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コロナを通して身に付けるべき「生きる力」について考える、という話

最近コロナについて考えない日は無い、というほど身近な感じになって来ていますね。

6人挟むと世界中の人とつながれるというのが本当なら感染のスピードも納得ですが、世界の半分の人が自宅待機を命じられているというのはやはり大変な事態だなあと感じています。


これまで当たり前のようにやっていた仕事や暮らしが自粛要請を受け、場合によっては家にすら帰れないという(発症しなくとも)多くの人の安心・安全が脅かされている今、この経験から身に付けるべき「生きる力」とはどういうものか、ちょっと考えてみました。


そもそも、平時に自分が感じていた安心感や安全は何によって守られていたのか?

自分が暮らしの中で、家庭や職場で、どんな価値観を優先的に大事にしていたのか?

ポジティブに捉えて、こうしたことを再確認する、断捨離(コロナリセット)するいいタイミングなのかもしれません。


平成以降でさえ、バブル崩壊、阪神大震災・オウム、アジア通貨危機、9.11、リーマンショック、3.11、ISIS、豪雨災害…など、危機的な瞬間はいつどこにいても起こり得るものなんだということを都度感じながら今日まで過ごしてきたはずですが、喉元過ぎれば何とやらで、どうしても波が来る度にアップアップしてしまいがちです。

全員が常に検査・治療を受けられる訳ではないし、全員がテレワークできる訳でもない。不安だからとずっと家に籠ってばかりでは、子供も大人も息が詰まってしまいます。だからといって無防備に動き回れば、感染者の4割が30代以下、という厳しい現実に突き当たる…

みんながんばればがんばるほど絡みついてくる、まるでくもの巣のように。


そんな中でも、Twitterなどで素早く、柔軟に、積極的に住民に発信されている首長さんもいらっしゃり、リプなど見ていると、そういうところでは住民は比較的安心し、信頼できているように思えます。withコロナの間にかえって信用度が高まり、選ばれる自治体が浮き彫りになってくるのではないでしょうか。

民間の取り組みだと、前澤社長のお年玉企画はベーシックインカム(給付型・控除型)を国内で議論するいい機会だと思います。

経済の力が一時的に落ち込んだとしても、「#Save Our Spave」運動に見られるように、東京オリンピックや大阪万博に向けて、文化的な民度が高まっていくチャンスかもしれませんね。



みんなが「この町に住み続けたい」と思えるような町であり続けるために、役所の方も、個人商店の方も、銀行の方も、もちろん自分自身も、冷静に今できることを積み上げて、もう大丈夫だよねと思えるところまで何とか走り切らないといけない。

知っていることを伝えること、困った時に困ったと言えるコミュニティを地域で育むこと、何とかなるとしなやかな心を持つこと、目に見えるデータや現象だけに捉われず本質を見ようとするのを止めないこと。

このようなことが、今回のコロナショックから身に付けるべき「生きる力」ではないかと僕は思っています。


全然関係ないですが、100ワニを読んで「100日後に○○する●●」を色々考えたら面白いかなとか思いつつ、とりあえず100日後までに、少年ジャンプ+でワンピースを全部読みたいなあ。

ではでは。

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