まずはじめに③

まずはじめに①、②の続きです。最後になると思います。
その年はフルマラソンは1本のみでハーフマラソン数本出ていました。そこからだんだんマラソンにはまっていくようになりました。学生時代は冬の体力トレーニングで毎日走らされており、長距離走は嫌いでした。そんな私がマラソンにはまるなんて、自分でもびっくりでした。


サブ4に向けて

翌年のフルマラソンでサブ4に向けて、トレーニングを続けていました。走る距離を月間200km前後走るようになりだいぶ走れるようになってきました。その頃にはランニング雑誌を見たり、ランスマといったランニング情報番組も見るようになりました。そこでは速くなるにはインターバルのようなスピードトレーニングも必要であるとあり、私はインターバルのようなスピード走は嫌いでした。どちらかというとペース走のような一定のペースで走るのが好きでした。週に1回はインターバル系のスピード走を取り入れていきました。

サブ4狙いの大会決め

サブ4狙いの大会は前年同様の大会にすることにしました。理由は近場で走りやすく、タイムも狙いやすいかなと思ったからです。これまた前年同様、地元のハーフマラソンに出場、1時間43分で走れたためサブ4はできるかもと思い始めていました。

ハーフPBでした

目標達成?サブ4できたけども…

結論から言うとサブ4は達成できました。ただ、36km以降は脚が売り切れてしまい、何度も攣ったりして歩いたり走ったりを繰り返していました。残り6kmがとても長く感じました。36km以降走れなくなったのは、自分なりに分析した結果、たぶんトレッドミルばかり走っていたからだと思います。やはり外を走るのとトレッドミルでは少し違いますので。トレッドミルも傾斜なしではなく、1〜2%くらいつけて走っていれば結果も違ってくるかと思いますが。

何とかサブ4達成

ゴール後にそういえばサブ4達成したら、トライアスロンやるって言ったよなということをふと思い出し、興味を持ち始めました。まずは泳げるようにならないとと思い、スクールに通い始めました。その後、自転車も購入するためにサークルで知り合った方に自転車屋さんを紹介していただき、買うことにしました。これでトライアスロンできるなと思いました。

トライアスロンの出場する大会決め

マラソンシーズンも終わり(北の大地は11月でマラソンシーズン終了)、翌年トライアスロンの大会に出ようと決め、スイムを中心に練習をしていきました。全く泳げなかったので、泳げるようになるまでかなり時間がかかりました。特に息継ぎのコツが掴めるまでかなり苦労しました。本当に泳げるようになるのだろうかと心配になりました。
年が明け、トライアスロン挑戦に後が引けないようにするためJTU登録を済ませました。これでトライアスロンをせざるを得なくなります。私は性格上、後に引けなくなる状況じゃないとやる気が出ないので…。
まず、初心者向けの大会は何かないか調べていた所、プールスイム800m、バイク20km、ラン5kmの大会を見つけました。プールなら初心者の私でも大丈夫かなと思い、エントリーすることにしました。ただ、大会まで残り2ヶ月弱、最長でも400mしか泳げてませんでした。

大会当日

結局、大会当日までに800mは泳げず、600m止まりでした。ここまで来たら、もう何とかなるだろう、プールなら足もつけるしみたいに開き直るしかありません。コース分けは事前にタイムを申告し、タイムが近い人達3〜4人と泳ぎます。事前に申告したタイムはかなり遅くしましたが、何度か抜かされました。何とかスイムアップしましたが、下から数えたほうが早い順位でした。バイクもそんなに速くないので、抜かされ、こちらも何とか終え、最後のランに向かいました。ランは4:20/kmくらいで走り切りゴール。これが私のトライアスロンデビューでした。かなりきつかったですが、とても達成感があり、また出てみようかなと思いました。その2ヶ月後、オリンピックディスタンス(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)の大会に出て、完走することができました。それ以後、2019年まで出ていましたが、翌年コロナ禍となり、大会も軒並み中止となり、モチベーションも下がってしまい、現在までトライアスロンを一度離れてしまいました。コロナ禍明けに、デュアスロンには何度か出ましたが、先日のアイアンマンジャパンで妻のゴールシーンを見て、一度でいいから「You are an Ironman!」と呼ばれてみたい、そう思うようになりました。

かなり長くなりましたが、ダイエットでランを始め、まさかトライアスロンまでするとは夢にも思いませんでした。
以上でまずはじめにを終了します。ありがとうございました。


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