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有名になりたい 第2話

1999年、春。

意気揚々と高校生になった。後ろの席に名前がそっくりなOという眉毛のない坊主の目つきの鋭い男がいた。人を2、3人殺してきたかのような迫力。元々ピンクのロン毛だったそうだが、卒業前に刈られたと言っていた。

未だに友人だが、我ながらよく話しかけたと思う。

そして斜め左の席にはKという男がいた。もじゃもじゃの髪型でギターの小さいコードブックをいつも読んでいた。最初の会話は「下ネタ好き?」「好き。」という知性2%くらいなやりとりを交わし意気投合したように思う。

眉毛のない坊主の男と、もじゃもじゃヘアの男と友人になるところから高校生活は始まった。

後にもKとは文化祭で一緒にバンドをやる事になる。

部活はそのまま目標通り演劇部に入部する。中学時代は陸上部だったのだが、一転、文化部に所属する事になる。ここで自分の音楽人生の一つのターニングポイントが発生した。

最初の頃は1年の自分達と2年の先輩方しかいなかったのだが、夏前に3年生の先輩方が大会に向け復帰する。

その中にJ先輩という先輩がいた。彼は白いアコギを部室に持ち込んでは日がな一日弾いて歌を歌っていた。

"生まれたところや皮膚や目の色で一体この僕の何がわかるというのだろう"

誰の歌なのか全く分からなかったが、とてもストレートな歌詞で今まで聴いてきたものとは違うなと思った。

訊くと先輩は「この歌はTHE BLUE HEARTSの歌だよ」と教えてくれた。

ブルーハーツ。初めて耳にする名前だった。当時はインターネットもほぼ普及しておらず、携帯電話もPHSがやっと。何一つ調べようが無かった。

リンダリンダという曲はTVか何かで耳にした事があったが、それくらい。

"神様にワイロを送り、天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか"

特にこのラインが好きだった。

中学の頃に挫折したギターをもう一度試してみようと思った切っ掛けがJ先輩の歌うブルーハーツだったと思う。

その後、SUPER BESTというブルーハーツのベストを購入。

夏にはTHE HIGH-LOWSのライブを部活のIという同期と共にJ先輩に連れられ渋谷に観に行く。初めて観たプロのライブだった。バームクーヘンというアルバムとリラクシンの間のツアーで、新曲をばんばんやっていた。

汗まみれになりながらずっと上下に跳ね見知らぬパンクスと肩を組んだり、所謂ポゴダンスと言われる動きを無意識でやっていた。終わった後はジーンズもシャツも全身ずぶ濡れだった。

その後、もう一度ハイロウズを見る機会があり、出入り口でSTANCE PUNKSのメンバーがカセットテープを配ってたのを受け取った。今でもどこかにある。

ライブを観て、これがロックバンドか…と実感した、20年経っても未だに覚えている。

2000年の1月、お年玉を使ってYAMAHAのアコースティックギターを買う。初心者向けの安ギターだったが、初めて楽器屋に入り購入した1本。今でも持っている。

ギターを改めて始めた。

最初は教則本に載っていたフォークソングなんかをひたすらに練習したが、そもそも元の曲を聴いたことが無いのだから練習もクソもない。ただコードを覚えて適当なメロディーで歌っていた。

井上陽水の夢の中へが初めて弾けた曲だったと思う。

只管にコードを覚え、少しづつ弾けるコードを増やしていく作業。

この頃はASKAの影響で井上陽水にハマっていた。そのままBOB DYLANにも。

指先はぼろぼろになりつつ、出来なかった事が出来るようになるのが楽しかった。

そして、ブルーハーツが切っ掛けでパンクに出会う。2000年だ。世間ではミレニアムだなんだと騒がれていたがそんな事よりSEX PISTOLSだ。あっという間に夢中になってしまい、アルバムを聴いてはジョニーロットンの一挙手一投足に惚れ惚れした。

陽水やディランのブラックユーモアやプロテストフォークをめちゃくちゃ過激にしたような言葉と音に参ってしまったのだ。

好きにやれよって彼の態度が、ずっと抱えてた自分自身のやり場の無い気分にぴったりハマった。その頃からN市のディスクユニオンと雑居ビルの3階にあったマニアックという中古CD屋に通い始める。

高校2年生になっていた。

ある日、ディスクユニオンでおどろおどろしいジャケットを見かける。

「ADK…あぶらだこ?なんだこれ?なんかパンクっぽいし名前が良いから聴いてみよ!」

この頃の判断基準はパンクか否か。

順調に屈折して行った。

日本のハードコアパンクとの出会いはあぶらだこだった。

歌詞も意味不明だし、何を歌ってるのか全く聞き取れない、ブルーハーツともピストルズとも全然違った。

恐ろしかった。こんなCD販売していいの?って思った。

そしてその後、地元のS書店のCDコーナーでTHE STALINの2枚組のアルバムを買う。

毎日のようにパンクを雑誌で調べていたら、日本のパンクはスターリンとアナーキーがいて…と書かれていたのだ。

アナーキーは売ってなかったのでスターリンを買った。今振り返ると、千葉の田舎にスターリンが売っていたという事実。やけに品揃えが良かったように思う。

スターリンがきっかけで共産主義や吉本隆明に傾倒していく。この遠藤みちろうって人は全部皮肉っているのも分かった。ブルーハーツともあぶらだことも違う、けど、ジョニーロットンとは何となく同じシニカルさを感じた。

マニアックというN市のCD屋はその名の通り、とてもマニアックだった。ハードコアパンクのCDがばんばん売っていて、DEAD KENNEDYSやDISCHARGEなど小遣いで少しずつ揃えていった。

思想的には反戦、反核、反レイシズム、と、高校生にして相当左に寄っていた。

勉強し続けるうちに、全共闘やポルポト、文革などを知り、変な憧れは全く消え失せたが。

最初に聴いたのがスターリンとデッケネだったおかげで、変に染まらずに済んだように思う。世間はメロコアブームだった。GREEN DAYとOFF SPRINGのアルバムが2000年に発売したのもあり、聴いてたりした。

ブルーハーツぽい海外のパンクもあるんだなんて思っていた。J先輩からはBLANKEY JET CITYを勧められて、それも聴いていた。

高校時代はブランキーとハードコアばかりを聴き続けていた。

ギターはずっと練習していた、この頃から自分で曲を書くようになる。

そして、高校3年生になる。




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