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「最後の決闘裁判」「キャンディマン」

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 明日はついに「DUNE /デューン 砂の惑星」を観るので、その前に2本の感想をまとめて。

 まずは「最後の決闘裁判」から。そういえば、監督のリドリー・スコットってベテランだけど何歳だっけ?と思ってググったら御年83歳!再びアダム・ドライバーを起用した「ハウス・オブ・グッチ」の公開も控えているし、本当は5人くらいいるのでは?と陰謀論者みたいなことを思ってしまうほど今回もいい仕事ぶり。

 中世フランスを舞台に、騎士カルージュの妻マルグリットが夫の旧友ル・グリに暴行されたと訴えたことにより行われた決闘裁判を実話をもとに描いています。まず羅生門的に第一章と二章でカルージュとル・グリの視点から事件までの流れが描かれ、最後の第三章マルグリットの視点は「真実」と題されているところに大きな意義が。その真実を知ることで、人間は都合のいいように記憶を書き換えたり美化したりする生き物だということが浮かび上がってくる構成が素晴らしい。

 マルグリットが尋問されるシーンでは、中世と違ってさすがに裸で火炙りにされることはないにしても今も女性が性被害を訴えたら「隙があったのでは?」「実は好意があったのでは?」「私なら黙って穏便に済ますのに」とネットで炎上したりするのは同じだと思うとゾッとしました。きっとこの作品を監督と同年代の日本人に観せたら大半は同じようなことを言うのでしょうね・・・。そこがアメリカと大きく違うところで、リドリー・スコット監督はMee Too運動が始まるずっと前から闘う女性の姿を描き続けてきただけのことはあるなと思いました。

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 次は「キャンディマン」です。ちなみに92年版「キャンディマン」の続編ということなのですが、当時12歳だった私は予告編の蜂の大群のイメージが怖すぎて観られず。今は十分大人になったので、さかのぼってそちらも観てみるつもりです。(未見でもストーリーはちゃんと分かるのでご安心を)そんなわけで私は勝手に「キャンディマン」をフレディやジェイソンのような殺人鬼だと思っていたのですが、むしろ黒人たちを迫害する白人から守るダークヒーローのような存在だったのですね。無実の罪を着せられ白人警官に殺されるカギ爪の男の話はジョージ・フロイドさん事件を彷彿とさせ、社会派ホラー「ゲット・アウト」のジョーダン・ピールが製作に関わったのも納得。グロいというか痛そうなシーンもあるけれど、美術批評家が殺されるシーンの撮り方など妙にスタイリッシュなのはさすが。

 カギ爪の男を少年時代に目撃したコインランドリー店主の台詞にあったように、上辺だけきれいに取り繕っても何度も何度もシミのように浮き上がってくるのが差別問題で、それを忘れるなとでもいうように繰り返しキャンディマンが現れるのです。エンドロールの影絵も心にズーンとのしかかってきて後味は決していいとは言えないけれど、単なる怖いだけのホラーではないので観て損はないかと思います。

 見出し画像は「あーたカリカリが入ってないじゃない。どういうことなのかしら?」とデヴィ夫人の口調で言ってそうなおかゆ嬢です。別に意地悪をしているわけじゃなく、食べ過ぎ防止の為なんだよ・・・。急に寒くなったので皆様体調崩されませんように。