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【オカルト朝活】ネット怪談①

朝活と言いながら夜ですが気にしないでください。改めましてこんばんわ。『オカルトエンタメ大学』運営の小柳です。

先日ありがたい事に入学者(チャンネル登録者数)が1万人を突破致しました。

受講者の皆様、先生方。本当にどうもありがとうございます。皆様のおかげで大学の運営を続けられそうな可能性がグっと上がってきました。

以前もこのnoteで書いたのですが、大学開始前に我が校の運営母体である親会社へ、開始から半年間で達成すべき3つのKPI(事業の目標数値)を提出しました。

そのうちの1つが半年間でチャンネル登録者数5000名だったのです。ありがたい事に半年どころか3週間程度で達成し、その上で倍の1万人に届いたというわけです。

本来は1万人達成の記念企画などを実施すべきだと思うのですが、余りの速さに予想外過ぎて何も準備出来ておりません。申し訳ございません。しばらくは今の形で毎週土曜から水曜のペースで更新を続けて参りますので今後とも受講の程宜しくお願い致します。そして改めまして本当にありがとうございます。


さて、昨晩から怪談家ぁみ先生の授業が始まりました。テーマはネット怪談について。

昨日と今夜、前編後編に分けてネット怪談史上最恐の呼び声高い、とある怪談を紹介されています。この怪談、元はネットの掲示板で書かれた長文のテキストです。かなり有名なので読まれた方も多いとは思うのですが、ぁみ先生さんの語りとして改めて聞くとまた違う味わいがあります。是非ご覧になって下さい。

今日はザックリとですがネット怪談の簡単な歴史について調べた事をお話しさせて頂きます。

まずネット怪談はインターネットの歴史と大きく関係しています。1995年、NTT東日本・西日本がテレホーダイというサービスを開始しました。

これは所謂、定額制の走りみたいなもので、それまでは使用の度に回線料がかかっていたのです。それが23時から翌日8時まではどれだけ使っても定額ですよ、となった。今では当たり前ですが、当時は従量制が主流なわけで、これは大変画期的でした。

この瞬間から「個人がネットで自ら発信出来る文化」の土台が出来たわけです。今のSNSやYoutubeなど個人メディアの始まりと言えるでしょう。

ここから様々なサイトが生まれたわけですが、「心霊・怪談系サイト」も誕生します。すでに閉鎖されているのもありますが、ネット黎明期から開局しているのに今でも残っているサイトも!いくつかご紹介させて頂きます。


『コ・ワ・イ・ハ・ナ・シ・ヤ・ミ・ノ・サ・サ・ヤ・キ』(西浦和也さん)


『怪異・日本の七不思議』(山岸和彦さん)


『あっちの世界ゾーン』(いたこ28号さん)



個人ネット文化の土台が出来た時代、オカルトとマスメディアの関係性はちょうど大きな転換期にありました。95年にオウムサリン事件が起こり、マスメディアからオカルト的なものが激減したのです。

このような世相とネット文化の誕生がちょうどマッチし、オカルトはマスメディアから個人メディアの特性が強いネットへ移行する事になっていく事に。

現在、御存知の通りインターネットは生活のインフラとなり、スマホが無ければ生活に支障のきたす人がほとんどかと思います。また今年、テレビの広告費をネットの広告費が抜いたというニュースも出ています。そういった意味ではオカルトがテレビから冷遇されたのは結果オーライだったのかもしれません。

さて、ネットとテレビでは決定的に違う事がありました。テレビやラジオ、新聞などのマスメディアでは、一般人はプロが作ったコンテンツや情報を受け取るだけだったのに対し、ネットでは個人が自由にコンテンツを投稿し広める事が可能となったわけです。

これにより、個人の心霊体験談や都市伝説・怪談がどんどん投稿されていき、オカルトコンテンツは増えていきました。

しかも一つの噂に対し、別の人が違う情報を被せ、さらに別の人が違う情報を投稿していく。これにより噂や都市伝説はどんどん大きくなり進化し、さらに拡散していったのです。これはオカルトにとって大変画期的な出来事で、情報を受け取るだけのマスメディア時代にはない現象でした。

※ここら辺は吉田悠軌先生の授業をご覧ください。

そんな流れの中で1999年5月、2ちゃんねるが誕生します。そして翌年、有名なオカルト板スレッド「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」、通称“洒落怖(しゃれこわ)”が誕生。これが様々な名作ネット怪談を生むキッカケになるのでした。

ひとまず今日は以上です。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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