【書き残し】豚丼や羊肉という食文化

以下の記事は2010年頃、機会があったのでまとめた文章です。
ちょうど4月1日から私の地元である帯広・十勝を舞台にした、
朝の連続テレビ小説「なつぞら」が始まるので、改めてこちらに写してみました。

ちなみに、なつぞらの舞台は昭和20年。戦後ですね。
その頃に、マルセイバターで有名な「六花亭」の元になった会社ができていたり、三方六で有名な「柳月」ができていたりします。
広瀬すずちゃんの物語にそのあたりも絡んでくるのでは無いでしょうか。

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食べ物がおいしいというイメージのある北海道。
そんな北海道(特に私の地元の帯広がある十勝近辺)の食文化について
熱く語った機会が先日あったので、文字に起こして見ました。

「なぜ帯広は豚丼ができたのか?」

帯広の開拓者「依田勉三」が晩成社を結成して静岡は伊豆から開拓に来ました。時に明治16年。東京では鹿鳴館が開館した頃です。

当時の帯広はやせ細った土地が無限に広がった盆地だったそうです。
そのため開墾しても開墾しても育たない作物。
もうへとへとにつかれた他の仲間達が嘆いている横で
依田勉三が「開墾の初めは豚と一つ鍋」と詠んだそうです。

開拓時は、豚は食用、鳥はたまご、
牛は乳と作業用という区分けができたそうです。
そのことから北海道の農村部は、
肉を食べるというと豚を食べていたとのことです。
よって豚を使った料理が多いんですよね。

室蘭の焼き鳥(という名の豚串)
すき焼き肉は豚。そして、豚丼。

できた経緯は帯広の老舗超有名店が、
1933年(昭和8年)頃、
とんかつ・すき焼きくらいしか豚肉を食べる方法がなかった豚を
他に食べる方法がないかと思案して、
うな丼を元にして作ったのが成り立ちだそうです。

ちなみに・・・
ラムを食う様になったのは
国策として羊毛を手がけた(1935年<昭和10年>)頃、
羊毛を取ったあとに頂けるということで、
一気に広がっていったようです。

やはり、羊の育てやすい北海道が主ということで、
北海道にジンギスカンが土着しました。
「牛肉は高価なもの」
開墾から戦時中まで人手や動物に頼る畑作が続きました。
そのため、力のある牛や馬は非常に貴重なものでした。
いわば働く友。戦友ですね。

大きな戦争が終わり、エネルギー転換がすすみ
自動車が普及するまでまでその文化が続きました。

それまで、牛といえばホルスタイン種であり、水牛であります。
なので、食べる牛といえば廃用牛(働けなくなった牛)を
いただいていたそうです。
廃用牛肉はホルスタイン種ですと乳臭いし、
水牛とかですと獣臭くて美味しくなかったそうです。

そのため牛は美味しくないものでした。
後に食用牛肉が入ってきてから、
牛を食べるという文化が広まって来ました。
いまでは隣町の池田町には「いけだ牛」というブランド牛が出てきました。

牛は乳臭くて美味しくないといって、
亡くなるなるまで食べなかった方とか、
初めて牛をおいしいと思って食ったのは40歳になってからとかいう
現在90歳頃のご老人とか結構います。
私の知り合いのおじいさんもそうでした。

そんな北海道の肉文化をみなさんも知っていただければと思います。
これが、北海道で肉といえば豚肉という形で、
郷土料理として残っている理由です。

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