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関係は常に変わるけど、変わらず大事。

これはいろんな人に読んでもらうためではなくて自分自身に向けて書いています。なので乱筆気味ですが、もし読んでいただけるようであれば、その辺のことを少し鑑みてやってください。とりとめのない気持ちを改めての整理のために残しておこうと願うものです。

自分には生きる指針である「まーくん」という大親友がいる。
6才の頃に目の前で車にはねられ、星になってしまった幼馴染だ。
事故にあった日が11月4日。32年前の「今日」だ。

最後に彼にあったのが32年前の今日。集中治療室にずっと入っていたので会えなかった。小学1年生だった自分が初めて「死」と対面した事件だ。自転車のブレーキがもう少し遅ければ死んでいたのは確実に自分だった。車に近かったのは自分なんだ。人生、1秒後に何が起こるかわからないというのは、実際に死んでしまうかもしれないというのも当然含まれている。

あれから32年、どういう気持ちで生きてきたんだろう。
昨日、まーくんのお母さんと、まーくんの妹とその旦那さんと家で3時間も喋りっぱなしの素敵な時間を過ごしてきた。コロナ禍の中、行く機会を失っていたので2年ぶりのお参り。
手を合わせた瞬間に不思議な感覚に包まれた。

「話したいことめっちゃあるな・・・」

でも報告はやめておいた。
一番最初のnoteの投稿でもかいたけど、自分の夢は現世にはなくて彼に「生ききったよ!」と酒を持って報告にいくことなので、そのときに楽しみは取っておくことにした。だって本当に色々あったんだもん。2年行かないだけでこんなに報告したいことができるのかって。

昔の写真をみんなで見ていて「こういうこともあったよね」っていう話はもちろんたくさんあったんだけど、今回は未来の話が多かった気がした。今の自分の状況を唐突に話した(そんなライトにするような話じゃないことを)。そしてまーくんのお母さんの今の話や未来の話を聞いた。いつも行くとこちらの話をすごく楽しそうに聞いてくれているんだけど、今回はなぜかまーくんのお母さんの未来の話がすごく多くて、節目なのかもしれないな。

第二の母のような感覚で、最近自分の中にもいろんな変化があったせいか、本当に色々なことが話せた。未来がこうだなっていう話ができると、過去の捉え方っていうのは変わっていく。自分の未来が変わると過去も変わる。

「こういう自分ちょっといやだな」

と思っていたことが、「こういう未来にしたい」が明確になってきたり今までと違う方向になったりすると「うん、まぁ、それも自分だな」「これは嫌だから変えていく努力をしていこう」「これは変えられないから諦めよう笑」と割とすんなり受け入れられたと言うか。まーくんの家で、鎧をまとう必要がない場所で、素直にいろんなことを話していた。

失ったものを数えるよりも、今自分に残っているものを数えたい。
失ったものを嘆くよりも、残ったもの・まだ見ぬもので未来を見たい。

未来が明るくなると「今現在」が明るくなる。
悩んでいたこと・困っていたこと・モヤモヤしていたことが、
「小事だ」と気付ける。
今後こうしたいと思っていることと、昨日改めて感じたエモーショナルな部分が重なったので、未来が開けた感じがする。

大事な存在は、自分ににって「どう」大事なのか。
自分のフェーズによって変わってくるけど、それでいいんだなと思えた。
関係性はこれからも変わっていくけど、見守っててくれよ。
まーくん。

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