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有名になりたい 第6話

いよいよTheシーチキンズの初ライブの日がやって来た。

2003年9月6日、千葉ZXにて。

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ベースボーカルとして、この日と次の10月の本八幡ルート14とライブをする。この頃は本八幡ルート14がメインの活動場所だった。近かった為である。この日は共演も何も覚えてはいないが、気合充分で臨む。8曲程やりMCは一切無しのステージだった。高校の後輩と彼女が観に来てくれたのだが、音が大きすぎた為に外で聴いていたらしい。

2回ライブをやった所で、再びキャデラがヘプシには辞めてもらおうと言い出した。キャデラ曰く、あいつはノリが違うという話だった。

ヘプシさんはメタルも聴く人で、スタジオでもずっと速弾きの練習をしたりして練習が進まない事もあった。それが何度もあった為、キャデラが腹に据えかねた結果だった。メールは自分から出した。特に喧嘩別れのような事も無く、あっさりとしたものだった。方向性の違いという奴だ。

その後もライブに来てくれたり連絡もたまにしていたが、いつからか疎遠になってしまった。未だにアドレス帳には登録してある。今はもう地元に帰ってしまっただろうか(秋田県出身だった)

そして、この段階で自分とキャデラがパートを交換する事になる。高校以来3人編成でのギターボーカルだ。

その頃、高校の先輩だったあのJ先輩が本八幡サードステージという箱でライブをやる事になり観に行く事になった。

先輩のバンドはメロコアでHさんという方がギターボーカル、数回のライブ後、J先輩は抜け、ドラムは文化祭でも叩いてくれていた同級生のFが加入していた。

その伝手で本八幡サードステージを紹介して貰った。当時、サードステージはエルレガーデンが活躍していた名残でメロコアや青春パンク、ミクスチャーのバンドが多かった様に思う。

月に2本ライブをやると1回分のノルマでライブがやれた。Theシーチキンズ武者修行だ。

月に2回サードでライブをやり、その合間に千葉ZXにも出演。その頃から仲の良いバンドが少しずつ増えて来た。対バンで知り合って意気投合するパターンだ。後にやった企画で誘うバンドもここで知り合う。

ライブの衣装も最初はスーツでやっていたが、春には3人で無地のTシャツにペンキでバンド名を書きTheシーチキンズの衣装を作る。この頃の自分の髪型はリーゼントだった。ぱらが今は亡き魔法のiらんどを使い、無料HPを作ってくれた。ちなみに現在のTheシーチキンズのHPもぱら作である。

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この写真は2004年10月のプッシーズ企画でのセッションより。

Theシーチキンズは5月に初のレコーディングをする。路上で弾き語りをしていたら名刺を貰い知り合った、Iさんという方が地元でレコーディングスタジオを経営していたのだ。曲目はPoor BoyというStray Cats風の曲と、気に喰わないというリフで押す曲。Blankey Jet Cityの影響が大きかった。

初めてのレコーディングはかなり苦労したが、無事に完成。ジャケットのデザインは義姉に頼みCDRの盤面も印刷した筈だ。今や、自分も持ってはいない。

そして初の音源が物販に並ぶ事になる。

その後もスリーマンをやったりしつつ、Theプッシーズで企画をやる為に夏頃から動き出した。それと並行して12月にはTheシーチキンズの初企画も決定する。

ライブは下手くそながらにも、破天荒なステージを繰り広げていた。VENTNEROというバンドと仲良くなり初の都内、渋谷でのライブも経験する事になる。

バンド活動がやっと人並みに動き出した。

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