文学キョーダイ!!

奈倉有里、逢坂冬馬 文藝春秋 2023/9

奈倉家の兄弟による対談
なんとお二人はキョウダイだった。
自分たちが育った家庭や子供時代の話し、著作者となったいまの生活、そしてロシアとウクライナの戦いが起こっている社会情勢の中で、ふたりの思いと仕事を通じて成していきたいことを語り合った記録です。
興味深い本も所々で紹介されていて、読みたい本がまたまた増えてしまいました。

Part1 「出世しなさい」がない家

奈倉 「出世しなさい」みたいのがなかったんだよね。「好きなことをみつけなさい」っていう(p12)
奈倉 子供だからと言ってあなどらず、事実を伝える。(p60)
奈倉 やっぱり本があればあんまり孤独じゃないよね。(p70)
逢坂 別に友だちがいないというのはぜんぜん悪いことじゃないし、孤立することだって悪いことじゃないわけです。(p70)
奈倉 本ってすごく思考に近いんですよね。人間の思考に一番近いものが文字であるというか、文章というものなんですけれども、映像ってそれに比べると格段に現実に近いというか、見ているものですよね。目に映るもの。で、「何を考えているか」というのと「なにが目に映るか」というのは、根本的にやっぱり違うもので。
本って、人間の現実の記憶に近い世界が頭の中にひとつできるでしょう。好きな本の場合は、自分が安心できる記憶、いつでも帰っていける場所が読書によってできる。(p75)

Part2 作家という仕事

奈倉 本にはそれぞれの役割とそれに見合った部数がある(p100)
奈倉 「本があって、いまの社会というものがあって、私がいて、あなたがいて、同じ本を読んでいる」(p116)
奈倉 不安なほうがものを考える(p124)
奈倉 個人的なものと社会的なものを切り離さずに考え続けることです。文学はそのなかで柔軟になったり硬直したりを繰り返してきた(p136)
逢坂 高等教育のありかたって、言ってみれば国家から独立した人間を育てる過程でもあるわけですよね。一元的な教育から離れて、知的に独立した人間を作るという。でも、知的に独立した人間を作るという発想そのものを憎悪している節が、現在の日本には見られるように思います。単なる利潤の追求や実学志向とも違う、知性の自立を恐れるという。もっと社会に従順で、経済を発展させる方向にだけ行きなさいと。(p140)
奈倉 硬直した社会でいちばん起きやすい現象が孤立や精神の不安(p141)
逢坂 自分がいままで感じてきたことって、物語に出力することによって思ってもいないような自分が見つかったり(p147)
奈倉 「形にするのを急ぐな」(p148)
奈倉 言葉を発するというのは本来、人間の精神にとって本質的な仕事なんだよね。本意ではない言葉を発し続けていると、結局自分自身の心を傷つけてしまう。必ずしも内容が悪いとか攻撃的だとかそういうことじゃなくても、そのプロセス自体が自己を形成していってしまう。(p151)
奈倉 父に、「本が読める人生って結構、簡単じゃないかもしれない」と言われて。(p154)
逢坂 そもそもなんでなにかのためじゃきゃいけないの?(p162)
逢坂 読書する時間自体に価値があるということ。なににも還元されない時間を持てるということ自体が楽しい。(p163-164)
逢坂 映像技術やハード面の強烈な進化というのは、映像作品の寿命を著しく縮めている(p170)
奈倉 思考をめぐらせる余白の少なさみたいなものがある。その余白が少ないほど、自分が頭を働かせられる余地が少なくなっていく。(p171)

Part3 私と誰かが生きている、この世界について

ゲーテの言葉「書くことは明確に考えることだ」(p238)
奈倉 本を読むことが、風を吹かせることにつながる
   本の力を借りるとたどり着ける
   本を読むことによって、思考の可能性が開けていく。あらかじめ用意された回答で満足なんかしていられないぞ、という思考回路ができてくる。それが読書の大きな楽しみのひとつなんです。(p247)


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