有名になりたい 第5話

バンド名も決まり練習の日々。そして数回目の練習の帰り道、キャデラがあっしーを首にした方が良いと言い出した。彼女はギタリストと言うよりボーカルがやりたいんだろうなとは思ってはいたが、折角のメンバーなのに…という気持ちもあった。

しかし、練習に遅れてきたり、曲を全く覚えて来て無かったりという事もあった。

彼女の名誉の為に言うと、ゆずやシャカラビッツ好きな女の子に最初からごりごりのパンクやロックンロールを求めたのは間違いだったのかもしれない。

あっしーは辞めた。この辺りの記憶は無い。こちらから伝えたのか、自分から言い出したのか。もう2003年になっていた。ぱらは仲が良かったから残念がっていたように思う。

その頃には地元の公民館で練習するようになっていた。数百円で4時間借りられるような値段だった。自分とキャデラは同じ市内で、条件も満たしていたのですんなりと許可が下りた。

ぱらは毎回原付に乗ってやって来た。たまに家にも遊びに来た。

キャデラとは毎回家でミーティング、というか音楽を聴いては取り止めもなく話をした。

そして春。キャデラがまたメンバーを見つけてきた。ヘプシさんという年上のギタリストだった。

アベフトシに心酔していた彼は黒いテレキャスターで、プレイスタイルもアベフトシだった。そして長渕剛のファンだったのを覚えている。当然、技量も一番だった。

その頃からカバーと並行してオリジナルを作り始める。

「豚」「ジェットスーパーカー」「俺ロック」ヘプシさんが作った「サーカス」

カバーはブランキーやミッシェルを練習していた。

サーカスはROSSOのシャロンに強く影響を受けた曲だった。メロディアスで、初めて聴いた時に一発で気に入った。

豚という曲は北朝鮮の首席を揶揄するパンクだった。この後も「ガキは寝ろ」「豚女」など同系統の曲が何曲か出来る。豚が頻出している理由は当然スターリンからである。

オリジナルを練習しつつ、初ライブが遂に決まる。

切っ掛けは、ぱらの町内会の会長がライブハウスをC市に作る、との事で見学に行ける事になった為だ。確か全員で行ったように思う。

何を隠そう、それが千葉ZXである。

9月にライブが決まった。

そしてこの頃、自分はTheピーズのコピーバンドに加入する。

ヘプシさんが募集を教えてくれたのだ。高校3年生の頃、Theピーズを知る。切っ掛けはバンドやろうぜという雑誌で、今は亡くなってしまったイノマーさんが推していたのだ。

わざわざ渋谷のタワーレコードまで買いに行った。曲名だけ見てパンクだな…間違いなく…!とCDをかけたら拍子抜けした。

軽やかなロックンロールだったからだ。そして下ネタが多くて衝撃だった。今まで聴いたことのない歌詞だった。

何度も聴くうちに、全部良くなってきた。家に遊びに来る彼女にも聴かせまくったら、鼻歌を歌うくらいには覚えててちょくちょくからかわれた。

直ぐにC市のPARCOでリハビリ中断以外のアルバムを全て買った。

リハビリ中断は在庫が無かったので、後日渋谷のタワーレコードで買った。タイムリーな事に2002年に5年ぶりに活動再開した。今考えても運命的だったように思う。

と、そのように熱中真っ最中だった為、ロクにベースも弾けないのに応募したというわけだ。

TheピーズのコピーバンドはUちゃんとNさんと言う2人がドラマーとギターだった。初の待ち合わせで全然違う女性に満面の笑みで挨拶をした思い出が印象深い…

このバンド名会議の際はたまに対抗してポチ!だのえびに対抗してカニ!だのさまざまな案が出たが、自分が出したTheプッシーズという最低な案が通る事になる。

Theシーチキンズが始まった事によって、未だに続く人間関係が少しずつ作られていった。







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