JR岡山駅前は誰のもの??桃太郎と噴水、バス停と路面電車、観光客と市民。
数年後には景気が変わる。
高校を卒業して、大阪へ引っ越した私は、長期休みには実感のある岡山に帰省することはあったが、滅多に帰ることはなかった。よくある話である。
JR岡山駅に到着し新幹線から降りた時、いつも感じることがあった。
〜〜つまらない街だなぁ〜〜
東京や大阪の街では、駅前を含めた主要部はいつも何かしらの工事をしていてどんどん風景が変わる。岡山駅前が変わらない、古いからつまらないと当時の私は思っていた。
Uターンした私は岡山に住むようになり、変わらなくていいと思うようになった。クジャクが羽を広げたようなピーコック型噴水、合併前の78市町村の名前が記された西雅秋さんのパブリックアート「吉備沃野(よくや)」、そして桃太郎。
桃太郎は1971(昭和46)年、ピーコック型噴水は1975(昭和50)年、吉備沃野は2001(平成13)年に作られたらしい。
少し長いスパンで見れば、アップデートをされてきていた。
大きくアップグレードすることがなかったのは、それで良かったからとも言える。
アップグレードする
大きく変化をもたらす時がきた。大きな変化をする時には、それなりの理由と覚悟が必要だ。耳にタコな話だが、岡山県も超高齢社会。65歳以上の人口は31%。
高齢者が増えるということは、自家用車を捨て、公共交通に社会全体も切り替えていく必要がある。岡山の場合は、ももチャリ(自転車)という選択肢も切り離せない。
インバウンドという側面も忘れてはいけない。高齢者が増えた社会では、海外で出かけるアウトバウンドより、インバウンドという選択をすることが健全なよう見える。インバウンドも全く別の話ではないということ。ただ、スタートは高齢者にも優しい街にしていくことが出発点だと思っている。
路面電車の乗り入れ
アップグレードすることになる直接的な発端は、路面電車の乗り入れ。賛否あるだろう。路面電車を運営するのは、岡山電気軌道(両備グループ)。営利企業1社のために公共空間を使うことへの懸念もあるだろう。乗り入れすることで、車(バス・タクシーを含む)の渋滞や事故原因を増やさないかという懸念。
路面電車が使いやすくなることで、自家用車ではなく「歩く」の選択肢を持つことが非常に大きいと思う。また、ガタンゴトンと揺れながら、少しゆったりしたスピードで街を移動する。心理的変化は大きい。岡山はゆったりしたスピードで時間が流れる街となる。
移動に電気を使うこと、乗り合うことで、排ガス、二酸化炭素の削減にもなりクリーンな街にもなる。
まだまだ車に乗るぞ!と思っているけど、実はどこかで電気自動車にしなきゃなぁ、いやいっそのこと車に乗るってことをやめる生活できないか?とも考える。それくらいやらないと本当にやばい。
岡山市は、
乗り入れ事業整備についてこう言っている。
路面電車に期待
とは言え、路面電車にそんなに乗るかと言われれば、そんなこともない。歩いて行ける範囲は歩いてしまうし、そもそもあまり広範囲でもない。行きたいところの近くに通ってない。公共交通としての側面を考えると、もっと便利に使われる路面電車となってほしい。
新たな風景
JR岡山駅前の新たな風景を作る人、弥田俊男さんの話を聞いた。
2023年5月20日。
弥田さんがどんな人なのかは今回、割愛させていただきます。
素晴らしい経歴だし、素晴らしい建築をこれまでも作られています。
でも、そこで判断してほしいわけではないので、割愛します。
2020年の記事ですが、こちらをどうぞ。
車から人へ
繰り返しになるが、大きなポイントは「車から人へ」。
JR東京駅丸の内駅前も2017(平成29)年、大部分がロータリー場所を
移動し、中央に広い広い広場にした。
皇居に向けて、行幸通りがドーンと開けていく。
岡山の場合
東口に降りる大階段(ちょっと大袈裟だが)は悪くない。
ただ、降りた時の広がりが全くない。残念だ。
弥田さんの話では、ここはドーンと桃太郎大通りへと眺望がぬけ、
その手前には広場を設けるという。
色々あるぞ、難しい部分
まず1目は、大テーマである車から人があまり進まない。
桃太郎のあたりに路面電車が入ってくる。
一般車両用のロータリー→タクシーのロータリー
タクシーのロータリー→一般車両用のロータリー
バス乗り場の面積は基本、変わらず。
見て通り、場所は変われど、車の量は変わっていない。
ここ1番大きなテーマだったはずなのに。
バス停
バス停は13個。(1つは降車用)
西口にもバス停はあり、9個ある。
西口に全部じゃなくても動かせなかったのかなぁ。
路面電車を運営する岡電バス、両備バスは数を減らす方法を考えられないのだろうか。(もちろん、使っている人からすれば不便になるという意見はよくわかる。ただやり方は考えていってほしいなぁ)
というのも、このバス停の形状を変えずということになると、相当大変らしい。
地下街のデメリット
メリットは大きいものの、地下街が古いことによるデメリットもある。
1 地下街へ通じる階段を触れない
2 地下街の重量制限があり、新しいものが作りづらい
3 排気塔の場所を変更できない
特に3は素人ながらにキツそうに感じる。
景観的になくていい場所に、大きな箱や塔があることになる。
後楽園を岡山人の心に
詳しいことは語れないが、後楽園に見立てている。
ん?どういうこと?と思うかもしれない。
後楽園を作ろうということではない。
心地の良い空間の配置には、心地の良い法則がなにかあるのかもしれない。
また、岡山人は後楽園に足を運ばない。
正直、後楽園の価値を知らない。味わいきれていない。
だから分かれ!ということではない。長い年月の間に、後楽園というDNAを引き継ぐことになるといいなと私は妄想する。
噴水はカスケード(滝)に
噴水が撤去されることを残念に思う人の声もある。
待ち合わせに使ったこともいるだろう。
残すことも考えられたようだが、こちらもかなり古い。
残してもいいかもしれないが、新しく生まれ変わることも賛成だ。
桃太郎はこれからも
岡山といえば、桃太郎。
だけど、何でもかんでも、桃太郎。
桃太郎はもういいだろうという声もよく聞く。
だが、桃太郎はとってもとってもキラーコンテンツ。
桃太郎ほどのコンテンツ(キャラクター)を作ることは難しい。
日本中、世界にも桃太郎は通じる。
それを易々と飽きたからでやめるわけにはいかない。
この桃太郎像、実はすごい作品だと思っている。
昔話の中の人物をどのテイストでどのように描き出すか、非常に難しい。
そう考えるとよくできた桃太郎だと思う。
桃太郎はどこかに残されるので、キラーコンテンツは永遠に!である。
パブリックアート「吉備沃野」
以前に西雅秋さんが岡山にお越しになった際、少しだけお話を聞いた。
(私の解釈ですが)
時代の流れによって作品が消えることは仕方がない。壊されもせず、忘れ去られて放置されるパブリックアートもある。どうせなら、埋めてはどうだろうか。埋めて見えなくなる。だけど、そこにはずっとある。作品とは、人の心にずっとある、そっとあり続ける存在なのかもしれない。
というようなお話をされてました。
実際は、重量のこともあり、埋めてしまうのは難しいようですが。
まとめのようなもの
頭の整理をするためにnoteに書いてみたものの、根底にあるのは、この計画のこと、知ってほしいなぁと思う気持ちがあったから。
何を知ってほしいか。
1 岡山駅前は誰のものでもなく、私たちの場所であること。
2 車から人への時代になっていく。私はどうする?
3 素晴らしい空間にしようと考えている人がいる
4 思うことがあれば、今言おう!(後出しジャンケンはカッコ悪い)
5 どうせやるなら、思い切ってほしい。(行政)
とりあえず、とりあえず、の計画はいらない。
もっと思い切った計画になってほしい
メディアの報道にも期待したい。ここが問題、あれが問題もいいのだが、視聴者が「また、どうせ・・・」と諦めてしまうような報道ではなく、だからどうそる?と思える報道としたい。
最後に
どんなに素晴らしい計画でも、どんなに多大な予算でも、どんなスペシャルなチームでも、出来上がった空間が使われる場所にならなければ仕方がない。居心地の良い空間となり、それを感じられる市民であることを願う。
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