有名になりたい 第8話

Theシーチキンズ初企画の日がやって来た。

2004年12月1日、小岩eM SEVENにて。

この4日前に3年付き合った彼女と別れた。何度も浮気をされていたのだが、その度に許していた。

最後は呆気ないもので、些細な喧嘩から。今思えば、お互い子供だったと思う。くるりのばらの花が流れる中、部屋を出て行った後ろ姿は今でも覚えている。

そんな出来事により、企画当日は何とも言えない気持ちのまま臨む事になる。とはいえ、いざ始まれば良い雰囲気でイベントは進んでいった。

どのバンドも良いライブをやってくれたし、お客さんも沢山来てくれた。初めてTheシーチキンズを観るお客さんも多く、気合の入ったライブが出来たと思う。企画って楽しいし、しっかり宣伝してお客さんが来てくれて埋まったフロアも素敵だった。

この日、未だに個人的に仲良くして貰っている方が観に来てくれたのだが、直接話すのはもう少し後になる。

翌年にはミニアルバムを録音する事が決まっていたTheシーチキンズは年明けからレコーディングに入る。

ハンメンのけんごさんとノリオさんも参加してくれたレコーディングは面白かった。シークレットトラックで酷い下ネタソングを収録したりもした。

辛い事には目をつぶれという6曲入りのミニアルバムが完成した。

曲目は"かったりーから""新しいマメが出来た""全然かまわない""辛い事には目をつぶれ""もうあえない""寝ぼけてる"

といった曲達。特に発売イベントなどはやらずにいたが、多少は売れた筈だ。だが、レコーディング終了とともにキャデラから辞意を伝えられる。理由は楽しくなくなった、だったと思う。

すぐにメンバー募集をかけ、何人かベーシストと合わせたがその内の1人が某学会の熱烈な信者で大喧嘩をする事になる。

スタジオに2回入った段階で、勧誘をされ自分も若かった為本気で怒り狂った。

結果、かなり面倒な事になるのだが、それ以来あの団体だけは信用出来ない。そのゴタゴタでぱらも脱退してしまう。

その頃、けんごさんが新しいバンドを始めた。ハンメンも解散していたのだ。

バンド名はもくもく仙人。けんごさんはギターボーカルになっていた。リズム隊は彼の年上の大学の知り合いだった。5月のある日、けんごさんからスタジオに誘われる。訊くと「ベースが抜けたから、おかぱんギターで手伝ってよ」との事だった。ギターを持ってF市のスタジオへ。

もくもく仙人のドラムの熊吉さんと初めて喋る。彼はハードロックを叩くドラマーで技術は高かった。

そして、もくもく仙人の曲や、Theシーチキンズの曲をセッションする。その帰り3人で食事をしつつミーティング。

ライブが2本決まっていたので急ピッチで練習をしていたが、ベーシストの件もありかなり大変だった。

またTheプッシーズのピーズナイトの2回目も決まっていた。2005年6月27日だ。そこに出るほねというバンドを千葉に観に行き、ステージでパンを食べ「これがパンクだ!」と言い放つステージに衝撃を受ける。この時期はニーネやチキンマスターズ、企画に出て貰ったバンドの企画など、毎日のようにライブに行っていた。

今では考えられないペースでライブをやりライブを観て働いていたのは、若さの為せる技だったと思う。

もくもく仙人の2回目のスタジオの時に2人が加入という形でTheシーチキンズ再編になった。ほぼ止まらずにメンバーが入れ替わるという目まぐるしい6月になる。一連の出来事は2週間程の期間の話だ。すぐに6月12日に新編成でのTheシーチキンズのライブをやる。

ライブは手応えがあった。そしてピーズナイトも大成功。

また本八幡サードステージで高速タートルと出会ったのもこの時期だ。

本八幡でネズミハナビと対バンした時に暴言を吐き、高速タートルにも「腐ったハイロウズだろ!」と言い放つ。当時の自分はタガが外れていた。何も怖くないし、常にピリピリしていた時期だった。

そして熊さんが辞めると言い出した。

元THE POGOのリョータさん率いるJIG   HEADと9月に対バンが決まった。

そこが熊さんの一旦のラストになる。







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