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【アナ雪】Let It Go は"ありのままの"ではない|英語版との意味の違い【岡田斗司夫】

2019年1月回 アナと雪の女王の主題歌である「Let It Go」は英語(原語)と日本語の歌詞では全く意味・ニュアンスが違ってしまう
歌詞の違いを映像描写と照らし合わせながら本当のアナ雪を理解する解説動画


アナ雪のあの歌あるじゃないですか

すごい印象的で

映画が公開した当時には

あの歌・松たか子の声が耳から離れない

という人もいっぱいいた

なんであんなね

みんなの印象に残るのか

もちろん

曲自体の美しさとか

松たか子の歌声とか

理由はいろいろあるんでしょうけど

一番の理由は

映像との相乗効果

映像で何を語ってるのかと

あの曲調とがすごいマッチしてる

実は吹き替えの歌詞ではなくて

是非あの

英語版の原語でどういう歌になのか
歌詞を読んで頂きたい

それを読むとあの歌は

ありのまま自分のままを素直に出そう

それを認めてもらおうという内容ではなくて

どちらかというと逆 正反対

こんばんは岡田斗司夫ゼミです

今夜はですね

アナ雪について語った動画を再配信

とは言っても

語るのはアナ雪全体ではなくて

例のあのレリゴーレリゴーの

あの歌のここの部分だけ

アナ雪というアニメ映画の魅力は

実は僕は

8割はあの歌の中にある

レリゴーの英語版と吹き替え版の歌詞を

比較しながら

歌ってる世界観を見せたりします

まぁ その違いですね

映画の中に出てくる

映像てきな演出

映像的な語りかけを読み解いたり

そこら辺の深掘りしてる動画

この動画を最後まで見たら

ラストの「少しも寒くないわ♪」って

あのセリフが

エルサの歌の歌詞が

「気持ち良い」「かっこいい」ではなくて

身震いするほど背筋が寒くなるほど

怖いセリフだと分かると思います

この動画は

2019年1月17日に配信した

岡田斗司夫ゼミ第266回

それでは本編スタート

アナと雪の女王ですね

かなり評判がいいアニメ

泣いたという意見の人も多いし

未だに主題歌のレリゴーは

歌番組で定番になっています

アナ雪のヒットの秘密に迫ろうと思います

僕は最初に見たのは

アナ雪の公開の半年以上前

多分9ヶ月ぐらい前だと思う

映画館でいきなり

ディズニー最新作ということで

Let It Go の歌の部分

4-5分あるんですかね

あれがノーカットで映画館で流れた

とにかくいきなり

真冬の山の中を
マントかけた女の子が歩いていて

歌を歌いだして

盛り上がって氷の城ができて

「少しも寒くないわ♪まで

ノーカットでやったんですよ

歌と映像の凄さ びっくりしたのと

明らかにこれって

本編で一番面白いかっこいい部分

それをまるまる見せるのは

よっぽど自信があるんだろうなと思った

つまりこれって何かって言うと

シンゴジラで言うと

ゴジラが初めてプラズマ火炎を吐いて

東京の街が炎に包まれるシーン

あそこをまるまるノーカットで
全部見せちゃうみたいなもの

それぐらいクライマックスの
一番美味しい所を

編集なしの切り出しで

ドンと見せるって言う事は

もう本当にこれ

本編自信がある証拠に違いない

めちゃくちゃ期待した

実はこの歌の部分に

未だにこれYoutubeでも見れます

日本語版も英語版も見れます

ここにですね

アナと雪の女王の魅力が

ほとんど全て詰まってる

歌の見せ方まとめ方 あと―

キャラクターの演技

キャラクターの演技っていう
見方してる人あまりいないんですけど

これまでのディズニーと違う領域

ディズニーアニメが
これまで扱ってこなかった

表現とか思想に

今まであえて描かなかった部分を

なんかこう

持って行こうというのは分かる

それで予告を見たときに

ノーカットの予告編を見たとき

背中がゾクゾクした

しかし

アナと雪の女王ですね

嫌いな人もめちゃくちゃ多い

例えばタレントの伊集院光さんは ラジオで―

「毒にも薬にもならない映画」とコメント

おぎやはぎの小木さんも

「今まで見た映画の中で一番つまらなかった」
とバッサリと

もともと伊集院さんが

アナと雪の女王見たきっかけは

松たか子の歌と

声優のさやかの素晴らしさにしか

それしか言わない

メディア・テレビ番組とかと

あと伊集院さんの奥さん自身が

そのストーリーについて

1時間しかいらないのに
2時間も語ってくる

もうこれについて

ストーリーに関して何も語らずに

おまけに歌ばっかり歌ってる

ということに興味が湧いたから見たそうです

その上で映画を見て

ストーリーに関しては
悪いところも一切ないが

良い所も一切ない

毒にも薬にもならない映画だ

とラジオで発言しました

これがですね

なんかちょっと炎上して

伊集院さんはまた別のところで

フォローするような感じで

ディズニーの文法に全て載っとった

そっから一歩もはみ出すことない映画

こういうネガティブな意見結構聞きます

おぎやはぎの小木さんも

映画を見た中で

これまでの映画見た中で
一番つまらないかもしれない

どこにもあるようなお話

なんだよこの誰でも描けそうな話で

何もひねってない

あれで記録か何かになったでしょ映画の

すごいなーあんなので

ともう本当にボロクソなんですね

絶賛と全否定なんですけども

実はですね

どっちもですね

割とピントずれてる

まず絶賛される理由は

歌が素晴らしい

その歌を大部分の人が

吹き替えで聴いてる

この吹き替えですね

翻訳ではなくてほとんど替え歌

例えば

これですね

吹き替え版の歌詞です

〜ありのままで〜 松たか子

こう歌ってるから割とね

ポジティブな内容に聞こえる

これねだいぶ違う

ラストなんか超ポジティブ

このポジティブさが実際ウケたんですけど

実際(原語)はどうなのか

また長いフリップなんですけど

英語の歌詞見ると

全然違う

日本語は

メロディーの音符1つずつに1音ずつ

日本語の文字1つずつしか乗せられない

英語は音符1つに1つの音節

1シラブル乗せることが出来る

だから

レリゴー レリゴー の部分

「Let」「It」「Go」と
音符3つに単語を3つ入れられる

そこは日本語では

「あ」「り」「の」「ま」「ま」「の」
としか入れられない

だから

英語ではかなりいろんなこと言ってる

日本語の吹き替えで
同じような歌にする場合は

かなり縮めなきゃいけない

この事情があっても

僕が一番気になるのが「Let It Go」の訳

Let It Go を「ありのままで」と訳してるけど

Let It Go は本来

もうどうなってもいい

「本当にどうでもいい」という意味

「もう元には戻らない」とか

そういう意味に近い

この意味の量と差が
あることを念頭に

本当に大名作だと思う歌のシーン

最初から見ていきましょう

日本語版の翻訳

これも日本でヒットした秘密だし

英語版の元々の歌詞も
ヒットした秘密なんですけども

これを念頭に

冒頭からワンシーンずつ見ていこう

では一番最初です

足跡が残らない

と言ってるんですけども

雪山のロングショット

一人でエルサが

雪の女王のエルサが

雪山を登っています

カメラがどんどん寄って行きます

英語の歌詞は

the snow glows white
on the mountain tonight

Not a footprint to be seen.

今夜の山は雪が白く輝いて

足跡は全く見えない

松たか子の吹き替え版では

降り始めた雪は足跡消して

ほぼ同じです

エルサがこの時に

雪山の中をトボトボと
マント引きずりながら歩いてます

振り返って自分の足跡が
残らないて言ってる

足跡が雪に消えていくのは

彼女が人間世界で生きていた

これまでの痕跡が
消えていくというメタファー

一生懸命いい女王になろうとしていたけど

もうそれはやめて

山の中へ入っていく時に

自分の足跡が雪に消えていくのは

彼女の人間社会の中で

持っていた立場とか責任とかが

どんどん無くなっていくというメタファー

巨大なマントを引きずってます

でっかいマント引きずってるんですが

それがもう雪の中で引きずられて

自分の重みにしかならない

本来は雪から自分をかばってくれる
マントが重みにしかならない

後ろに引っ張ってる

さらに月の影が前から射してるから

マントがさらに巨大に見える

自分の責任の

責任感の重厚さに打ちひしがれて

なんかその

寒さから守ってくれるはずのマントが

後ろに引っ張ってる邪魔者になる

このワンカットだけで名作決定

これはエルサの内面

どんな思いになってるのかを

絵だけで表現してる

失礼な言い方になるんですけども

伊集院さんとか小木さんは

こういうシーン見ても
多分わかんないんですよ

ピンとこない

これが演技だとわかんない

アニメーションって

描いてるものは全て演技

これが実写との差

実写では背景は表現であったりして 

演技は役者さんの表情とか
動き・動作・所作なんですけども

アニメーションは全てこれ演技

だから

何でこの方向から光が当たってるのか

何でこんな服着てるのか

なんでこれぐらいの強さの風が
当たってるのかは

全て演技として見ないと駄目だけど

それが分かんないと

平凡な絵だなって見えちゃう

アニメ舐めてはいけません

地形や気象・空気・風まで

すべて思い通りに表現できるからこそ

その全てを演技だと
理解してないと読み違えちゃう

普通の人は役者の
顔だけ見ちゃうんですけど

アニメはそういう視点で見てはいけない

歌の続きです

A kingdom of isolation,

and it looks like I'm the Queen

真っ白な世界に一人の私

松たか子が歌うシーン

このシーン注目すべきは

「絶望感」と「寒そう」なんですよね

このシーンでエルサはまだ寒い

つまり

この後エルサはマントを脱ぎ捨てて

どんどん寒く感じなくなっていく

つまりこの歌の全編を通じて

やることは何かって言うと

人間であって寒さを感じるエルサが

少しも寒くないわと
雪山の中で言う存在になっていく

つまり

モンスターになっていく過程

でも普通モンスターになる時って

黒くするじゃないですか

ダースベーダーみたいに

ところがアナ雪は逆

エルサをより美しくして

より白い方向へ持ってきたから

みんなモンスターに
なってるのがわかんない

エルサが徐々にモンスターに
なっていく過程を見せていく

その時に

否定的な歌ではなくて

肯定的な歌として歌ってるところが

ここの新しいところだと思います

真っ白な世界に一人の私
って歌うんですけども

英語の歌詞

A kingdom of isolation,
and it looks like I'm the Queen

直訳すると

孤立した王国

そして私がその女王みたいね

「ね」っていう感じ

絶望感は原語(英語)の方が強いです

自分のことを女王みたいね

I'm the Queen って言うときに

語尾が下がる

この下がる言い方で絶望感を出してます

風が私にささやくの
このままじゃダメなんだと

風がうなってる

私の中で渦巻いてる

もう限界だ 神様だけが
私の努力を知っている

と歌ってます

「天だけが知っている」は

Heaven knows I tried

私がどんなに頑張ったかうんだけが知ってる

これは反語表現で

誰も知らないっていう意味

このエルサの変身は
子供に怖くないように

美しく描いてるところが
ディズニーのうまいところ

エルサがそこまでの努力

どんなに頑張ったかがここ

Don't let them in,
don't let them see

誰も中に入れてはだめ
誰にも見せてはだめ

松たか子は

戸惑い傷つき誰にも
打ち明けられずに悩んでた〜

て歌ってます

これですね

Be the good girl you always have to be

と歌ってるんですけども

このポーズ見てわかる通り

ここ親のモノマネなんですね

子供の頃から親に言われていた

Be the good girl you always have to be

って言われたことを

エルサこのままモノマネしてる

その時の怒った表情まで顔真似してる

この辺ですね

戸惑い傷つき誰にも打ち明けられずに

という吹き替えの歌詞では伝わりにくい

その後「それももうやめよう」て言って

手袋を投げ捨てます

これは原語では

Well now they know

もう彼らは知ってしまった

「Well」は「ああもう」と訳してもいい

もう全部バレてしまった!って言って

手袋をポーイと捨てるんですね

手袋はエルサの魔法を封印する装置

10何年前かにですね

エルサが魔法が発動してから
ずっと手袋をはめていた

それを初めて

自分から外すシーン

エルサはここから
自分の力がどれぐらいあるのか

自分の魔法力がどれぐらいあるのか

試し始めます

ここから有名な

Let it go, let it go
Can't hold it back anymore

「もう何も隠せない」って書いてある

Let it go っていうのは

さっきもちょっと話したんですけども

どういう時に使うのか
Let it go って言うのは

「ありのままの」じゃなくて

例えば彼女に振られた友達がいた時に

その彼女のことを
未練を引きずって語ってたら

そういう時に言う言葉

つまり「もういいんじゃない?」と

「もう終わったことだろう」とか

「忘れろよ」というニュアンスに近い

会社をクビになった時に

あん時こうすれば良かったのに

と言ってた友達に―

(友達が)落ち込んでたら

Let it go って言う

つまり「もういいじゃん」とか

「終わったことだろう」「忘れろよ」
ってニュアンスだと思ってください

だから Let it go,Let it go 言いながら

エルサが笑いながら言ってるのは

割とあの反語的なんですよ

かなりネガティブなことを言いながら

笑いながら言ってるってことで

実はここら辺から

ゾクゾクする感じが本来は
伝わってこなきゃダメなんです

でもそれを

ありのままの姿見せるのよ
って言っちゃうと

なんかねポジティブすぎるんですよね

だからなんか

この Let it go っていう

普段は英語としては否定的な言葉を

曲のサビに持ってきたところが

かっこいいところでもある

「hold me anymore」の「anymore」も
「どうせ」的なニュアンス

もうどうだっていい!
本当にどうでもいい!

どうせもう元には戻らない!て言いながら

雪ダルマを作ってる

「もうどうせ元に戻せない」

って言いながら雪だるま作ってる

この雪ダルマがですね

後で命を持って動き出す

命を持って動き出すということは

何かねこれあの

エルサが笑いながら雪だるま作ってるから

まるで良いことしてるみたい
見えるんですけども

キリスト教文化圏では

ものを作ってそれに命を
あたえて動き出すというのは

明らかに魔女であり悪魔の所業

それをしてて

だんだんだんだん彼女が

ダークサイドへ行っているって話

表現は進んでいきます

これなんかも凄いですよね

ありのままの自分になるの

って松たか子が吹き替えで歌ってる部分

これ原語では

Let it go, let it go

Turn away and slam the door

slam the door は

背中を向けてdとドアを閉めるという意味

これもかなりネガティブなんです

この表情でわかりますよね

「過去に扉を閉ざすのよ」だから

決して良い意味じゃない

なので

「もうそれしか私には
残ってない」ということで

悲しみながら無理して微笑んでる

吹き替えでは

ありのままの自分になるの♪

て言ってるので

なんか割と良いように見えちゃう

背中を向けてドアを閉めるのは

英語圏では全否定

相手の関係をも完全に
否定して拒否するという場合

こんなことを言いながら

エルサの表情はだんだん明るくなっていく

とろけるような目に注目です

吹替版ではさっきも言ってるように

「ありのままの自分になるの」って言ってるから

吹き替え版で見ちゃった人って

絶対そっちに引きずられちゃう

このシーンどういうことかというと

日本のアニメで言うと

例えばあるキャラクターが

「そうか分かった。殺せばいいんだ。」

「邪魔な人はみんな
殺しちゃえばいいんだねアハハ・・」

て言いながら明るく笑ってる
シーンだと思ってください

この間

『賭ケグルイ』てアニメの第2シーズン
ちょっと見たんですけども

日本のアニメでは

殺せばいいんだアハハ・・
みたいなシーン出す時は

必ず”受け”のキャラクターを作る

"受け"のキャラクターを作って
「ひぃー」とかって言ってくれるから

登場キャラクターの狂気というのかな

狂ってる感じが伝わるんですけども

でもそれはもう演技じゃない

っていうのは

「そうだ殺せばいいんだアハハッ」だけで―

狂気を伝えることが演技

そこに”受け”のキャラクターを置いて

『賭ケグルイ』みたいに

『賭ケグルイ』のスタッフの人すいません

”受け”キャラが「ヒィー!」て言っちゃうと

その瞬間それは演技ではなくて説明

絵を使った説明にしかなってない

ここら辺がその

宮崎・高畑のジブリアニメの
中でやってる演技と

その他のアニメの差

やっぱりエヴァンゲリオンが
顕著だと思うんですけど

説明との差

演技と説明の差はすごく大きい

ただ説明にすると100%伝わる

でも演技にすると伝わる確率がすごく下がる

この『Let it go』ではですね

「過去に扉を閉ざすのよ」っていうシーンは

完全に演技だけでやってるから

まあ、なかなかわからない

ここで「えぇ!?」って言っている
アナとかを見せると絶対に伝わるんですけど

そういうことやらない

『アナと雪の女王』ではこっから先―

どんどんモンスターになっていくエルサを

まるで人間性が開放されてるとか

自由を得た美しいものとして
表現しちゃってます

これね『アナと雪の女王』のエルサ

こっから先っていうのは

バットマンで言うと

ジョーカーとかハーレクインに近い

そういう自分自身がもともと―

自制心が強い人が狂っていくことで

解放されていく悲しさとか切なさ

でもしかしこの吹き替え版では

「ありのままの自分になるの」
っていう歌詞にしてるからです

狂っていくことで解放されてしまう

切なさ悲しさが伝わらない

だから子供達には

普通の魔法ヒロインものに見えちゃうし

ちょっと大人な女の人は

これ見たら

だいたいこの裏の意味に
ちょっとピンと感づいて

「自分の中の黒い部分・デモニッシュな
部分を隠さずに生きる」

という部分に共感できるようになってる

言い換えたらこの『Let it go』の

「もう隠す必要なくなっちゃったから
隠さなくていいんだわ」

って虚しく笑うというのは

例えば

「もう離婚したんだから夫や家族にコミケで買った
同人誌を押し入れに隠す必要がもうないんだ」

って言って虚しく笑う

「だって離婚したんだもん」っていう

そういうニュアンスの部分

かなり皮肉な笑いです

超能力を持つ主人公はその力に苦しむと

その苦しみに負けたものはヴィランズ

つまり悪役になる

エルサは自分の氷を操る
能力に負けてしまって

結局このお話の中では

ヴィラン(悪役)になってしまってる

しかしバットマンなどの
スーパーヒーローなんかでは

観客にその狂気を気づかせないように

「バットマンとは違って」だ

バットマンとかと違って

ハーレイクインとかジョーカーと違って

アナ雪の先端的なところ

表現として先端的な所は

エルサの狂気をあえて前に出さないで

つまり明らかにおかしいもの
としては出さないで

まるで人間性の解放のように語って

その二面性を出してる

何で二面性を出さなきゃいけないのか?

実はこの『アナと雪の女王』には

隠れた原作がちょっとある

それもうちょっと後で話します

このエルサの無邪気な
テロリストっていうのかな

自分が意識してなくて

「この国の中に冬がもっと来ればいい」

「嵐だ吹き荒れればいい」ということで

大災害を起こすことに
自分ではよくわかんないんですけど

こういう無邪気なテロリストっていうのが

世界中でヒットした原因だと思います

これは締めのところで語ります

真に自由になるためには

反社会的であることを恐れてはいけない

しかし反社会的であれば

自由と引き換えに孤独になってしまう

こういう本音をですね

なんかもうバットマンの世界ですよね

子供や普通の観客に
気付かずに忍ばせてる

だから僕は

スーパーヒーローもの好きな

いわゆるマーベルヒーロー好きな人こそ

『アナと雪の女王』を見て

「あーすげー!」って言うべきだと思う

そういう人はまず最初のパッケージ

このぬるいパッケージと

ぬるい日本語の歌詞に引っ張られて

まさかそんな話だと思ってない

これ本当に凄いんですよ

こういう本音をですね

子供や観客に気付かせないように
忍び込ませるというのは

僕ら油断してるうちに

ディズニーアニメっていうのは

日本の深夜アニメよりは

割と過激になってしまったってこと

次です

「何も怖くない」

って松たか子が歌ってるとこ

I don't care
what they're going to say

「私は気にしないわ彼らが何と言おうとも」

マント脱ぎ始める

風よ吹け少しも寒くないわ

松たか子が

風よ吹け少しも寒くないわ

ってマント脱ぐんですけども

Let the storm rage on.
The cold never bothered me anyway

「嵐よもっと吹き荒れろ」

「元々私寒くなんかなかった」と言う

このね

ちょっと思い出して欲しいんですけども

冒頭のシーンで

エルサちゃんと寒くなってる

自分の両肩を抱えて寒くなってるんですけど

なんでここで

寒くなくなっちゃったのか

なんでここでマントを
脱ぎ捨てることができるのか?

能力を使い出してから

氷を自由に操る能力を使い始めたから

人間を辞めてしまった

俺は人間をやめるぞって

あの例のあのシーンだと思ってください

人間社会の象徴であり

自分の立場の象徴であり

自分を後ろに引っ張っていく

重いマントっていうのを脱ぎ捨てる

本当に全てが表現
全てが演技なんです

人間社会の象徴であるマントを脱ぐと

風に飛ばされていく

エルサはそのマントを
振り返って見もしない

冒頭シーン 一番最初は

自分の足跡が消えていくことすら

気になって振り返っていたエルサが

自分がマントを脱いで

それが風に吹き飛ばされた時に

見もしない

まだ手袋を捨てる時は
ちょっと上を見てたんですよ

でもマントになると全く見もしない

何かって言うと

自分が捨てていった人間の世界に

全く未練がなくなっちゃったことを表現

これねあの

本当にエルサの動作1つ1つに

ちゃんと演技の意味を探していくと

ものすごく分かりやすくなってきます

そんなエルサですね

もう自分の足跡を探してたり

手袋を投げるときに見ていたエルサは

もうどこにもいない

エルサは氷と雪のモンスターになりつつある

「Let the storm rage on.」は

「嵐よ吹き荒れるがいい」と言うんですけど

「Let」ですから

吹き荒れさせよう

割と積極的に吹き荒れさせる

「吹き荒れるままにさせよう」から

歌の後半ではあえてもう

「自分が吹き荒れさせよう」
という立場になっていきます

この時のエルサは

「嵐を吹き荒れさせよう」と言って

「下の国で何百人も人が凍死してるかも」
ってことは思い描いてません

ディズニーアニメですから
人の死ぬシーンは描かない

しかし

人の死ぬシーン描かないからと言って

このアニメの中で人が死んでない
ということはあんまない

こうやって

夏と冬のギリギリで暮らしてような国に

夏なのに

雪がどんどん降ってくるような状況が来たら

当たり前ですけど

凍死者も出たに決まってる

でもそういう部分は全く描かないので

想像力があまり―

(想像力を)働かせないと

そこら辺わからないように作ってる

『アナと雪の女王』
そろそろ前半終わりますけども

実はダースベイダー誕生なんですよ

正義感が強く
人一倍フォースがあって

でも何もかも絶望しちゃった
アナキンスカイウォーカーは

ダースベイダーになって

その代わり引き換えに最強のフォース

最強の戦闘力を入れたと

同じくエルサはですね

なんかあの

魔法が強くなると同時に

どんどん人間性を失っていく

もう寒くないんですよ

マント脱いでもなぜか寒くないし

「え?少しも寒くないわ」っていうような

「え?もともと私寒くなんか
なかったんじゃないかな?」

ていう意味なんですね

どこだったかな翻訳

The cold never bothered me anyway!

「anyway」は「元々」っていう意味で

この場合訳すのが正しいと思う

エルサはかつて自分が

こうやって寒かったことも忘れつつある

そういえば子供の頃から私

本当は寒くなかったのかもしれない

これはエルサがずっと
孤独で寂しかったんですけども

それは

「私ひょっとしたら孤独なんて
平気だったのかもしれない」

ていうのと かけてる

そういう風に人間性を失ってくる

そもそもこの雪山を

一人で登ってきた時のエルサって

表情めちゃくちゃ暗いんですよ

悲しそうなんですよ
辛そうなんですよ

傷つき悩み悲しんでたはず
なんですけども

「Let it go, let it go」と

「もうどうでもいい」

「もうどうなってもいい」

って歌い出してからですね

笑うようになってきてる

でも彼女を取り巻く状況は

何にも変化してない

なんか一切変化してないんだけど

なんで彼女は笑うようになったのか?

何も良いことないのに

なんで笑えるようになってきたのか?

これは後半部分で語ろうと思います

#岡田斗司夫 #アニメ #考察 #アナ雪 #アナと雪の女王 #LetItGo #ありのままの

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