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まずは自分を紹介しないとね

さぁどこから行こうか?

家族構成は奥様、長女、次女、長男、次男の6人家族、簡単に説明するとビックダディ!ってやつです。

学歴はほんとに低学歴なので割愛して、新卒で東京に本社がある建設の現場監督として4年間で、工場、保育所、マンション、プラント、個人宅などを数件ペーペーの現場監督として過ごしました。
ちなみにその間、本社へ行った回数は2回?
新入社員歓迎会で1回と、退社の手続きで1回(笑)
それ以外は、現場と家を毎日毎日毎日毎日毎日いったりきたり。

そして4年後…悲劇が起こってしまった!
現場監督の仕事に飽きてしまった。
まぁ飽きてしまったというよりは、
この先40年この仕事をやるのか?
メルメットを毎日かぶってハゲるんじゃないのか?
主任を見てると能力的に自分には出来ないんじゃないのか?
電車に揺られる毎日を送るのか?
こんな思考が半年くらい続いていた。

そんなことを考えている数カ月前から、運送業をやっている親に、ものすごい遠回しに「帰ってこい!」という話を小出しに聞いていた。
実際のとこ、親が事業をやってて就職先が簡単にある人は、この波に乗ってしまうでしょう。まさに私のように。

人は楽な方に走ると簡単には戻れない」この言葉がぴったり当てはまる人生のスタートで、仕事をほとんどしない、気に入らなければ文句も言う、嫌なことは全て見てみぬふり、通常の会社で言うとこの、口だけ管理職のような状態でした。

それから30ちょいで双子が出来たことをきっかけに、また新たな考えがよぎります。このままじゃなんかヤバイぞ!

そのころ会社の状況もよくなく、いつ路頭に迷ってもおかしくない、何か動いていかないと生活が出来なくなるかもしれない。
そんなことを考えてはみるが、知識も経験も人脈も仲間もない、あるのは何かヤバイと思った私と、なんとかある会社と、なんとなく働いてる社長と社員、非常に弱い布陣だ。

さぁどうする?このまま美談にできれば、それほど嬉しいこともない。
が、そんなこともなく「人は楽な方に走ると簡単には戻れない」の言葉通りやったほうがいいだろうと思うことに対して、自分に言い訳を並べて逃げる日々。
でも今思えばそのあたりから、人生と真面目に付き合うことに気付いたのかもしれない。夜嫌な夢を見ることもあった。

そんな日々を送りながら、少しずつではあるけど行動するようになった。
やったこともない営業、社員とのコミュニケーション、取引先との交渉、それに付随する書類や雑務、同業や異業種の交流、どれもこれも教えてくれる人がいないので1人で調べながらなんとかこなす。

でも「逃げる癖」ってのはなかなか治らない腰痛みたいなもので、常につきまとう、もう意識だけでは変えられない、ここは強制しかない!ってことで勝手に登記変更して取締役に就任という方法に出る。
この話をすると、異常者だといわれるけどいまだにそこは普通でしょと思ってる(笑)

そこからは会社も右肩上がりで会社の雰囲気も良くなりましたとさ。

とはならないのがリアル。
1年前には代表交代もして、会社も移転して、社員も増えたり減ったり、コロナの影響もあり業績もおもわしくない、でも社内に一緒に考えてくれる仲間もできた、社外にも相談に乗ってくれる仲間もできた、一緒にビジネスをやってくれる仲間もできた、取引先も少しずつではあるけど増えた、新しいことへの挑戦はまだまだ私が主導でやってるけど、これも近いうちに一緒にやってくれる人が現れるでしょう(たぶん)

もっと詳細を書けばあと1000倍は書けるけど、自己紹介ということでこのあたりでやめときます。


ここまで生きてきての教訓は、「それなりの大学ちゃんといっとけ」かな。

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