DULL-COLORED-POP「1961年:夜に昇る太陽」

を8月23日に観劇予定です。1961年というとまだ生まれてませんが、中学一年の時に生まれ育った町で原発誘致問題が起こり、それを懸けて町長選挙が行われていた。

賛成派の現職か反対派の共産党かと、過疎化の進む田舎の町ではありがちな出来事です。当時の担任はホームルームで誘致問題と町長選を取り上げ、なんと3時間半話し合った。帰宅したのは19:00を巡っていた。

クラスが自然と反対派と賛成派に分かれ話は進みます。
原発って一体なに?本当に安全なの?電気はいる?いるでしょう!ないと困る原始時代に逆戻り、いやこの際それでも…、うちの親は反対派に入れるって言ってた、うちの親は賛成だって言ってた、自分も投票したい大人になんて任せられないよ等、中学生らしい意見が飛び交いました。まだまだあったと思いますが、何十年も前のことで記憶がありません。それと、親の言っている事は外で筒抜けです、怖いです。

この時、担任からひとつの提案が上がります。
ここで出た賛成派と反対派の意見を各候補に持って行くから未成年だけれども何かひとつ約束をして貰おう、この学校で困っている事をひとつ改善して貰うのはどうだろうか?(多分こんな感じでした)えっ!そんな事出来るの?とクラス全体が「?」になりましたが、良い方向に変えて行くそれが政治だ、と先生から説明され、なんか貰えるんだったらと、中学生らしい発想で考えた結果、自分たちの使っている下駄箱が古いからそれを変えて貰おうと、いうことになりました。

町長選は現職の賛成派の勝ち、数ヶ月後、本当に中学に下駄箱がやってきました。その日一年生専用の玄関で町長を迎えささやかな設置セレモニーが行われ町長が挨拶されました。(話は思い出せません)

その後、先生は中2でも担任を持ち(あの頃の中学は2年3年担任持ち上がりでした)中3になる時に突然転勤になります。今度は小学校の先生になるとの事でした。なんか変だな、なんで担任持ち上がらないのと、疑問に思いましたが、それもあまり深く考えず中3で新しい先生に変わりました。(わたしは2年もその先生でしたので)

町長選では賛成派が勝ちましたが、結局原発は誘致されず隣町の地域の泊村に原発が建ちました。

その後大人になり、関東で3、11を迎えます。電気が使えず、独特な雰囲気を放ついやな静けさ、人の声がよく聞こえたのを覚えています。
あの独特な空気の中でふと先生の事を思い出した。あの時、下駄箱の責任を取らされて転勤したんじゃないのか、政治に関与させたと危険視されたんじゃないかと思いました。どんな思いであの下駄箱を見ていたのかと先生を思いました。

偶然が重なり今年から先生との年賀状のやり取りが始まりました。観たら先生にハガキを書こう。

#備忘録 #DULL -COLORED-POP #福島三部作

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