⑥命

名前を呼ばれると、またもあの部屋へ誘導された。
今日2度目になる内診台。
先ほどまで赤ちゃんが写っていた画面にはもう何も映らなくなっていた。
私の中身が空っぽになったという現実を痛いほど突き付けられた。
子宮内は特に問題も無く、無事に手術が終わったことを伝えられ診察室を後にした。

その後待合室でまた別の助産師さんが薬を持ってきてくれた。
続けて小さな声で薬の説明をしてくれた。
「抗生物質と子宮収縮剤とそれに伴う痛みを軽減する鎮痛剤ね」
この時、隣のソファに座っていた妊婦さんがチラッとこちらを一瞬見て、またすぐスマホに視線を戻したのが助産師さん越しに見えてしまった。
これが現実だった。
去年までは私があちらの立場だったんだと思い知った。
私が何気なく妊婦生活を送り出産をする中で、こんなに辛い思いをしている人がすぐ近くにいるなんて事を考えたことも気にしたこともなかった。
私はあまりにも無知すぎたことを恥じた。
私はまだ若いし、私も夫も健康で、流産なんて生涯経験するはずもないと思い込んでいた。
良い条件が揃っていれば確実に健康な赤ちゃんが生まれるなんてことはただの私の理想に過ぎなかった。
出産と流産を経験した今、言えることは赤ちゃんの命を授かることも、何事もなく育つことも、健康に産めることも当たり前のことではない。
奇跡の連続みたいなものだと学んだ。
改めて娘の命の尊さを再確認した。

流産がわかった日の晩、夫と話した。
娘は可愛いし大好きだしもうしばらく長く3人で過ごすのも良いのかもなぁ、と伝えていた。
つまり今回赤ちゃんを失うことによって出来た心の穴を、これから娘との楽しい思い出でカバーできるものだと思っていた。
だが、実際に失った今、それは出来ないことがわかった。
新しい命を失ったことによってできてしまった心の穴は、新しい命によってしか埋められないことを確信した。
帰宅して前回の発言を撤回し、その事を夫に伝えると、夫は同じ気持ちだと言いながら一緒に涙を流してくれた。
涙を流す私たちを見て、ケラケラと笑う娘。
その姿を見て私たちは泣きながら笑った。

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