①2回目の妊娠

私たちの家族計画では第二子は年子を希望していた。
理由は夫の年齢と母の経験から。
夫は第一子を迎えた時点で38歳、3人で誕生日を迎えて今は39歳。
なるべく少しでも若いパパでいたいという理想と、現役でいられる間に子供の成人を迎えたいという現実的な理由。
母の経験というのは、私が産まれた際に2つ上の姉が相当なヤキモチを妬いたというもの。
同時に姉の赤ちゃん返りにも悩まされたらしい。
私の世話で母の心には余裕がなく、姉に対し怒ってしまうこともあったという。
それもそのはず、2年半以上もの間両親をはじめ親戚一同を独り占めしてきた自分のポジションをいきなり現れた私が一瞬にして奪ってしまったのだから。
かまって欲しくて気を引こうと姉なりに表現していた。
姉はすごく悲しくて寂しい思いをしていたのだと思う。
それを聞いて、この目の前にいる可愛い可愛い私の娘に同じ経験をさせるまいと誓った。
その為には精神が安定して一緒に赤ちゃんを可愛がれる年齢になるまでは第二子を諦める、もしくは何もかもわからない状態で物心がついたときから2人一緒(簡単にいえば双子みたいな存在)のどちらかしかないだろうと思った。
私たち夫婦の場合は後者一択だった。

第一子を出産した後、娘が本当に手のかからない良い子だということと、家事育児に対して夫が非常に協力的だということから精神的にも体力的にも予定通りに第二子を考える余裕があった。
というわけで、産後6ヶ月から生理が再開したので妊活スタート。
とはいっても、母乳で育てていたこともありその時私の身体は完全に育児モードになっていた。
出産を通じて人間の身体について色々学ぶ機会が多くその都度感心していたが、これもまたカラクリがすごくて、授乳時の乳首への刺激によってホルモンが分泌され子供が出来にくい体が作らるようになっているらしい。
赤ちゃんを育てているのに新たな赤ちゃんを迎える余裕なんてないよ!っていう身体の主張。
その主張通り、4ヶ月間赤ちゃんは授かれなかった。
月日は流れ、娘が10ヶ月頃になると離乳食も進み
ご飯とおやつが大好きな子なので自然と授乳の回数は減っていった。
するとその時を待っていたかのように、待望の第二子の生命がお腹の中に宿った。
人間の身体は本当にすごいと改めて感じた瞬間だった。

2人目の赤ちゃん、とても嬉しかった。
性別はどっちかな?名前はどうしようか?きょうだい2人仲良く出来るかな?
家族4人になることが楽しみで仕方なくて夫とは常にこんな話をしていた。
産婦人科での2回の検診を経て、「心拍が確認出来たので次回の検診までに母子手帳をもらって来てくださいね」との指示を受けた。
それは、ここまでくればひとまず安心だろうという医師からのサイン。
妊娠が判ってから約1ヶ月。
やっと、正式に「妊婦」になれることが嬉しくて、産院を出たその足でそのまま母子手帳と補助券をもらいに行った。
また2週間後の妊婦検診で、初めて活躍するその時を楽しみに毎日を安静に過ごした。

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