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足るを知りたい女のはてしないたわごと

プランBプランCを持っておくことは大事なんだといつから知っただろうか?社会人経験をもとに実感していることな気がする。夏の甲子園中止の報「球児の皆さんの気持ちを考えるといたたまれない云々」OBのインタビューまで交えて放送するニュース観ながら抱いた違和感とともにぼんやり考えた。ここでいう違和感とは、「俺たちの頃は良かったが今年の球児たちはかわいそう」というステレオタイプな台本を基づいた報じられ方に対して抱いたものです。たしかにレアケースではあるが、それがかわいそうかどうかは誰かが押しつけるもの?

私は確固たる目標を見つけられないままだらだらと社会人になり、それなりに挫折しながらのらりくらり生きているだけだから気づくのが遅かっただけとも言える。プランBを準備しておくことは、社会人としてはあたりまえの技術&処世術なんだけど。プランBというとAがだめだったときの策ってかんじだけど、選択肢を把握しておくことは大事という話。 なんでこんなこと思ったかというと、むかし野球部補欠の息子に「プロ目指してるわけじゃないならなおさら勉強もしっかりしろ、自分の選択肢を自ら狭める必要はない。いつかは自分で働いて飯食っていかないといけないんだぞ」というような至極まっとうな諭しをかましたというおじさん友達の話を思い出したからだった。

無責任を承知で、若い人(可能性の塊)には、世の中には本人が考えてる以上にいろんな選択肢があると知ってほしいし、盗んだバイクで走り出すとか以外のまっとうな方法でそのありあまるエネルギーを昇華できたらいいよねなどと、老婆心ながら思っております。何をもって「成功」とするかとか、「豊かさ」とは何かとか。私が彼らに示せるのは成功体験ではなく「あんな人でも生きてる!下には下がいる!」とかいう反面教師の類である自覚はあるので、個人的には親戚に必ずいる謎の独身中年ポジションを引き続き守っていく所存。いとこの子供たちがぐれたら(ぐれるって死語?)預かれるぐらいの余力ある変なおばさんでいるのが目標。親と教師以外の大人じゃないと担えない役割もあると思う。何の話? もちろん、夏の甲子園にすべてを掛けてきた球児たちを否定しているわけではないです。レベルこそ違えど、私も部活にすべてを掛けていた時代がある。それを踏まえて、前述のおじさん友達の話を中学生の自分に聞かせてやりたかったわーとも思ったので。 この、何も考えずに書き始めて、書きながら迷子になって、不時着するスタイルやめたい。自分でびっくりする。

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