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有名になりたい 第4話

高校を無事に卒業した。数学をほぼサボっていたせいで留年しかけたが、どうにかなるものである。近所の薬局とコンビニで掛け持ちのアルバイトを始める。早朝はコンビニ、夕方から薬局、だらだらと3年近くは続けた。卒業前の暇な時期に中学の同級生Oとバンドを組む事にした。彼は警備のバイトでめちゃくちゃ稼いでいた。彼がベース、そしてドラムは高校の同級生、あの目つきの鋭いOだ。何故彼に声をかけたのかは忘れたが、その3人でやろうとなった。2002年の始めだ。

バンド名はDust box、余談だが直ぐに同名のバンドがいることを知り改名する事になる。毎日集まってはミーティングを繰り返した。が、結局頓挫する事になる。ドラムが抜けた。確か仕事の関係だったように思う。出張が多い仕事に就職が決まったのだ。

そして、メンバー募集をN市のS楽器で貼り出す事にする。当時はwith9というメン募サイトか、貼り紙、音楽雑誌への投稿くらいしか手段が無かった。SNSをやっている人も居らず、mixiですら来年の話だ。

募集要項はロックとパンク好きなドラマー求む!これだけだ。

貼り出してから数日、連絡が来た。電話で話すとレッチリとシャカラビッツが好きだと言う同い年の男だった。とりあえず会おうとベースのOと2人で彼と待ち合わせる。この頃の自分は編み上げの安全靴を履き、鎖を腰に付け、THE CLASHのTシャツに鋲のついたリストバンドを身につけかなり異様な出立。N市の繁華街のミスドで会った彼は鼻が高くほんわかした感じの印象だった。その後、現在に至るまで一緒にやる事になるとは思わなかった。ぱらとの初対面だった。

とりあえずやってみようという事になり、高校時代に使っていたI楽器のスタジオに通う事になる。その頃、Kというギタリストが加わる。確か、自分からもう1人ギタリストが欲しくて直接頼んだように思う。Kは前述のKと軽音の同期で仲が良かった。イニシャルが同じで紛らわしいが、文化祭でベースを弾いたKの友人である。

Kは関西弁を使うオルタナ好きのギタリストだった。高校には2年の頃から殆ど来ておらず、今は暇を持て余してると言う彼からNIRVANAやミッシェルを教わる。毎回練習が終わると彼の家でDragon AshやNIRVANAのビデオを全員で鑑賞した。彼は明確な理想があり、バンド名はKが持っていたアートブックに書いてあったNEETNIKという言葉が良くてそれにした。かなりのハイペースで練習をしていた。NIRVANAやGO GO 7188、自分が選んだTHE STALINのカバーなど。オリジナルよりはまずカバーで演奏力を付けるという名目でKが選んだ曲が殆どだったが、特に不満もなく練習を繰り返す。そもそも自分含めて演奏が下手過ぎた為だ。自分のギターは不要になりボーカルのみに専念する事になる。

グランジっぽい音の中でジョニーロットンが歌うみたいなコンセプトだったが、18歳なのでクオリティはお察しである。夏にはライブが決まった。

初ライブはK市のクリスタルホールという場所でのバンドコンテスト。

V系からミクスチャーから様々なジャンルのバンドが出演していた。

NEETNIKは下手なりにめちゃくちゃやった。

自分はステージを降りて、座席の最前列一人一人に向かって歌った。相当狂っていた。完全に遠藤ミチロウの影響である。金髪のV系の兄ちゃんの眼前、10cmくらいでNIRVANAを歌う。

このライブは撮影されててKがテープを持っている筈だ。いつか見てみたいとは思う。

初ライブは高校の同級生やぱらの仲良かった友人達など沢山観に来てくれた。

そしてこのライブの後、ベースのOは抜け、ぱらも就職すると言って抜けた。

その後はKの幼馴染みのドラマーと自分がベースを弾き何度かスタジオ入りしたが結局、自然消滅みたいになってしまう。その後、ぱらから仕事辞めたわと連絡が来る。ぱらはKと性格が合わなかったのも抜けた理由だったと後で知る。

バンドは人間関係だ。

その頃、自分はと言えば7年ぶりにキャデラと言う男と再会していた。

小学生1年の頃、一番最初に仲良くなった男で中学以降は学校に来なくなってしまい全く会ってなかった。

半端な暴走族だった共通の友人を通して、7年ぶりに話す。訊くとギターをやっているのと、ブランキー好きという共通点があった。元々友人だったので直ぐに打ち解けられた。2日後、家に遊びに来たキャデラをバンドに誘った。

そしてぱら、キャデラ、自分と揃うことになる。

ただ、相変わらず下手くそだったので、ギタリストを募集した。キャデラが見つけてきたのはあっしーと名乗る女性だった。彼女はアコースティックギターで路上ライブもやっていた。

この4人でやろうとバンド名会議。ぱらが姫と呼んでメロメロだったのを覚えている…

NEETNIKは実質解散していた、Kは幼馴染みのドラマーとバンドをやると言っていた。この後も交流自体はあったが、今は殊更連絡を取る事も無くなってしまった。

キャデラは別に何でもいいというスタンスだったので、自分が出したTheシーチキンズとぱらが出したeach(イーチ)の2つに絞られた。

決め手はあっしーの「シーチキンズって可愛いね!」の一言。

2002年冬。Theシーチキンズが結成された。






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