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明治二十二年十一月七日 午後十時四十分  刻限御話 解釈

諭達第三号に掲載のおさしづ「ひながたの道を通らねばひながた要らん」とのお言葉。

少し長いが、全文の解釈がかなり面白いので、紹介する。

時間がある時にぜひ読んでほしい。

おさしづ
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分  刻限御話

さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭 そう。もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。何でも彼でも、一つ見れば一つの理 がある、聞けば一つの理がある。二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。あちらへ回り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。ひながたの道通れんような事ではどうもならん。長い事を通れと言えば、出けんが一つの理。世界道というは、どんな道あるやら分からん。世界の道は千筋、神の道は一条。世界の道は千筋、神の道には先の分からんような事をせいとは言わん。ひながたの道が通れんような事ではどうもならん。どんな者もこんな者も、案ぜる道が見え掛けてはどうもなろまい。一日二日経ったらと言うたら、どんな事やと思て居たやろ。ちゃんとしてやる道は見るも同じ事。ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。これをよう聞き分けて、何処から見ても成程やというようにしたならば、それでよいのや。十年あとの道は、どんな事を説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うて居たのや。国々の者やない。そこからそこの者でも分からなんだ。なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて 来た。なれど千年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。ひながたの道がどんな日もある。ひながたの道にはいろ/\ある。誠の道も蒔いた事がある。なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。世界には何を言うやら大工がと。日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい。後二分というたら僅かや。まあ何年居てくれたら、内も結構や。なれどもどうも半端である。十年の間、八年の間の苦労は容易やない。なれども、まあ後二年は何でもない。八方明けたら明らかや。もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮は無い。皆貴方々々と言う。ひながたの道が出してある。ひながたそばにある。めん/\もたった三日の辛抱すればひながたの道が。以前々々は、我が/\のようにして通りて来たのや。三日の日は越せんという理はあるまい。どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。まあたった三日や。三日は分かろうまい。今と言うたら、今の事のように思う。ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。前々は我が俺がと言うて居たなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。三日の辛抱さえしたら、どんな道があるやら分からん。あちらも狭ばい、こちらも狭ばい。あちらも広め、こちらも広めに運ぶ。三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば 何ぼに成るやら分かりゃせんで。一日々々の日が近寄る、何処から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあと言う日は、まあ三年の間や。三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。そこで、難しい事せいとは言わん。古い型のひながた、見えてある事分 からん。一年後というものは、大方成るかと思えばどんと行き、これではならんという処から、一寸道を開き掛けた。まあ/\世界から見れば往還。細道は通りよい、往還通り難くい。何を言うと思う。往還通り難くいという理聞き分けたら、三日の間や。なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。たったそれだけの事が分からん。そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。



おさしづ大意  

さあ、ちょっと話して聞かせよう。あれこれ、いろいろのことをとりまぜて神の思いを諭しておこう。たすけ一条のため神は、今は、もう日々いそがしく非常に急き込んでいるのである。だから日々見るもの聞くもの、何もかもに、神のたすけ一条の思いがこめられているのであるから、お前たちは、見ては道の理を思案し、聞いては道の理をさとり、神の思わくを心に治めてくれなければならない。けれども、むずかしいことは言つていない。また、お前たちのできないようなことをせよとも、どうしてよいかわからないようなことをせよとも言つていない。お前たちのなすべきことについては、すべて一つ一つについて教祖の行為を通して教えておいたひながたの道がある。そのひながたの道を通れないというようなことではどうにもならない。存命の教祖は日々あちらこちらと先回りをして守護している。たとえば三十日むこうのことを願えば、五十日むこうの守護をしているのである。そのことを、お前たちは知らずにいる。この親心がわからないようなことではどうにもならない。せつかく親のひながたが示されているのに、そのひながたの道が通れないというようでは、どうにもならない。それも長い年月にわたつて通れというのなら、あるいは通れないというのも道理かもしれない。しかし実は、それほど長い間通れと言つているのではないのである。
世上の道というものは、先々どんな道があるかわからない。世上につけられた道は幾筋にも分かれており、どの道をたどればよいか明らかではない。しかし神の道は、陽気ぐらしへの一筋の道である。世上の道は千筋であつて、先々行き迷つてしまうような道もある。一筋の神の道では、先々どうなるかわからないことをせよとは教えてはいない。かならず先々に結構と思う道を見せるのが神の道、ひながたの道なのである。そのひながたの道を通れないというようなことでは、どうにもならないのである。たとえ、どんな者でも、悩まざるを得ない道が見えかけては、どうにも困つてしまうであろう。今までも「一日二日経つたならば」と神が先のことを言えば、お前たちは、それがどんなことかと思つてきたであろう。しかし素直に、この道を通つておれば、それでまちがいないのである。この道こそたすけ一条のために神がつけた道であるから、かならず、このさき結構になつてくるということは、この目で見るように明らかなことなのである。たすけ一条のために示したそのひながたの道を通らないようならば、教祖が示したひながたの道というものは必要がなくなつてしまう。ひながたをしまいこんでしまつて通ろうとしないようなことであつては、神の思いは無意味になつてしまう。このことを、よく聞きわけて、どこから見ても、なるほどひながた通り、りつぱな通り方をしていると言われるようにしたならば、それで、まちがいないのである。

(大意) 天保九年十月二十六日からあと十年ほどの間は、どんなことを教祖が説いて聞かせても、どれほど説いても、人々はみな「そんなことはない、何をばかなことを言つてるのか」などと言つて、すこしも信じようとはしなかつた。このことは決してぢばを遠くはなれた国々の者ばかりのことではない。ほんの、この近所の者ですらわからなかつたのである。けれども、それから十年たち二十年たち、その間、言葉でも表現できず、筆をもつてしても書きつくせないような容易ならぬ道を通つてきたのである。しかし、それとても千年も二千年も通つたのではない。わずか五十年の間のことであつた。その五十年の間のひながたの道すがらを、五十年とか三十年通れと言えば、お前たちにとつては、むずかしいであろう。しかし神は、二十年も十年も通れとは言わない。十年のうちの、いわば三つ、三年間の道を通れと言うのである。その三年といえば、苦労の五十年を通つた教祖ひながたの道すがらから見れば、三日くらいのものである。それを最後まで通りきればよいのである。わずか千日間の道を通れと言つているのである。実は、その千日の間の道を通るのが容易なことではないのである。教祖によつて示されたひながたの道のほかには、陽気ぐらしへ通ずる道はない。たとえ人間思案で急いでみたところでどうにもならないのである。ひながたの道よりほかには、たしかな道はないということを、お前たちは、しつかり心に治めておかなければならない。ひながたの道をたどる上には、照る日くもる日と、どんな日もあるであろら。また通り方にも形の上では、いろいろにあるであろう。たとえば本席が、誠真実をもつて通つた道すがらのことも、お前たちは聞いたことがあろう。けれど、そうした中に、何年たてばこうなるという、たしかな筋道があらわれているであろう。実際に神の話は、はずれていることはあるまい。このように年限つんだこうのうの理は、何時かは、かならず現われてくるものである。本席の生涯を見るがよい。世間では「大工が何を言うやら」とか「日本一の大工やというが何を言つているやら」と、みんなで笑つていたのである。しかし一途に、真実をもつて通つたからこそ本席にも定められたわけで、こうした事実を、よく思案しなければなるまい。たとえば、十のものなら八つという、あと二分のところで道を放つてしまえば、たしかに八分だけ通ったことにはなるが、それでは決して充分ではないし完全ではない。これまで通つた八分の道も、それでは意味がなくなつてしまう。ここがむずかしいのである。のこつたあとの二分の通り方がむずかしいのである。あと二分と言えば、わずかなことである。けれども、もう何年か教祖についてきていたなら、内々とも「結構やなあ」と言えるようになるのに、あと二分というところで放つてしまうのは中途半端であつて、充分の理にはならないのである。十年間とすれば、八年の間の苦労は、なかなか容易なものではない。しかし八年通れば、もうあとの二年は、それにくらべれば何でもないことなのである。そこで、この二年を通りきりさえしたならば、充分の理となり、八方あけて明らかな道が見えてくるのである。もうわずか、いわば最後の三日、すなわち十のものなら、最後の二分を通りきるしんぼうをしとげたら、誰に遠慮気がねもなく、みんなに「貴方々々」と仰がれるようになるのである。
(大意) お前たちの通りよいように教祖のひながたの道を示してある。そして更には、そのひながたを素直にたどつた本席の手本雛形の道がお前たちの身辺にあるではないか。だから、お前たちも、いかに苦労の道中があろうとも最後まで通りきつたならば、あとあとの手本になる道をつくることができるのである。本席にしても、昔はみんなと一緒に、「おまえが、おれが」と言つた仲で通つてきたのである。それが本席となつたというについて、その理を、よく思案してくれなければならない。そうした本席の手本雛形の道が目の前にあるのだから、お前たちにしても、しめくくりの最後の三日間を通り抜けられないという道理はあるまい。誰でも教組のひながた通りに通りきつたならば、ひながたを目標に通りきつた本席の道と同じように受け取つてやろう。それも、最後のわずか三日間を通りきるか、どうかのことなのである。しかし、この三日が、どんな三日であるかわかるまい。今日の結構な日の三日のように思うであろうが、そうではない。ひながた通りに道をたどるならば、ほんのわずかの年限の間に「なんとわからないものだなあ、昔は、おまえが、おれがと言い合つていた間柄なのに、どうも、あんなえらいものになるとは知らなかつた」と、みんなから言われるようになる。そうなるのも、またならないのも、実は三日の間を通りきるかどうかである。すなわち最後まで通りきるかどうか、あるいは十のものなら八分まで通つて、あとの二分を放つてしまうか、しまわないかにかかつているのである。その最後の、いわば三日間のしんぼうさえしたならば、どんな結構な道が現われてくるかわからないのである。
教祖五年祭を迎えるに当たつて、このやしきは、あちらの地所もせまいし、こちらの地所もせまい。だから、あちらもこちらも広めてかからなければならない。それが成るも成らないのも、みんなが、いわゆる三日のしんぼうをするかどうかの問題である。ここで心定めした三日(三年千日)を真剣に通りきつたならば、それがどれほど大きな理となるかわからないのである。教祖五年祭まで一日々々と日が近づいてきている。どこから見ても、どこへ出ても、実際に現われているすがたを見れば見るほど、「ほんに教えられた通りになつたなあ」と言うような日がくるのは、まあ三年の間のことである。三年たてば大きく展けてくるようになるのである。その三年の間の歩みは、じきにたつてしまう。そこで、お前たちに、この三年間の通り方を教えているのである。むずかしいことをせよと言うのではない。これまでに手本となる道すがらを示してあることが、お前たちには、よくわかつていない。教祖が現身をかくしてから一年後には、もうこれで大きな道に、ほとんどなるかと思われたのに、いろいろの事情で、どんと行きづまつてしまつた。そこでお前たちは「これではならん」というところから、あれこれ手を尽くして、行きずまつた道をやつと開きかけ教会を設置するまでになつた。こうしたことを、まあ、世間的に見れば、往還道に出たと言えるかもしれない。しかし細道は通りやすく、往還道は通りにくいのである。このように言えば、お前たちは「それはどういう意味であろう」と不審に思うにちがいない。そのわけを言うと、つまり、この道は第一に心の道であるから、たとえば、細道を通る場合には心をくばり、つつしみ深く通るから危げないのであるが、往還道では、とかく心にゆだんして通るから、しばしば道をふみはずしてしまうのである。こうした意味で、往還道は通りにくいものであるという道理を聞きわけたならば、このさき教祖五年祭まで三年、いわば、三日の間のことであるから、しつかりつとめてくれなければならない。けれども、三年たてば大きな道になると言つても、それには、これまで苦労の細道を通つてきたという土台があることを忘れてはならない。これからさき三年と言つても、三年やそこらのことは、教祖五十年のひながたの道すがらにくらべての三日のことだと思えば、なんでもないことではないか。そのわずか三年の間のつとめを全うしさえすれば、どんなことがあつても落ちるに落ちられないようになるものである。お前たちには、たつたそれだけのことがわかっていない。そんなことでは、こまつてしまう。そこで神は、お前たち一人々々が、それぞれの真実を寄せ合つて一手一つで運んでくれるように望んでいるのである。この、わずか三年の間のことを長い年月のように思うから、不足が出たり、いろいろの人間思案も出るのである。言ってみれば、たつた三日の間のことである。すなわち三年の道をしつかりと通るならば、不自由しようにもせられず、難儀しようにも、することのできない結構な道を見ることができるようになるのである。それは今も言つたように、わずか三日の間の通り方によつて決まることなのである。

(山本久二夫、中島秀夫『おさしづ研究(上)』 196~205頁引用)

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