいましたね。
しかも直前に受けたおじさまの異様に苦しんでいる様を見せ付けられていたので本当に嫌でした。
話は戻って、立ち上がり、歩行した後、大丈夫そうならそのまま排泄をうながされます。
少なくとも4時間は寝たきりだったので尿意がありお手洗いに言われるがまま直行したのですが、サモアンフックを食らったのかと思うほどの不意打ちの排尿痛が。
術中にカテーテルが入っていた影響で当然の悶絶となるわけです。
乱れ散る汗と尿、ズボンを汚さないようにするのがやっとでした。
手術によっては術後意識も戻り麻酔も切れている中で管を取らなければならないこともままあるようで、考えただけで気絶しそうです。

このように入院、手術にはありがたくない苦痛のオプションが沢山ついてくるよ、ってお話でした。

ドレーンが取れ点滴が取れ、体ひとつになり身軽になるころにはもう退院が翌日に控えていました。
入院期間がたまたま施設のメンテナンス日と重なったため入院が1日長くなりましたが、それでも5日で退院となりました。
変にいろいろありましたが手術自体は上手くいったし、忘れられない入院生活です。

そして、手術から2ヶ月後からリハビリができるようになりました。
驚くほど手の感覚が戻った実感がありましたが、それでも検査したところ発症前の6割程度の機能回復でした。
今もまだ本当に簡単なリハビリメニューしか出来ません。
通院していてもほとんどは長い闘病期間で凝り固まっている筋肉をほぐしてもらう時間です。
ここから更に長い時間をかけて、少しでも良くなるように努めなければなりませんが、完璧に回復することはまずないようです。
ヘルニアは再発のリスクも高いため、一生ケアしながら、注意しながらの生活です。

最近はようやく、家事など身の回りのことを少しずつ出来るようになりました。
ギターも少しずつ触れる時間が長くなってきています。
SNSも更新出来るほど気持ちも上がってきました。
ずっと引きこもっていましたが外出も時々はするように心がけています。
歩くことが非常に良いのです。
ここまで生活が戻ってきたことが素直に嬉しく、楽しいと思えます。

正直に言うと精神的に相当まいっていました。
この先、自分に出来ることなんて何もないんじゃないかと本気で思っていたし、実際に何も出来ない期間がひどく長かったので。
今も少し何かするとすぐ疲労するし、痛みはくるし感覚も鈍くなりますが、それでも発症当初と比べると見違えるほどに改善しています。

最後に。
とてもありがたかったのが、バンドメンバーの存在です。
症状がある程度落ち着いてからというもの、自分には何もできないのに我が家に定期的に集まってくれて、曲作りをしたり、ご飯を作ってくれたり、いつもの下らないやりとりの応酬だったり、それはもう、やんややんやと一緒に過ごしてくれました。
ネガティヴのスパイラルに沈みきらずに済んだのは彼らのおかげです。
洒落臭いですが。

まだ先ですが久しぶりのライブも決まりました。
(はなはだ不安ですが、自分が駄目そうでもメンバー全員歌えるし何とかなります)
仕事の復帰も前向きに目指してリハビリに取り組んでいます。

当たり前だった多くのことが出来なくなって、時間だけは沢山ありました。
なんだか第二のモラトリアム期間が訪れたようで、いつか必ずこの時間が活きてくると信じて、必ず活かすつもりで、これからの人生に向き合っていく所存です。

小さな幸せがそこら中いっぱいに転がっていることを身をもって知ったいい機会だったと思います。
5000字も超えたところで、いい加減この話はお仕舞いにします。

駄文、長文にお付き合い下さりありがとうございました。

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