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「ゲンキになる」を伝えたい。

Twitterをながめていて

私はTwitterを始めてから、どれくらいになるだろう。
読んだ本の中から「ピン」ときた言葉をツイートしている。

そこに「いいね」されると、なんだかうれしくて。(O型です...)

いろいろなツイートがある。
なかでも「不安だ」「憂うつだ」「元気になりたい」が気になるのだ。

そしていつも、呼吸をするように私は「ココロ」のことをいつも考えている。

転勤族になってから

夫の転勤で各地を歩いていると、環境の変化に「ココロ」がついていけず
メンタルを病む人がまわりにでてきた。幼い子供を残して星になった奥さんもいた。

私の他県に住む友人も、その一人。心療内科に通っている。
毎日曇り空の梅雨時など、つらそうだ。

母のこと

いつも「ココロ」について考えるのにはわけがある。

私が幼稚園の時、母が突然、わけのわからないことを言うようになってしまったのだ。

父は、朝刊をつくる仕事のサラリーマンだった。毎日、朝方に帰ってくる昼夜逆転の生活。

他人に気を遣うやさしい母は、父に合わせてやはり昼夜逆転の毎日。

日中寝ていればいいのに、同居の祖母にも気を遣ったり、しょっちゅう訪ねてくる小姑の手前、横になることもせず、睡眠不足で疲れがたまり、だんだんと精神を病んでいった。

「智恵子抄」の「智恵子」と文字は違うが、同じ名前の母。
病気も、智恵子と同じ。

卒園アルバムには、正気ではない顔つきで写っている母を、叔母は指差しバカにして笑っていた。

この辺りから私は、自己肯定感が低くなっていった。

こんな家庭環境で育った子どもの頃の私は、

・好き嫌いがはげしくて
・小食で
・休みの日は、昼まで寝ていて
・運動は苦手で

とにかく、ダメダメな子ども時代。
中でも一番ダメだったのは、しょっちゅう風邪をひいていたこと。

そんな病気がちな子どもから変われたのは、だいぶ遅くて嫁にいってから。

嫁ぎ先は農家だった。

・太陽に合わせた規則正しい生活
・新鮮なやさいがたっぷり食卓にある
・外で働くから汗をかくのが当たり前 (※私は農作業をしなかったけど)
・外で汚れるから、お風呂(湯船)には必ず入る

と、みな当たり前に嫁ぎ先の人たちは、こういう生活をしていた。

ここでは、みんな病気知らずで、とても元気だった。

いっしょに大人数で暮らしたのは、夫の転勤までの三年間。
こんな生活を数年送っただけで
私は病気がちだったのに、なぜか風邪もひかないくらいに元気になった。

医薬品登録販売者の資格を取った

そんなあるとき、医薬品登録販売者の資格を取って、健康相談薬局に勤めることになった。

この仕事で

・自律神経
・腸と脳の関係
・漢方薬

など、カラダのことを学ぶうちに、「ココロとカラダの疑問」の点と点がつながった。

環境が変わっても、生活リズムに気をつけることでメンタルも、カラダも
ゲンキに過ごすことができるのだ。

お客さんから「ゲンキになった。ありがとう」といわれる仕事をしていたら、私自身のメンタルも元気になっていった。


仕事で得た知識が、今は星になってしまった両親に伝えることができたなら、もう少し健康で長生きができたかもしれないと、悔やまれる。

少しの不調ならば、自律神経のしくみを理解して整えるように生活をすれば、元気になるのにそう時間はかからない

自律神経のしくみを理解して、整えるように生活をしていくうち
病気知らずのカラダになった。

いま、日本中が「不安」という空気に覆われている。

これらのことから、「健康」のことを発信して少しでも
ホッとできる人を増やしたい。

立派な学歴などないワタシだが、誰かの役に立ちたいと思っている。

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