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#18 両親へ伝えなきゃ

告知を受けた次の日も検査。
病気の有無ではなく、ガン治療を受ける事ができる体かどうかの検査だ。

こういうのもあるだなぁと思いながら病院到着。


まずは歯科で検診、その後レントゲンを撮った。
がん治療中は口の中で副作用が現れるので、治療の邪魔にならないようあらかじめ診ておく。

続いて聴力検査へ。


今回使用する抗がん剤の副作用は、難聴、耳鳴りが起こる可能性が高くはないがあるので、
治療前に正常な聴力かどうかを検査する。

口腔内も聴力も問題なくクリア。
これで晴れて?治療を始める事が出来る。

治療法、入院の日程が決まったところで
ガンの事をみんなに伝えなければならなかった。


ガンになった方はみんな経験するであろう家族への報告。これはなかなか辛いものがある。
(※嫁は一緒にいたのでクリア)

病院の帰り道、まずは弟に連絡した。

ここで初めて言うが、
実は弟も四年前に腎臓ガンを患っていた。

今は手術も成功して元気に仕事をしている。


自分が四年前にそれを伝えられた時は凄くショックだった。
余計な事を、心配になるような事を言わないように、と


『大丈夫、大丈夫だ。治るよ…』


平平で、甲斐の無い言葉を言ったのを覚えている。
選び過ぎ?いや言葉足らずだったなぁ…


逆の立場になってどう伝えればいいか迷いながら
弟に電話すると、思いも寄らない言葉が返ってきた。


「ステージは?」
「治療法は何?」
「手術は?」
「とりあえず気持ちは強く持って…」
「高額医療制度ってのがあるから…」
「なんかあったらなんでも連絡して」

と…


違う。

レベルが違すぎる。 


経験者というのもあるが、
すごく冷静かつ的確、専門的、でも暖かく不安を取り除くような言葉が並んだ。

兄として何も言えなかったあの日。
弟としてこんなにも言ってくれた今日。
なんか情けなさ、恥ずかさが混じってぶつかってきた。


でもありがとう。本当に本当に心強いよ。



次は両親への報告。


緊張。


幼い頃小児喘息だった。
春先、秋口の寒暖差でよく発作が起きては病院に連れていってもらい、嫌がる吸入器を何度も当てられ
「これやんなきゃ元気になれないよ」
とよく叱られ、心配ばかりかけた幼少期。


40過ぎてまた病気で心配をかけてしまう。


何といえばショックを最小限に抑えられるのか。

自分がどういうモチベーションで伝えたら両親の不安を軽減できるのかを考えてもすぐには答えが出ない。




神妙な面持ちの頬と耳の間にスマホがペトっとくっついた。
呼び出し音が駆け回る。 



プルルルルルルルー

プルルルルルルルー

プルルルルルルルー


父「もしもし?」


鉄道好きの父が電話に出た。
世間話もほどほどに本題へ

岡「なんか首にしこりが出来ちゃって大きい病院で診てもらったら・・・」

説明を進めるにつれて父の返事が重くなったのがわかる。


父「…それで?」

岡「ガンだって…」

父「え、本当に?…なんで…」




『なんで…』と嘆いていたのが辛い。その後の言葉も詰まって流れてこない。



父「……そうか、それで病院はどこの?大丈夫?」

ショックを受けていた。全然軽減出来なかった。
久々の電話でこんな告知がくるとは想像もしていなかっただろう。


ここで一番心配なのが母だ。
もしかしたらショックで倒れてしまうかもと
弟から助言があったからだ。



岡「お母さんに代わって」

母「もしもし」


説明する。

母「あ、そうなの、やだねー」

ん?
何だかリアクションが軽い
あれ?思ってたのと違う・・・


岡「あれ?軽くない?」

母「いや、もうショックは受けないよ。
1回目の弟のでショック受けたから
もう2回目はそんなにだね。
何回も何回も驚いたってしょうがないじゃない」


おいおい!!!そっち?
2回目は弱まるの?

というか精神バリくそ強いぜ母ちゃん!
心配して損したわ!
2回目もびっくりしてもいいのに…
ま、いいか。


でも心配かけないように毅然と振る舞っていたのかもしれない。


母「とにかく病院の先生の言う事聞いて治してもらいなさい」

ありがとう両親。治療頑張るわ!まだ生きるよ!


                     つづく


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