マサキさんのこと。
「続きはあしたの朝からやります」と言って帰ったマサキさんが、その日の晩に亡くなった。
マサキさんはDTPオペの派遣で、初出社の日に、40代後半で職業訓練校でデザインの勉強をしたこと、旦那さんとふたり暮らしということ、20年近く働いてなかったこと、などを、口から豆を飛ばすみたいにしゃべっていた。その様子。服装。挙動。いい人特有の鬱陶しさで形成されている人だった。
私はマサキさんがDTPをDPEと言うたびに、苦笑しながら否定した。マサキさんの持ってる仕事が校了になるまで進捗をしつこく確認した。集中すると休憩も退勤も忘れるマサキさんに声をかけた。イライラした。そういうイライラにまったく気付きもしないのが、マサキさんなのだった。
なのに葬儀の翌月、マサキさんの旦那さんが挨拶に来た。私にだ。緊張していたが、私が友達のように話し相手になってくれてうれしかった、慣れない仕事で足手まといになっていただろうに親切にフォローしてくれた、休憩をちゃんととれるように、ちゃんと定時で帰るように、いつも気にしてくれた、という。
ほんとうに世話になりました。ご迷惑を、おかけしました。
と、メガネをかけた、痩せたマサキさんの旦那さんは、私に頭を下げた。深々。
そういうわけでマサキさんはいまもなお、いい人特有の鬱陶しさで私にストレスのようなものを与え続けている。イライラする。そしてマサキさんが私のそのイライラに気付くことは、これからずっと、絶対にないのだった。