沓掛城址 今川義元が討たれる前夜に宿とした城 (豊明市)

画像1 今川義元は桶狭間の戦いで信長に打たれる前日に鎌倉街道沿いにあるここ沓掛城に泊った。
画像2 沓掛城がある豊明市の令和元年7月の人口は約69,000人。そのうち15歳から40歳の男性の人口は約10,500人。今川方の当時の軍勢はその2.5倍の25,000人。45,000人ともいわれていますがいずれにしても兵站が半端ではない規模。
画像3 本丸 井戸が見える。沓掛城は三河の国から境川を越えて尾張の国に入ってすぐにある城だ。
画像4 諏訪曲輪から見た本丸
画像5 兵糧搬入に成功した家康がいる大高城はここからはすぐそこ。その途中に運命の桶狭間がある。
画像6 篠田出羽守は今川義元が桶狭間で休息していることを信長に伝えた。その恩賞としてこの沓掛城を与えられた。
画像7 地図を見ると元々はもっと広かったようだ。ネットで調べると二人の年齢は信長26歳、義元41歳。若っ!!

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