240218_余韻

ずっと大好きなオードリーが今日、東京ドームの舞台に立った。
とても行きたかった。生で見届けたかった。
残念ながらチケットが当選せず、ライブビューイングでの参戦。

しかし結果的に、ライブビューイングでよかったかもしれない。
我ながら何様だよ!と思うが、
間近のスクリーンに映し出されるオードリーの二人の表情。
しっかりと、目に焼き付けることができた。終始泣き笑い。


私はずっと前から若林さんが好きで、noteを始めたのも若林さんのエッセイが読みたいからだった。
でも、noteでも、出版された書籍でも、最後まで読めないことが多い。
活字が苦手だからというわけでなく、
伝えたいことがわかりすぎて、胸に刺さりすぎて、
しんどくて先に進めない、ということが何度もあった。
勝手に若林さんが私の気持ちを代弁してくれているような気がして、
ものすごく心強いのと、自分だけじゃないという安心感のようなものを感じていた。
そんな若林フリークはきっとたくさんいることでしょう。


目標が欲しいと思った。
なにか成し遂げて、燃え尽きたい。
大きな目標がほしい。

実は私、大学のときにイベント系のサークルに入っていた。
イベントサークルといってもいわゆるウェーイ、クラブ貸切ウェーイ、のような陽キャサークルではなく、もっと地味な、年1の大学のイベントを主催する団体。
高校までずっと運動部に所属していてたまたまそのサークルに入り、
人と一緒におおきなものを作り上げることの楽しさや充実感に出会えたのはこの場所だった。
大所帯だったので人間関係もいろいろとネガティブなことがあったり、イベント自体も全てうまくいったわけでなかったりしたが、
それでもひとつのことに夢中になれる自分を発見することができた。

そんな仕事したいな。
いまはもう、日々目の前のことを消化しているだけ。
何度も何度もつまらない人生になってしまった、と思った。
それで良いんだ、大人ってそういうもんだ、って自分に言い聞かせてなお悲しくなった。


といいつつも、夢や目標を立てることもずっと苦手だった。
小学生の時に書いた「将来の夢」の作文も、
全くなりたいと思っていなかった内容を、なんとなく先生や大人にうけるような形で書いていた。それなりに器用だったんだと思う。
どんな人間になりたいとか、どんな仕事がしたいとか、そんなことを考えることなく、ただ大学にいってただ就職して、今に至る。
仕事においても、年に一回上司と今後のキャリアについて相談する場があるが、
なんとなくそれっぽいことを書き連ねて、なんとなくそれっぽい部署への希望を伝えている。思ってもないその場しのぎ。
会社としては社員に対し、「希望する部署があって、そこに行くために逆算して行動することがスキルアップにつながるのであーる」のようなことを言うが、
自分の力でどうにもならない人事に対し希望なんて持てるわけもなく。
今求められていることを全力で、とにかくやる、みたいなほうが性に合っている。
(若林さんが弘中アナに言ったという「未来のカツアゲ」という言葉がこれまた胸にブッ刺さりだった。)


そんなうだうだぐだぐだ言っているけども、別になにかを諦めたわけではなく。
自分の性格や能力が客観視できてきたから、さてどうしようか、というのは日々考えている。ここ最近特にそんなことばっかり考えていた。

そんな中での今日の東京ドームライブ。
ああすばらしいな、作り上げたんだな。
命燃やしてるな、輝いてるな。
自分と考え方が近いと勝手に感じていた若林さんがキラキラして見えた。


大きな目標を立てよう。
人事とかそういう自分の腕ひとつでどうにもならないことじゃなく、
当然周りの力を借りながらになるかもしれないけど、
自分の実力で叶えられそうな、その中で一番大きいやつを目標にしよう。
そんな小さな決心をして会場を後にした。

余韻というタイトルを最初に設定し、
余韻に任せて思ったことを脈絡なく書き連ねてしまった。
とにかくこれからもオードリーが好きです。
ずっとこのまま、これからも楽しませて欲しい、なんておこがましいし、
この文章は若林さんに届かないとわかっているが、そんな言葉望んでいないような気がする。いやこれもすでに痛いファンみたいになってるな。
とにかく今日という日が本当に素敵な1日になりました。
きっかけをくれてありがとうございます。大感謝。

長々と駄文、恥文、失礼いたしました。痛いファンでした。


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