MIKANOMAN

雑食です。 いろんなものの感想を投稿します。 備忘録程度に。

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最近の記事

是枝裕和『万引き家族』

『怪物』を観て、ついに『万引き家族』を観た。物語としてよくできているなと思ったのは『怪物』だが、そんな比較はナンセンス。面白かった。 生活だけでなく、家族構成自体が「万引き」で成り立つ「万引き家族」。本当の家族とはなにか、というよりは家族というものの解体に主題があるのか。それぞれに絆があればいいじゃない、的な。 家族というものの捉え方だけでなく、「万引き家族」はいわゆる世間の論理と異なる論理で運動している。「万引き」について「誘拐」について、「看取る」と言う行為について、そ

    • 来るべき変化のためにーー三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』

       忙しくて映画館に観に行くことが叶わなかった映画をやっと観ることができた。Amazon prime様様である。あらすじは以下のとおり。 〈普通〉の物語  物語は単調だ。特別大きな転換があるわけではなく、特異な人物が出てくるわけでもない。ケイコが聴覚障害者であることも、物語を構成する一要素であって主題たりえない。少なくとも障害者が苦難に立ち向かう、といったタイプの映画ではない。障害や障害者はなにも "私たち" とは違う世界に存在するのではなく、ごくごく当たり前に存在するので

      • 語り直すこと/意味付けることーー佐藤厚志『荒地の家族』

         理不尽に襲いかかる「災厄」。なんの前触れもなく、突如としてやってくるそれとどのように向き合うことができるだろうか。 「災厄」として語ること  佐藤厚志『荒地の家族』が今年の初め、第168回芥川賞を受賞した。同回、二人称の語りを採用した実験的な作品で芥川賞に選ばれた井戸川射子『この世の喜びよ』に対して、小説のセオリーを知り尽くした玄人的な作品だったといえる。  内容は概ね以下のとおり。  舞台は「災厄」から10年が経った宮城県亘理町。東日本大震災 ≒「災厄」とどのよう

        • 「怪物」と化する解釈 ーー 是枝裕和『怪物』

           ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』をこのように締めくくった。  言葉の限界が世界の限界を規定する。今となってはごく当たり前のように言われる命題であるが、私たちはこれを「はい、そうですか。」と受け入れるわけにはいかない。多様性が謳われる裏で、徹底した個人主義が進むこの世界を生きる私たちは、多様であることを理解しているようでいてその実なにも理解していないのではないか。  泥の中を1人で歩く少年がふと振り返る。是枝裕和『怪物』は、そんな謎めいたカットで始まる。物語の詳細は

        是枝裕和『万引き家族』

        • 来るべき変化のためにーー三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』

        • 語り直すこと/意味付けることーー佐藤厚志『荒地の家族』

        • 「怪物」と化する解釈 ーー 是枝裕和『怪物』