「Domani・明日展」に行った
コロナのワクチンを接種した後、自転車を爆速で漕いで最寄駅に着き、電車に飛び乗って国立新美術館に向かった。激しい運動をしてはいけないというのに、どうかしている。絶対に良くない。
急いで電車に乗ったのも虚しく、「ギャラリートークの整理券は終わりました」とDomani・明日展のTwitterの文字を見る。クゥ、無念なり…。
今回のDomani展に参加するアーティスト、近藤聡乃さんは、現在ニューヨーク在住。
オンラインミーティング的なもので2回はその存在を確認したのだけど、近藤さんが久々に帰国し、ギャラリートークを生で聴けるチャンスだったというのに!!
全力で走ってしまったことをやや後悔しながら、気を取り直して国立新美術館に向かった。
気持ちの良い秋晴れの中、ガラス張りの美術館に程よく光が差し込んだ昼過ぎ、私に近藤聡乃をお勧めしてきた友人と合流した。
彼女は朝6時に起きて整理券の列に並び、見事ギャラリートークの最前列をとったオタクの鏡だ。
事前に買っておいた(ワクチンの待機中にネットで買った)電子チケットを係員に見せ、紙チケットと引き換えてもらう。チケットも近藤聡乃の作品がプリントされていて、既に来た甲斐があった。
※写真撮影OK。
最初の展示は近藤聡乃!
近藤聡乃
現在連載中のエッセイ『ニューヨークで考え中』の原稿、下書きなどが展示されている。
本当に紙で書いているんだ〜!と感動した。インクの濃淡まで、しっかり見てしまったよ。
3巻の、コロナ禍で混沌とした街の様子を扱ったこの回が私はとても好きなのだけど、縁は本当に黒色のペンで塗りつぶしてるんだなと改めて確認した。
何度も読み直しているのに、会場で読んで泣きそうになってしまった。
セリフ、食べ物の細い輪郭、建物の影。
全部が全部細くて、かつ澱みない線で、印刷ではないことが信じられない。
『ニューヨークで考え中』を読んでいると、1人の人生をこんなにコンスタントに知り続けることはあるのだろうか、と思う。
住んでいる国は違うけれど、近藤聡乃人生をこれからも読み続けたいなと思った。
ここからは特に印象に残った作品について。
丸山直文
丸山直文のブースに入ると、壁一面に飾られたドローイングに迎えられた。
※この記事のカバー写真もこの作品の写真
写真では1ミリも伝わらないと思うけど、163cmの私よりも大きいこの絵の前で、なんだか吸い込まれる想いがした。真ん中の人の足がちょっと上がっているのが良い。
この絵も、すごく大きい。横にお相撲さんが2.5人は並ぶくらい。
この絵の前に立つと、直感で「なんだかすごく良い!」としばらく動けなかった。
秋の井の頭公園で、大きな木々とはらはら降る紅葉に包まれながら、湖上でぱったりと出会う2人の人物…
そんなイメージがぶわっと入り込んできた。
最後まで見終わって、もう一度この絵を見に来た。ポストカードも買った。思わぬ出会いだった。
小金沢健人
Domani展の中で最後の展示部屋に入ると、色鉛筆の硬い音と、厚くてゴツゴツとした紙の上を滑るような音に包まれていた。
最初はなんだか抽象的な絵なのだなあと思っていたけれど、
紙を重ねて色鉛筆を思い切り走らせる音、クレヨン?が砕けて小さな破片の状態で紙に塗りつけ、指で滲ませる音が心地よく、
重ねていた紙を取ると、無造作に塗られていたはずの色が紙の境界で綺麗に途切れている、
その永遠とした繰り返しは一種の快感だった。
友人は「youtubeで流していたい」と言い、私も焚き火の映像が永遠に見られる感じと似ているな、思った。
絵だけが並べられていたら、私はこの快感に気づかずに通り過ぎていただろう。
中央に設置されたソファに腰掛け、美術館の天井の高さまで映し出されたこの諸行無常な映像と、幼稚園以来の思い切りの良い色鉛筆の音を聴きながら、
近藤聡乃には会えなかったけど、来てよかったなと思った。
✳︎✳︎✳︎
ギャラリーショップを一通り見て、友達はそろそろギャラリートークを聴いている頃だな、そろそろお会計に行くか…と思ったその時。
目の前で図録が次々と詰まれ、スタッフが張り紙をした。
「近藤聡乃サイン入り図録!」
キャー!!!
大声で叫ぶのを堪え、詰まれた一冊を手に取る。
最初の1ページに猫の絵と、”Kondoh Akino”の文字。
思わず手が震え、激しい運動並みに心臓がドキドキした。
どこの誰だか知らんけど、神様ありがとう!
ルンルン気分で会計に行き、会場を出た。
「DOMANI・明日展 2022-23」は、2023年1月29日まで開催中。
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