有名になりたい 第11話

Kyonくんが加入し、Theシーチキンズはまた活動を再開する。この頃は新宿紅布がメインで、その他には吉祥寺Rock Joint GBという大箱や渋谷club CRAWLなどがメインの活動場所になる。2008年後半から。

今思い出すと、Kyonくんが加入してた期間て1年位なのね。

彼が抜けた後も飲みに行ったりしてるから、もっと長いイメージだった。レコーディングしてデモも配布し、月に数本のライブ。けんごさんも弾き語りでバリバリ活動してた。この頃はららぽーとのCD屋で朝から夜まで働いていたので本当に時間が無かった。彼女と遊んだり、職場の人と遊んだり。アクティブだった。考えてみれば25歳くらいだから当然か。

自分は弾き語りでも何度かライブをやるようになった。ワタナベマモルさん(exグレリチ)と知り合ったのもこの頃。スタッフの方からお誘いを受けて、西荻でO.Aをやらせていただいた。

年末の船橋月でもTheシーチキンズとしてお誘いいただき、何度かご一緒させてもらってる。

もう10年以上ライブにお邪魔してるのも年月の早さを痛感する。

2009年4月の渋谷でkyonくんが脱退する。

腱鞘炎でベースが弾けなくなってたのもあって、また2人に戻ってしまった。どうしようかと途方に暮れたが、Kyonくんに決まる前にメンバー募集に連絡をくれた方に思い出して連絡をしてみた。

2009年5月。

そこからはずっと同じメンバーだ。

連絡をくれたのがMARQUEEさんだった。

昔の事を思い出して書いて来たが、ブログ読み返したりチラシ引っ張り出したり。今のメンバーになるまでのTheシーチキンズの最初の7年間を振り返ってきた。途中、Victorから誘いをもらったり事務所に所属しそうになったりあった。

断ったり、駄目になったり。

未だにバンドが続いてるのはとても嬉しい。

2022年は20周年だから何かしらやりたいとは漠然と考えてる。それまで健康にいなくてはと思う。

この連載もこれで終わり。

長く続けるのも一つの才能だと言われた事があるが、自分はそうは思わない。やるかやらないかだけ。

メンバーも時間も仕事もどうにかする気持ちがあれば。

音楽で有名になりたいって気持ちは未だにある。馬鹿売れはしなくても、好きだと思ってくれる人がいればやれる。

少しでも届けたい人に届く位には有名になりたいと思う。

まだまだ止まらない。車輪がぶっ壊れるまでは。

今のTheシーチキンズも良いよ、と昔のお客さんに知って貰いたい。

そして、昔の自分にも。

全然飽きない。

音楽はいつまでも力をくれる。




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