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割と、ひねくれたまま大人になった

SNSの短い文章だとなかなかにむずかしいので
自己紹介的なもの書きました。
私と絵とは、みたいな読むのがめんどくさい感じになってるかもしれないので、めんどくさかったら離脱推奨です。笑

特別絵ばかり描いてはいなかった、でも絵を描いていた

絵を描き始めたのは明確なきっかけがあります。
小学校1年くらいの時に母の職場に連れて行ってもらったとき、
母の同僚の優しい女性に絵を描いてもらったこと。
幼い自分には簡単な線で動物や虫がどんどん生まれてくることが
ものすごく感動的なことだったんだろうな。
絵ってすごい!と思ったのを覚えてます。

とはいっても子供の頃から多方面に興味ばかりがある私は
寝ても覚めても絵ばかり描いていた、というわけではなかったんですね。
興味の湧いたあらゆるものに手をつけて
どの分野でもとりあえず
「全くできない人よりはできる人」
にはなったけど、なにか一つだけを追求することはできなかったんです。
いわゆる器用貧乏ってやつ。
(ピアノ、書道、手芸、吹奏楽、オーケストラ、ボイトレ、ダンス、その他諸々…嗚呼諸々)
なにか一つに没頭できたらよかったのにと
何度自分の性格を恨んだことか。

ただ、
なにか新しいことをやり始めたときでも
絵を描くことだけは常に同時進行だったんです。
いろいろ続かないこともあったけど
絵だけはなんだかんだ描いてきたな、
と客観的に振り返ることができたのはつい最近の話。

絵は言葉よりも自己表現できる方法

絵を描き続けてきたのはなんでか考えると
いろいろと理由はあるのかもしれないけど
(すみませんあまり深く考えてない)、
一つ言えるのが「言葉は凶器」だと思っていること。
(なんかいきなり重そう…)
絵の話なのに言葉の話になりますすみません。

小学校高学年のとき、
私は相手のことを考えて言った言葉だったのに
実は相手にとってはすごく嫌な言葉だった、
ということがあります。(友達が話しているのを聞いてしまった)
思いやっているつもりでも傷つけてしまうことがあるんだと、
身を持って知りました。
言葉というのは必ずしもこちらが届けたい通りには届かない。
どんなにいいことを言っても、
優しい言葉をかけても、
相手にとっては凶器かもしれない。
その意識がずっとあって。
だから私は言葉選びが苦手。
しゃべるのが苦手だといろんな人に言いまくるのはこのせいです。

その割にはおしゃべり自体は嫌いじゃないから案外しゃべるんですよ。
相手が話を振ってくれれば。
めんどくせえな笑

熟考できるから画面上の文字のやりとりだと割と陽気。
でも対面だと言葉を考えているうちに沈黙しちゃって会話が続かない。
めんどくせえな笑

悪い言葉はもちろん、
「良い言葉」を「良い言葉だ」と感動することもできないんです。
良い言葉だけを振りかざして人の心を操ることもできちゃうし、
その言葉はどこかの誰かには嫌な言葉かもしれない。
だから歌の歌詞にあんまり感動できないんだよね、
世間的に”いいこと”を言うのは簡単だし。
それを「良い歌だ」と共感しなきゃいけない雰囲気とかもいや。
だからボイトレしてたときも、結局”良い歌詞”なんて書けなかったなぁ。
あれ、自分で書いててなんだけどめちゃくちゃ卑屈なヤツですね〜笑

そんなヤツだから言葉に疲れてちょくちょくSNSを放棄します。
本当は全てやめてしまうのがいいのかな、とも思うこともあるけど
やりたいことやるにはSNSが必須という悲しい現状。
でもSNSの中は思っていたより優しい世界も広がっているから大丈夫。

まあだから、ツイートは少なめだし、
返信しようとすると考え始めちゃって時間かかって、
うわー!ってなって、
結局いいねだけポチィッ!!
で終わらせてしまったり。
ってことが多々あるのでこれを読んでくださっているフォロワー様、
今日はコイツ頭回ってないんだな、
と生暖かい目で見守っていただけると幸いです。(おい)
本当は全てに全力で返したい気持ちが爆発しております。

というわけで、めちゃ重くてめんどくさい話に逸れましたが
「言葉以外で表現できる方法だから絵を描いてきた」
のかな、と自分を分析。
振り返ってみるとダンスとボイトレやってたときも、
言葉じゃない表現であるダンスのほうが力入れてたなぁ。

その人の心休めるときの一部に

そんな感じにひねくれたまま大人になってしまった私は今
「誰かのほっとできる瞬間の一部になれるイラストを」
をコンセプトに掲げて絵を描いている。

人それぞれのほっとできる場所とか、物とか、その一部になれたらと。

ほっとできる場所に私の絵が飾ってあるとか、
そこでいじっているスマホの待ち受け画面が私の絵とか、
スマホの中のSNSのアイコンが私の絵とか、
グッズ化できたらストラップやTシャツとかトートバックとか、
そういうものがそばにあるとか。
そんなほんの一部でいい。
小さなお気に入りの一つになれたら嬉しい。

人それぞれのほっとするときは人の数だけあるから全員はできないけど、
自分が愛する作品でどこかの誰かの心がほぐれるようなものを描きたい。

かわいいを共有することもいいけど
かわいいは強制的になっちゃう気もして
かわいいに寄りすぎないように意識して絵を描いている。
私のひねくれた絵を好きになってくれる人がいたらいいな。
そんなNFTコレクション出したいな、なんて。

「いいこと」言ってるじゃん、と思われたらそれはそれでいい。
仕方ないけど言葉じゃないと伝えられないことはあるから、勇気を出してこれを綴っております。
これを読んでこんなめんどくさそうなやつと関わりたくないと思ったらそれでもいいです。
それでも繋がっていてくれる人を大切にしたい。
SNSで返信ちゃんとできないときもあるかもしれないけど。

そんな絵描きです。
NFTについてはまた考えてること別記事で書こうかな。


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