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Brahms piano concerto no.1

ブラームスの年表を辿っていくと、およそ26歳くらいまでの期間に彼の芸術の方向性が固まったように見えます。

長年苦しんで第1交響曲を脱稿、その後呪縛から解き放たれたように第2交響曲が生まれたというような事も興味深いのですが、私は彼の若い頃に非常な興味を覚えます。

■1833年ドイツ北部のハンブルクに生まれ、7歳頃父親が居酒屋でダンス音楽や娯楽音楽を演奏する際に、ブラームスもついて行くようになる。

このエピソードはかなり彼の音楽形成に影響を及ばしたのではないかと思えるのです。
タバコがむんむんとし、酔っ払いが大声を上げ、多くの女性も居酒屋にはいたことでしょう。こうした人間観察は芸術の早熟を早めたでしょうし、北ドイツの謹厳さに限定されない歌謡性を生み出したのではないでしょうか。
(最も南に憧れるのは北ドイツの人の特徴らしく、そうした音楽は彼の生涯を通じて見られるわけですが。ヴァイオリン協奏曲や第2交響曲はそうしたことが曲にビルトインされているのではないかしら)

話しがそれてしまいました。1853年20歳の時、ブラームスはデュッセルドルフでロベルト・シューマン、クララ・シューマンと知り合います。

芸術の擁護者であるシューマン、そして生涯を通じて重要な意味を持つ女性クララ。この二人に会ったこの年は彼の生涯で一番の重要な年だったでしょう。
1854年21歳 の時、恩師シューマンは橋の上からライン河に身を投じます。
1856年23歳、ロベルト・シューマン死去。ブラームスはクララから離れ、デュッセルドルフを去ります。

献身的にクララを支え続けたブラームス。彼がクララのもとを去ったこと。
色々あることはまず置いておいて、これは彼の「孤独にされど自由に」の象徴的な出来事のような気がします。

1858年25歳、ゲッティンゲンで、アガーテ・フォン・ジーボルトと知り合います。しかし彼女とは婚約するまでに話が進むものの、結局、束縛されることを嫌ったブラームスは、婚約を解消します。

どうでしょうか、25歳までの彼の人生はまさに激動の人生です。

恩師の悲劇的な死、生涯を通じて愛した人クララとの出会い、アガーテとの婚約破棄、、、

そうした経験のすべてが1859年に26歳の時に完成された『ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15』に詰め込まれているような気がするのです。
この大作によって、彼はこれまでの思いをアウフヘーベンしたのではないかと思うのです。

年表引用 https://www.brahminen.com/leben/index.html

第1楽章、劇的なティンパニの連打で始まる出だしは、シューマンとの別れのショック、若さと運命との相克に泣き叫ぶ若者の姿が浮かんできます。
途中、激しい内的葛藤を伴いながら彼は戦っており、力で悲しみをねじふせとようとするかのような楽想は圧巻です。

第2楽章は宗教的な、夢見るような、美しいアダージョです。
アガーテの事、クララへの思い、、第1楽章とは違い、思いを眠らせるかのような悲劇的な楽章です。クララは人妻であり、恩師の未亡人なのです。
苦しいに決まっています。

第3楽章、私にはやはり内的な葛藤の相克を表した楽想と思えます。
この楽章を聞いていると、苦しみをねじ伏せる心の強さを感じずにはいられません。

こうしたぎゅうぎゅうに詰まった内容をあますことなく示し、若さをも感じさせる演奏は少ないように思えます。意外に大家の老けた録音が多い。
そうした中で私個人が長年聞き続けてきた演奏は以下です。

①ピアノ:ホロヴィッツ 
指揮:ワルター 
演奏:ヘボウ
②ピアノ:ワイセンベルク
指揮:ジュリーニ 
演奏:LPO
③ピアノ:ツィメルマン
指揮:ラトル
演奏:BPO
④ピアノ:ルービンシュタイン
指揮:ライナー
演奏:CSO

この④については素晴らしい音源をakitsuakaneさんがUPしてくださっています。そしてCDではこの感動は得ることが出来ません。akitsuakaneさんのLP、針、御経験だけが生んだ逸品なのです。ぜひ多くの方に耳にして頂きたい「レコード芸術」です。

https://youtu.be/OhqgXjdGsJc?si=PA21-n2orWNsotms

①ピアノ:ホロヴィッツ⇩ 
指揮:ワルター 
演奏:ヘボウ

③ピアノ:ツィメルマン
指揮:ラトル
演奏:BPO


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