見出し画像

重商主義の向こうがわ

登場人物

山宮泰三……二十七歳・男性
田村康……二十七歳・男性
石島治子……二十五歳・女性
アンドリュー・キューブリック……四十五歳・男性

 0

ヒューッという戦闘機が飛ぶ音。
溶暗。
マシンガンの銃声音が鳴り響く。

 1

舞台は山宮家の屋敷の中。
庭は畑となっている。
縁側の戸が開かれている状態で、客席からは家の中が丸見えになっている。
舞台中央の縁側では、小作人・田村康が食事をとっている。
部屋の奥からは屋敷の主人・山宮泰三が、食事を運びながら登場。

泰三「どうだ。うまいだろ。」
康「うん。美味しい。」
泰三「そうだろそうだろ。この野菜は、お前が半年かけて、丹精込めて育てたんだからな。自分で作った食い物には、それなりの思い入れがあるだろ。」
康「おかわりはあるかい?」
泰三「あるよ。おかげで今年も豊作だから、じゃんじゃん食べなよ。」
康「ありがとう、泰三。いつもごちそうになっちゃって。」
泰三「何を言ってんだよ、康。お前がいないとこうして畑仕事が回っていかなかったんだから、もっと堂々としろって。」
康「いや、でもこのご時世に、僕に仕事をくれるなんていう人はそうはいないよ。君のおかげで、こうして健全に生活ができてるんだ。本当に感謝してるよ。」
泰三「そうか。……あれから何年経った。お前がここに来てから。」
康「三年目になるかな。あの災害が起きたのは四年前だから。」
泰三「そう、だな。それにしても早いもんだ。もうそんなになるんだな。」
康「ああ。」
泰三「不思議なもんだよ。高校の三年間はとても長く感じたのに、いざこうして社会人になると、こんなに早く感じるんだから。同じ三年間でも。」
康「どこの高校に通ってたんだっけ。」
泰三「松原高校だよ。普通科で、山奥の。」
康「ああ、そうだったね。」
泰三「あそこの高校は、本当に厳しい高校だったよ」
康「そんなにキツかったの?」
泰三「いや、キツイというよりは、厳しかった。先生や周りは優しい人ばかりだったけど、何しろ勉強がな。」
康「なるほど、普通科だからね。」
泰三「そ。それに大学への進学コースだったから、受験シーズンはひどかったなあ。」
康「受験か。懐かしいね。あの雪の中で、家にこもって勉強してた頃が、つい昨日のことのように思うよ。」
泰三「へえ、美術科の高校でも勉強することがあるんだ。」
康「そりゃあるさ。何しろ難関の大学だったんだから。」
泰三「尾張芸大だったっけ?」
康「え?」
泰三「尾張芸大だよ。名古屋にある、美術大学の。そこにいたんだろ?」
康「ああ、そうだよ。」
泰三「いやあ、大したもんだよ。そういう一流の大学へ進んでさ。」
康「そんなことないよ。進路が違うだけさ。普通科と美術科とでは、教わることも違うだろ?」
泰三「それもそうだけど。」

少しの間。

泰三「あのさ。康の所の大学って、どんなことを勉強したの?」
康「どんなことったって、ひたすら絵画のことばかりに集中してたよ。」
泰三「へえ~、じゃあデッサンを毎日やってた感じなんだ。」
康「まあね。それで、他にも美術の歴史について深く学んだり、絵画の実践的な指導もあったりしてね。」
泰三「そうなんだ。いかにも『美術大学!』って感じだな。」
康「泰三の所は、文学部の大学だったっけ?」
泰三「そうだよ。」
康「文学部ってことは、ひたすら小説とか古典についてのことを学んだりするの?」
泰三「三、四年の頃はそうだった。でも一、二年は一般教や英語、体育までやらされたんだ。」
康「へえ、そうなの。」
泰三「ああ。その辺はもう、高校の延長のように思ったな。」
康「そうか。まあ僕らも、英語とか数学は軽く習ったけどね。まさか体育まで、君んとこの大学ではやるなんて、思いもしなかったよ。」
泰三「ホントにな。」
康「はあ。大学か。なんだかとても懐かしく感じるよ。」
泰三「そうだよな。あの時がつい数日前のことのように思えて仕方ないよ。」
康「そうだよね。僕も、美術大学に通ってた頃の自分が、愛おしいとさえ感じちゃう。あの頃は何かと、夢や希望に燃えていた頃だったからね。」
泰三「絵描きになるのが夢だったんだっけ?」
康「ああ、そうだよ。」
泰三「そうか。それはたいそう大きな夢だったな。」
康「まさか、君の所でこうして世話になることになるなんて、当時はみじんも思わなかったよ。」
泰三「驚いたのはこっちの方さ。新聞にはさむ求人広告に掲載をお願いして折り込んでもらったら、真っ先にお前が電話してきたんだから。」
康「へへ。出来れば近い所で働きたかったからね。」
泰三「まあ、こっちとしては願ったりかなったりだったけどな。」
康「ごちそうさま。そろそろボク働くよ。」
泰三「いいよ、まだ。今日の種まきはここまでで。」
康「いいのかい? こんなにまだ畑が余ってるのに。」
泰三「次の仕込みはまた明日にするから。まだ収穫の疲れが残ってるだろ? しっかり休みなよ。」
康「そう。それならお言葉に甘えて、休ませてもらうよ。」

康、床の上でゴロンと横になりだす。
間。

康「世間では、今どうなってるんだろう。」
泰三「新聞読まねえの?」
康「以前は読んでたさ。芸術関係の記事だけ。でも最近はめっきり。」
泰三「最近は、かなりきな臭くなってるよ。フランスでまたテロが起きるわ、中東で紛争が起きてるわで。もう、大変なもんだよ。」
康「中東か。うちの親もそういうのに関わってるんだろうな……」
泰三「ああ、お前んとこの両親は、二人とも自衛隊だったな。」
康「そうなんだよ。」
泰三「それじゃあ、心配になるだろ」
康「まあね。」
泰三「今度いつ帰ってくるの。」
康「わからない。状況が状況だから。」
泰三「そう、だよな……」

間。

泰三「新聞は、読まないんだな。」
康「え?」
泰三「新聞だよ。お前、なんで普段読まないの?」
康「新聞なんて、読んでも得にならないからさ。いやな話題ばっか書かれてあってさ。おまけに情報量も多いし。」
泰三「まあ、それはそうかもしれないけどよ。」
康「泰三は読むの、新聞。」
泰三「ああ、電子媒体で。」
康「電子媒体? スマホで読んでるのか。」
泰三「そ。無料登録で、少しだけしか読めないけど。」
康「へえ、そんなこともできるんだ。」
泰三「ああ。電子媒体のニュースレターとヘッドラインメール、それと有料記事を一日ひと記事という契約で。」
康「無料ってのはいいね。それで商売成り立つのかな。」
泰三「さあ、そこはよくわからないんだけど。」
康「最近のニュースは、どんなのが来てるの?」
泰三「見てみようか?」
康「お願い。」
泰三「わかった。」

泰三、部屋の奥へ行き、スマートフォンを持って再び縁側に現れる。

泰三「(スマートフォンの画面を見ながら)今日、フランスが氷漬けになったみたいだぞ。」
康「え!? どうして。」
泰三「なんでも、北極の方から寒波が下りてきたっていうことらしい。」
康「そんな、今ここら辺が秋になったばかりなのに。何で氷漬けなんかに。」
泰三「知らねえよ、自然の成り行きのことなんて。」
康「地球温暖化はどこへ行ったんだ。」
泰三「まあ、一説では、温暖化なんて嘘だっていう説もあるらしいからな。」
康「え、そうなの?」
泰三「ああ。まあ詳しくはよくわからないんだけど。」
康「フランスが、氷漬け。」
泰三「このようじゃフランスも危機的だな。船も飛行機もすべて運行停止だってよ。」
康「どうして?」
泰三「船は氷河に流されて沈没する可能性があるらしくて、飛行機は雪や雹(ひょう)のせいで、辺りが見えなくなるらしい。」
康「そんな。芸術の都を抱えているフランスが、氷漬け。」
泰三「さてと。俺はそろそろ仕事を再開しようか。」
康「フランスが、氷漬け。」
泰三「……よっぽどショックなんだな。」
康「そりゃショックを受けるよ。だって、ヨーロッパ芸術の代表格なんだよ? ルーブル美術館がある国なんだよ?」
泰三「まあ、それもそうだよな。」
康「氷漬け。フランスが、あのフランスが……」
泰三「……さて、そろそろ仕事を再開しようかな。」

泰三、舞台袖からたくさんの野菜を持ってくる。

康「僕もやるよ。」
泰三「いいよ。まだ疲れてるだろ。」
康「疲れてないよ。やるよ。」
泰三「……じゃあ、梱包を一緒に頼むよ。」
康「うん。」

泰三と康、野菜の梱包作業を行いだす。
間。
ため息をつく康。

泰三「どうした。疲れてんなら休んでていいんだぞ。」
康「いや、疲れているというか、失望してるんだ。」
泰三「何に。」
康「フランスが氷漬けになったことにだよ。」
泰三「ああ。」
康「(梱包作業を行いながら)僕、フランスに行って絵を描きたかったんだ。それが小さい頃からの夢だったのに、これじゃまさに絵に描いた餅だ。」
泰三「なるほど。それで落ち込んでたんだな。」
康「そうなんだよ。」
泰三「なるほどな。」
康「泰三は、小さい時どんな夢を持ってたの?」
泰三「俺か?」
康「うん。」
泰三「俺は、作家になろうと思ってた。」
康「へえ、作家って、小説家?」
泰三「ああ、そうだよ。日本中の書店に、自分の名前が記された著書が平積みされてるのを、いつも妄想してたな。」
康「泰三の書くジャンルは、やっぱりエンタメ?」
泰三「いや、エンタメというよりはラノベだよ。俺の書く小説は。」
康「ああ、ライトノベル。」
泰三「でも、最近出版不況のせいで、ほとんどの書店がつぶれただろ? そういうのを見てると、何かやる気が失せちゃってさ。」
康「やっぱり、ここ最近の不況のあおりは大きいよね。」
泰三「まあな。とりわけ日本がTPPに加入してから、状況は一気に変わっちまった。TPPによる自由貿易とか言っておいて、結局は向こうの言い分ばかり鵜呑みにしてるだけなんだからな。」
康「そうだよね……」
泰三「特に農業なんかは大打撃だよ。みんな安い食い物ならなんでも買っちゃうもんな。TPPに加入するなんて、ホント馬鹿なことをしたもんだよ。」
康「なんで、日本はTPPに加入したんだろうね。」
泰三「さあな。当初は『平成の開国』とか言って、海外のグローバル化に乗り遅れないようにするためとかほざいてたけど。」
康「平成の開国。」
泰三「そう。でもある新書によると、日本はもとから開国をしているっていう話らしいぞ。」
康「どういうこと?」
泰三「日本は、よそと比べて関税が低い方なんだよ。だから市場の進出がもともとしやすい環境だったんだってさ。」
康「はあ。」
泰三「海外から日本を悪く言われたならまだしも、日本が自分から『内向きな貿易だった』なんて言い出すから、海外の人は、以前よりももっといい条件の貿易を求めてくるんだよ。ホント何してんだか。こっちの身にもなってほしいもんだよな」
康「ホントそうだよね。」
泰三「これからは、もっとひどい貿易が展開されるんだろうな。日本の得にならない条件ばかりを突き付けられて、こっちの収入がどんどん減らされていくんだ」
康「でも、そんなのやってみなくちゃわからないんじゃないの?」
泰三「わかってないな、康。今はな、アメリカが世界の経済を牛耳ってるんだ。今入り込んでる野菜や果物はみんなアメリカ産ばかりなのは、お前もわかってるだろ?」
康「それはそうだけど、それと何の関係があるの。」
泰三「アメリカはTPPに参加はしてないけど、大統領の日本への押しつけはかなりひどいらしいんだ」
康「そうなの?」
泰三「ああ。何しろ向こうの国はいつも対日貿易においては赤字だからな。」
康「なるほど。それで向こうも躍起になってるってことか」
泰三「そういうこと。」
康「なるほどね。」
泰三「あーあ、こりゃ父さんや母さんが病気になるわけだ。」
康「え? 泰三の親御さん、病気だったの?」
泰三「そうだよ。父さんはうつになって、母さんは統合失調症だよ。二人とも今は入院中。」
康「なるほど、道理で、他に誰もいないわけだね。親御さんも、大変なんだね。」
泰三「まあ、金銭面では国の障害者年金とかで助かってるんだけど。でも、こんなご時世だから、やっぱかなり苦しいな。」
康「まあ、そうだよね……でも、この辺はまだ恵まれてるよね。」
泰三「例えば。」
康「例えば天候。野菜がすくすく育つもんね。」
泰三「まあ、それはそうだな。おかげで、父さんの遺したこの畑で野菜つくれるしな。」
康「そう考えると、都会や商店街は大変なんだろうなあ。」
泰三「まあ、店によるとは思うけど。でも、あそこはたくさん稼がなきゃ生きていけない世界でもあるからな。」
康「畑も持ってない家がほとんどだろうしね。」
泰三「あのさ。この前ニュースで見たんだけど、最近日本は、街中を中心に犯罪が増えてきてるらしいぞ。」
康「え、そうなの?」
泰三「ああ。」
康「嘘でしょう? どうしてまた。」
泰三「考えてもみろよ。街中には金銭的に苦しくて、食い物に飢えてる人で一杯なんだから。失業者とか、ホームレスとかな。しかも、あそこ密集してるだろ? 誰だってイライラしてくるよ。」
康「そういうもんかな……」
泰三「ネズミの場合はそうだよ。ある実験によると、ネズミを一つの箱の中に密集させて放置してみたら、ネズミたちは互いに殺し合いをしたんだってさ。」
康「え!? そうなの?」
泰三「ああ。びっくりするだろ?」
康「うん。そういうの、初めて聞いた。」
泰三「ネズミでもそうなんだから、悩みの多い人間なんかはなおさらだよ」
康「なるほど。それもそうか……」
泰三「どこへ行っても、大変なもんだよな。」
康「そうだね……」

間。

康「確かに、あの東京でのオフィス仕事は大変だったよ。上のデザイナーから割り振られた、カードとかゲームとかのキャラクターのイラストを描く作業なんかは、夜遅くまで、残業でやってたな。けど社長は、全然僕を正社員として雇ってはくれなかった。どんなに一生懸命頑張ったって、どんなにクオリティーを上げても、あの人はちっとも、僕を認めてはくれなかった。改めて実感したよ。イラストレーターは芸術家なんかじゃないって。むしろそういう芸術家意識は、仕事の邪魔になってしまうんだ。」
泰三「大変なんだな。イラストレーターっていうのも。」
康「うん。好きなことを仕事にするっていうのも、そう甘いものじゃないよ。」
泰三「それもそうだよな。」
康「でも、やっぱりいつかは、また絵を描いて生きていきたいな。」
泰三「イラストレーターを続けるってことか?」
康「いいや、違う。僕は、画家になりたいんだ。」
泰三「画家に?」
康「そう。」
泰三「やめときなよ、画家なんて。」
康「もちろん、何度もやめようとは思ったよ。けど、どうしても諦めきれなくて。」
泰三「絵を描いたところで、買い手はいるのか?」
康「インターネットで作品の写真を公開してるけど、今のところは全く。」
泰三「やっぱそうだろ。やめときな、画家なんて。悪いこと言わねえから。」
康「もしかしたらいるかもしれないじゃないか。」
泰三「いいや、いないな。」
康「どうしてそんなこと分かるんだよ。」
泰三「考えてもみろって。絵を買ったところで腹を満たせるか?」
康「絵は腹を満たすものなんかじゃない。心を満たすものなんだ。」
泰三「それだったら他にもたくさんあるだろ。ゲームとかテレビとか。」
康「いいや。絵には、絵でしか受けられない感動があるんだ。そこらのゲームやテレビ番組と一緒にされたら困るよ。」
泰三「ホウ。じゃあ今から、そんな感動を与える絵を見せてくれよ。」
康「今から?」
泰三「ああ、今から。」
康「わかった。僕の名前を検索すれば出てくるよ。」
泰三「ああ、そう。」

泰三、スマートフォンを使って康の絵を検索しだす。
間。

泰三「うわ。ひっどい絵だなあ。」
康「馬鹿にしてる?」
泰三「いやいやいやいや。ちょっと冗談で言ってみただけだよ。」
康「ああ、冗談。」
泰三「冗談に決まってるじゃねえか。こんな絵を見せられりゃあ、さすがに驚くだろ。」
康「それはどうも。」
泰三「さすが元イラストレーターって感じがするわ。正直、意外なほどに。」
康「これでもプロだったからね。」
泰三「そうだよな。」

ニヤニヤと笑いあう二人。
間。
梱包作業を再開する泰三と康。

泰三「それにしても、ホント疲れるよな。この作業。」
康「ホントにね。何かラジオでも聴いていい?」
泰三「いいよ。流して。」
康「わかった。」

康、ラジオの電源を入れてラジオの流す音楽を聴き始める。
間。

泰三「(ひとり言)まあ、好きなことを仕事にできればいいもんだけどさ。現実はそうはいかねえよ。俺だって、何度も何度もラノベ作家になろうと思ってた。けど、作家なんてまともな稼ぎになりゃしねえんだよ。(康に向かって)あるサイトによると、今では売れっ子の専業作家でも、筆一本で食っていくのに苦労してるらしいんだ。大作家でさえそうなのに、まだ無名の俺なんかなおさらだ。」
康「ネットに、小説を発信してたんだっけ?」
泰三「ああ、そうだよ。」
康「人気の方はどうだったなの。」
泰三「まあ、最初は百人ぐらいの人が読んでくれたさ。けど、すぐにアクセスが少なくなっちゃって。今では一日一人ぐらいがいい所さ。読んでもらえるだけ、まだマシだってもんだ。……一時期は、本当にたくさん書きまくってた時期もあったよ。毎日書いては投稿して、また書いて、配信してさ。そうやっていつも、いつかは夢が叶うと信じて頑張ってきた。けど、どの作品も一向に人気になることはなくて、ファンもついてるんだかついてないんだか……。作家として食える人間なんて、ほんの数人さ。しかも、その人たちもまともな贅沢ができているかどうかも分かったもんじゃない。」
康「……小説家の世界も、本当に厳しい世界なんだ。」
泰三「ああ。みんな好きなことで生活ができるほど、世の中は甘かないんだ。」
康「じゃあ、今やってるこの農作業は、不本意でやってるんだ。」
泰三「まあ、食い物がないと生きていけないからな。」
康「そう。……農業に作家活動なんて、何か宮沢賢治みたいで、かっこいいと思うけどな。」
泰三「宮沢賢治か。そういえばそういうのに憧れてた時も、あったかな。」
康「今は憧れてないの、宮沢賢治。」
泰三「ないね。」
康「どうして。」
泰三「だって、農業はまともに儲からないからさ。」
康「……。」
泰三「そりゃあ、宮沢賢治の作品はとても幻想的で、一度は自分も、そんなのを書いてみたいとは思ったさ。けど、そんな小説を書いたところで1円の金にもなりゃしないし、誰も注目しないさ。事実、宮沢賢治だって生前は全くの無名だったじゃねえか。出した本はたったの2冊。ほとんど売れもしなかった本を書き続けながら、ひもじい生活を続けてきたんだぞ。そんなの、誰が憧れるんだよ。」
康「でも、宮沢賢治は今では有名じゃないか。」
泰三「死んでから有名になったって、意味がないんだよ。」
康「……でも。」
泰三「まあ、何でも金で判断するものじゃないとは思うよ。けどさ、作家ってのは、読者から金をもらってなんぼの世界なんだ。慈悲活動で物を書いてるんじゃねえんだよ。世の中には、小説を書くことを趣味でやってるっていうアマチュアもいるかもしれないけど、俺からしたらそんなのは言い訳にすぎねえんだよ。」
康「言い訳。」
泰三「そう。本を書いて発表しても売れないから、仕方なく自己満足の領域で収めようとしているだけだよ、そういう奴らは。」
康「はあ。」
泰三「趣味で小説書いてるって聞くと、ホント頭にくるんだよ。『別にお前の趣味に付き合いたくねえよ』みたいな?」
康「趣味で書くことって、そんなに悪いことなのかな……」
泰三「悪くはないと思うよ。ただな、そんなこと言って書いてる奴の小説って、まともな物がないんだよ。文章は読みづらいし、描き方もひとりよがりだし。」
康「へえ、結構読んでるんだね、泰三。」
泰三「読んでるっていっても、一週間に一冊読み切る程度だけどな。」
康「それだけ読めれば大したもんだよ。」
泰三「康は、本とか読まないの?」
康「そうだね。読むのは結構限られてるかな。」
泰三「例えば。」
康「漫画とか。」
泰三「へえ、康も読むんだ、この年頃で漫画を。」
康「もっとも、僕の場合は漫画を読むというよりは、『眺める』と言った方が正確かな。」
泰三「漫画を眺める?」
康「そう。その漫画の中で描かれてあるワンカットのシーンを、絵画的な視点で見つめていくんだ。いい漫画っていうのは、ストーリーだけじゃなくて、キャラクターの描写や構図の取り方が絶妙なんだよね。だから、元イラストレーターの僕からしたら大いに学べるものも一杯あって。」
泰三「さすが絵描き志望なだけあるな。で、どんな漫画が好きなわけ?」
康「そこについてはノーコメントで。」
泰三「え? そんなに恥ずかしいものでも読んでんのか?」
康「そこについてはノーコメントで。」
泰三「……ははあん。さてはお前、アダルトとかエロ漫画を読んでたりしてるんだろ。」
康「……。」
泰三「え。まさかの図星?」
康「エロ漫画っていうのは語弊がある言葉だよね」
泰三「やっぱ図星なんだ!」
康「うるさいな、小学生のガキみたいに大げさな。」
泰三「『大げさ』って、だってそういうのってまともなものねえじゃん」
康「そりゃそうだよ。そもそもまともなエロ漫画なんて存在する方がおかしいよ。」
泰三「ついに開き直りやがったな。」
康「芸術家なんてみんな変態なんだよ」
泰三「そこまで言うか」
康「大体、君は女性のパンティーに興味が全くないってことがあったりするか?」
泰三「言い訳をして自分を正当化するなよ」
康「僕の質問に答えろよ。少なくとも君も男であれば、女性に少しは興味を持つだろ?」
泰三「まあ、そういうのが男性というものだろうけどさ。」
康「だったら、そうやって僕を変態のように扱うのはやめてくれよ。」
泰三「いや、『変態のように』ではなくて、立派な変態だから。」
康「僕が言いたいのは、要はいやらしい目で軽蔑するのはやめてほしいってことだよ。」
泰三「どっちがいやらしいんだよ。お前の方がよっぽどじゃねえか」
康「(野菜に八つ当たりして)ああ、もう! だからそうじゃなくて!」
泰三「ああ! 大事な商品を! 八つ当たりするんじゃねえ!」
康「我慢できるか、こんな状況で。」
泰三「この野菜は商品なんだぞ! もっと大事に扱え!」
康「……(舌打ちして)分かったよ。」

間。
康、ラジオを止める。そして、再び梱包作業を行う。

康「商品ったって、直売所でも100円にしかならないじゃないか。しかも、3つで100円。ひとつ33円だ。」
泰三「なんだよ。文句あんのか、時給をもらってる立場で。」
康「いいや。ただ僕は、失望をしちゃってるだけだよ。」
泰三「また来たよ、『失望』。今度は何に失望してるんだ?」
康「……さっき君も言ってたようにさ、農業って、本当にまともに稼げない仕事なんだなって。というか、ここの仕事は時給が低いよ。時給が低いっていわれてるイラストレーターの仕事でさえ、まだマシに思えるよ。」
泰三「だったら、またやればいいじゃねえか。イラストの仕事を。」
康「できないよ。」
泰三「どうして。」
康「だって、あそこは僕の絵を認めてはくれないから。」
泰三「ああ、そう。じゃあこの仕事に耐えるしかないよな。残念な話だけど、これが農家の現実なんだ。」
康「……重商主義の向こうがわは、どんな世界が広がってるんだろう。」
泰三「はあ?」
康「ある本に書いてあったんだ。今の時代は、いわゆる商売ばかりで生活をしている、いわゆる『重商主義』なんだって。」
泰三「ジュウショウ主義?」
康「そう。商いにばかり比重をかけた考え方のことさ。」
泰三「初めて聞いた言葉だな。どんな本に書かれてあったんだ?」
康「確か、アダム・スミスの著書だったと思う。『諸国民の富』っていう題名の本だったかな。」
泰三「へえ、あの『神の見えざる手』で有名な、あのアダム・スミスがねえ。」
康「僕、しみじみと思うんだ。いつまでもこういう商売ばかりの世の中は通用しなくなるって。」
泰三「さあ、それはどうかな。」
康「いいや、そうなる。というか、そうなってるじゃないか。」
泰三「(作業の手を止めて)……じゃあ、仮にお前の言う通りそうだったとして、その、いわゆる『重商主義』? それはなくなるわけではないだろ。金のために働く人間がいなければ、労働力を失っちまう。まあ、最近はロボットによる労働力補完なんていうことも聞くけど、人間にしかできない労働も結構まだあるわけで。そういう労働力を失っちまえば、今の社会が成り立たなくなっていくだろ。」
康「確かに、僕もさすがにお金がなくなる世の中が訪れるとは、思ってはいないよ。ただ、今のような世の中はいつまでも続きはしないっていう話さ。『マネジメント』で有名な著述家、ピーター・ドラッカーは、九十年代にこんな類のことを言ってるんだ。『これからの世の中は、ポスト資本主義になる』って。」
泰三「『ポスト資本主義』。」
康「そう。彼によると、これからは今までの世の中の考え方では通用しない、新しい世界になるっていうんだ。」
泰三「へえ、新しい世界がねえ。」
康「それを読んでから、僕はずっと思ってるんだ。」
泰三「何を?」
康「そのドラッカーの言う、『ポスト資本主義』のことを。つまり僕の言う、重商主義の向こうがわを。」
泰三「……。」

間。
泰三、梱包作業を再開する。

泰三「なんだ。結構読んでるじゃねえか。」
康「え?」
泰三「難しい本を、結構読んでるじゃねえか。」
康「え、あ、ああ……」
泰三「また、ラジオをつけていいか?」
康「ああ、いいよ。」
泰三「わかった。それはどうも。」

泰三、ラジオをつける。
ラジオのスピーカーから流れる、美しい音楽。
間。

泰三「そういえば、最近ふと思うことがあんだけど。」
康「うん。なに?」
泰三「お前、ときどき一人で勝手に収穫してない?」
康「勝手に収穫を? どうして。」
泰三「それがさ、何か妙に、おかしいなって思ってさ。」
康「何が?」
泰三「にんじんが一本抜かれて消えてたり、キュウリが一本もぎ取られてたりしててさ。」
康「え? そんなことがあったの?」
泰三「ああ。お前、知らないよな。」
康「うん。全然。」
泰三「……そうか。」

暗転。

 2

舞台は前場に同じ。
物陰から若い女性・石島治子が登場。
彼女の両手には、たくさんの野菜を抱えている。
治子、舞台中央で野菜をむさぼり始める。
しばらくして、彼女は人気(ひとけ)を察知して物陰に隠れる。
少しの間。
泰三、康登場。

泰三「(ちらかっている野菜くずを見て)……どう思う、これ。」
康「……これは明らかに、いるね。」
泰三「やっぱり、そう思うか。」
康「ああ。間違いないよ。」
泰三「そうか……困ったなあ。」
康「泰三、どうする?」
泰三「盗まれるものが金だったら、金庫に入れて家に鍵をかければいいけど。畑の野菜はさすがになあ……」
康「こんなことってあるんだね。」
泰三「ああ。」
康「警察に通報するか。」
泰三「無駄だよ。警察はまともに対策をとってはくれないさ。」
康「でも。」
泰三「向こうは街中のパトロールで忙しいんだよ。最近同じことがあったから、通告はしたんだ。話も聞いてくれた。でも、この辺はパトロールなんてあまり来ないから、結局どうにもならねえんだよ。」
康「そうか……この辺は、防犯カメラなんてないかな。」
泰三「あるわけねえよ、こんな田舎に。」
康「それもそうか……」
泰三「(大きくため息をついて)ネズミ相手だったら毒物をまけばいいだけだけどなあ。相手が人間じゃ、それもできやしない。」
康「そうだね。相手が人間じゃあね。」
泰三「困ったなあ~」
康「誰か、警備を雇う?」
泰三「これ以上は雇えねえよ。そんな金があればとっくにやってら。」
康「そうだよね……」
泰三「ああ、もう! なんか子供が誘拐された気分だよ。自分の子供を持ったことはないけどさ。」
康「全くだよね。僕もそう思うよ。」
泰三「捕まえたらただじゃ済まさねえ」
康「ホントだよね。」
泰三「とりあえず、この野菜くずを片づけるか。」
康「うん……そうしよう。」

泰三と康、散らかっている野菜くずを片づけ始める。

泰三「ホント、いやな世の中になったもんだよ」
康「ホントにそうだよね。フランスも氷漬けになっちゃったし。」
泰三「お前、まだそのことを気にしてたのかよ。」
康「だってショックなんだもん。」
泰三「安心しろ。フランスでは近隣の国からパンやスープを配給してくれてるみたいだから。」
康「え、そうなの?」
泰三「ニュースでそう言ってたよ。それぐらい目を通せよな。」
康「だって、ニュースって何かと暗い話題ばかりじゃないか。」
泰三「それもそうだけどさ」
康「いったい、誰が見るんだろうね、ああいう暗いニュースなんて。」
泰三「さあな。そういうのに関心がある、物好きな人たちが見てんじゃねえの?」
康「物好きな人って、例えば。」
泰三「例えば? 例えば小説家とかさ。」
康「え、どうして。」
泰三「作家っていうのは、人間の深い部分まで知らないと書けない職業だからさ。知りたくなくても、どうしても知らなくちゃいけないんだよ。」
康「ああ、なるほどね。さすが元・作家志望なだけあるよ」
泰三「まあ。(強調して)もと・作家志望だからな。」

泰三、康、片づけを終える。

泰三「よし。片付けも終わったことだし。今日の仕事を始めるとするか。」
康「そうだね。そうしよう。」

泰三、康、舞台袖へ退場。
治子、ひっそりと現れて辺りを見回す。
そして、再び物陰に隠れる。
しばらくして、泰三と康が、それぞれ鍬をもって登場。

泰三「さてさて、作業だ、作業。種はどこだったっけ。」
康「ああ、種? たしか家の中だったと思うけど。」
泰三「そう。じゃあ、取りに行ってくるよ。」
康「悪いね。じゃあお願い。」
泰三「はいよ。」

泰三、家の奥へ入っていく。
康、庭の畑を耕し始める。
治子、物陰から密かに康を見つめる。
すると、康はその人気を察知して治子のいる方へ向く。
物陰に隠れる治子。

康「誰か、そこにいるの?」

間。
康、治子のいるその物陰の方へおそるおそる近づいていく。
泰三、種の袋を持って登場。

泰三「どうした?」
康「(振り向いて)ここに、誰かいるみたいなんだ。」
泰三「え?」
康「誰かいるの? いるなら出て来なよ。」
治子「……。」

治子、おそるおそる登場。

康「君は……」
治子「田村先輩?」
康「……石島さんなのか?」
治子「はい、そうです。」
泰三「知り合いなの?」
康「ああ。(治子に向かって)石島さん、まさかここで君に会えるとは、夢にも思わなかったよ。」
治子「私もそうです、先輩。本当にお久しぶりです。」
康「ああ、そうだね。(泰三に向かって)紹介するよ。彼女は石島治子さん。僕の高校時代の後輩で、同じ美術部に所属してたんだ。」
治子「初めまして。」
泰三「どうも。雇い主の、山宮泰三です。」
康「いま僕は、彼のもとで農業のパートをやってるんだ。」
治子「え、そうだったんですか。」
康「ああ、そうだよ。それにしてもどうしたの。君の地元はもっと向こうの方じゃなかった?」
治子「いや、それが……」
康「うん。」
治子「私、事情があって家を出たんです。」
康「家を出た?」
治子「はい。」
康「なに、この歳で家出でもしたの?」
治子「それが……」
康「うん。」
治子「……実は、もう、潰れちゃったんです。」
康「え?」
治子「潰れてしまったんです。ウチのお店。」
康「ええっ?」
治子「ウチのお店、借金まみれになって、私が身売りされそうなところをお父さんが逃がしてくれて。それで、ずっとこうして、ここまで逃げてきたんです。」
康「そう言われてみれば、ずいぶん汚れた格好してるなとは思ってたけど。そんなまさか」
治子「本当なんです。もう、かれこれ1ヶ月はまともなものを食べてません。」
泰三「まともなものを食べてない?」
治子「はい。」
泰三「ああ、そう。それは大変だったな。ちょっと待てよ。今から食い物とお茶を出すから。」
治子「すいません……」
泰三「いいよ。困った時はお互いさまって奴さ。」

泰三、退場。

康「ほんとに、よく生きてたね。大変だったでしょ。」
治子「ええ、まあ。」
康「でも、これからどうするの。寝る家もない状態で。」
治子「それは、まだ考えてないです。」
康「ああ、そう……」

泰三、ご飯とお茶を乗せた盆を持って登場。

泰三「さ、この飯でも食いな。」
治子「ありがとうございます。いただきます!」

食事を始める治子。

治子「おいしいです!」
泰三「そうか。それはよかった。」
治子「このお米、ご自分でつくられてるんですか?」
泰三「いや、俺は野菜専門だから。米はつくってない。田んぼの仕事はなかなか手間でな。」
治子「そうですか。」
泰三「野菜と言えば、この辺で野菜を盗んでた人を見かけなかったか? 実は、ウチに野菜泥棒が頻発してて困ってるんだ。」
治子「野菜泥棒。」
泰三「ああ。ウチの大事な収入源だからさ、すごい困ってんの。で、何か知らないか?」
治子「……。」

食事の手を止める治子。

康「石島さん?」
泰三「どうした。別に食いながら話していいんだぞ。」
治子「いえ、その……なんか、申し訳なくて。」
泰三「どういうこと?」
治子「……正直に言います。盗みを働いたのは、私です。この辺の畑の野菜を、たしかに、盗みました。」
泰三「はあ!?」
康「そんな……嘘でしょう?」
治子「嘘じゃありません。たしかにここで、ついさっきまで盗みを働いてました。すみませんでした。本当に、すみませんでした……!」

間。
頭をかき始める泰三。

泰三「どうしてくれるんだよ、全く。」
治子「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい!」
泰三「謝ればすべて済むってわけじゃねえんだぞ。」
治子「わかってます。もう、覚悟は決めてます。」
泰三「ああ、もう……どうしたものかなぁ~」

腕を組む泰三。
間。

泰三「じゃああんた、畑仕事はできるか?」
治子「え?」
泰三「畑の仕事はできるかって聞いてんだよ。」
治子「いえ。全く初めてですけど。」
泰三「そうか。だったら、俺がイチから教えてやる。」
康「泰三。」
泰三「なんだよ。悪いか?」
康「いや、僕は別に構わないけど。知り合いだし……」
泰三「そう。ならいいんだけど。」
康「でも、どうして……」
泰三「いや、警察へ突き出してもまともなことが起きやしないと思ったからさ。こいつの家が金欠なのに、裁判起こして慰謝料請求しても仕方ないしよ。それに、こいつもここにいた方が、まだマシな暮らしができるだろ」
治子「それって……」
泰三「手伝えって言ってんだよ。つまり、ただ働きだ。食事は出す。けど、盗んだ分はうちの仕事をやってもらう。それでいいだろ?」
康「泰三。」
治子「……ありがとうございます!」
泰三「いいか。勘違いすんなよ? 俺はお前を雇うんじゃない。償ってもらうんだからな。金を請求できないから、働いて償ってもらいたいんだからな」
治子「はい……! 一生懸命頑張ります。」
泰三「頑張るのは当たり前だ。そうでなきゃ困るわ。」
治子「はい!」
泰三「……まあ、とりあえず食いな。腹が減っては戦もできないからな」
治子「はい……!」

治子、食事を再開する。

康「泰三、ほんとにこれでいいのかい?」
泰三「いいよ。ちょうど人手が足りてなかったから。それとも、お前はどうも納得しないか?」
康「いや。そうは思ってないけど。」
泰三「だったらいいじゃねえか。なんかいい娘(こ)そうだし。家も大変そうだしよ。」
康「……そうだね。」
治子「ごちそうさまでした!」
泰三「オウ、食ったか。じゃあこっちへ来いよ。一から教えてやるから」
康「いや、まだ食事の直後なんだからさ。しっかり休めた方がいいんじゃない?」
泰三「ああ、それもそうか。じゃあ俺は向こうの畑の手入れをしてくるよ。康はここで仕事を頼むわ」
康「うん、わかった。」
泰三「うん。じゃあ、行ってくるわ。」

泰三、退場。
康、畑仕事をする。
が、彼は治子の目が気になってなかなか仕事に手がつかない。
間。

康「いやあ。まさか、石島さんとこうして一緒に働くことになるなんて、想像もつかなかったなあ。」
治子「そうですね。本当に、やさしいご主人でよかったです。」
康「まあ、そうだね。あいつ、普段はもっとムカつくヤツなんだけど、なんだかんだで僕もあいつからアトリエを借りてるしね」
治子「アトリエですか?」
康「そう。僕の家は狭いアパートだから。場所が足りなくてさ。」
治子「なるほど……私てっきり、先輩は東京にいるものだと思い込んでました。」
康「一時期はそうだったけどね。あそこ、例の東京大震災でほとんどやられちゃっただろ? だから、仕事場もなくなっちゃってさ。」
治子「ああ、なるほど。たしかにひどかったですからね。あの震災は。」
康「あの時は、ホントびっくりしたよ。グラグラァ~っと揺れてさ。それで数分すると津波がやってきて、一気にさらわれたからね。もう、何もかもが奪われちまった。」
治子「……先輩の地元は、この辺なんですか?」
康「ああ、そうだよ。」
治子「そうですか。本当に、いい所ですよね。自然が豊かで、うらやましいです。」
康「そう? そう言ってもらえれば何となく嬉しいけど。逆に言えば、それしか取り柄のない所なんだよな。この辺の村は。」
治子「そうですか? 私はそうは思いませんが。」

少しの間。

治子「先輩には、ああいう優しい人がいるんですね。」
康「泰三のこと?」
治子「はい。」
康「あいつの場合は、優しいっていうか。まあ優しいのかな。こっちも世話になってるから。」
治子「先輩は、この仕事をして何年になるんですか?」
康「まあ、3年目になるのかな。この仕事を始めてからは。」
治子「そうですか。」
康「君は、てっきり店の看板娘として大忙しの日々を送ってると思ってたけど。」
治子「はい、ちょっと前まではそうだったんですが。」
康「何かあったのかい?」
治子「……ある時、急にお客さんが減ったんです。はじめはまだよかったんですが、だんだん赤字続きになってしまって、それで生計が立たなくなっちゃって。」
康「そうか……君の所にも、不況の波がやってきたんだね。」
治子「はい。」

少しの間。

康「それにしても、あそこからここまで来たのには苦労したでしょ。」
治子「はい。長い道のりでした。」
康「そうだよね。だってここから市街地まで、自転車でも三十分はかかるからね。」
治子「そうですね。」
康「本当に、よく生きてたね。」
治子「いえ。案外強いものですよ、人間の体っていうのは。」
康「そうなの?」
治子「はい。三日三晩何も食べなかった日も、結構ありましたから。」
康「そう。それは辛かったね。」
治子「たしかに、そうですね。でも、水さえあれば、何とかなるものです。ただ、これだけたくさん野菜が植えられてると、どうも食欲が抑えきれなくて。」
康「そりゃそうだよ。人ってのは、食わなきゃ生きていけないんだから。」
治子「でも、不思議ですよね。商店街にいた時は、生野菜のキュウリやパプリカは嫌いだったのに、お腹が減っていると美味しく感じるんですから。」
康「たしかに、そうだよね。とても不思議だ、人間ってのは。」

康、部屋の奥へ行き、お茶の入ったペットボトルとカメラ、
そして一枚の絵を持ってくる。

治子「何ですか、それ。」
康「これ? これは僕の描いた絵だよ。これからアップする、サンプル作品。お茶はいる?」
治子「はい、じゃあせっかくなので。」
康「わかった。ちょっと待っててね。」

康、再び部屋の奥へ入り、コップを持ってくる。
そしてコップの一つにお茶を注ぎ、治子に手渡す。

治子「きれいな絵ですね。」
康「そうかい? 僕にとってはまだまだ未熟な絵だよ。見てごらんよ。こんな形の鳥、実際に見たことあるかい? これはね、僕の勝手な都合でデフォルメさせた描写なんだよ。」
治子「でも私にとっては、そこが先輩のいい所だと思うんですけど……」
康「こんな絵なんて、ネット上では腐るほどたくさんあるよ。デフォルメなんてよくある手法だし、上にはもっと上がいるんだ。」
治子「そうなんですね。でも、先輩だって元イラストレーターなんですから、自信をもっていいと思います。」
康「ありがとね、石島さん……。そう言ってもらえると嬉しいよ。」

康、絵にカメラの焦点を合わせて撮影する。

治子「……本当に、いい絵なんですけどね。」
康「まあ、それだけ厳しいってことさ。イラストで食っていくというのは。」
治子「そうなんですね……」
康「……石島さんもあれから描いてるの、絵を?」
治子「はい。趣味で続けてます。先輩の絵ほどのクオリティーではないですけど。」
康「いや、君の絵はかなりレベルが高いよ。」
治子「そんな。」
康「いいや、ホントだよ。構図とかデッサン力とか、色彩までセンスが良くて、君こそプロになってもおかしくないぐらいだと思ってる。」
治子「そんな、私は先輩ほどじゃないですよ。」
康「プロとアマの境界なんて、仕事としてやるか趣味としてやるかの違いだけさ。元プロの僕から見ても、君の絵は、プロの域にある絵だよ。そう確信するね。」
治子「そうですか……ありがとうございます。」
康「やっぱり、絵というのはいいよね。」
治子「そうですね。いい気分転換になりますし。」
康「うん。(自分の絵を眺めながら)……やっぱり、プロとして活躍したいなあ。」
治子「きっとできますよ。先輩だったら。」
康「だといいんだけど。」
治子「できますよ。先輩は以前、イラストレーターとして仕事してたのですから。」
康「まあ、たしかにね。でも、今は違うから。」
治子「……先輩はどうして、今の仕事に変えたんですか?」
康「え?」
治子「イラストレーターのままでいればよかったじゃないですか。そんなにプロとして活躍したいのでしたら。」
康「それができたら苦労しないよ。」
治子「どういう意味ですか?」
康「僕の所属していた会社のオフィス、津波で流されたんだよ。丸ごと。あの東京大震災で。ひどかっただろ? あの震災は。」
治子「そうでしたね。私、テレビで見たんですけど、たしかにひどかったです。特にあの津波は、本当にひどかったです。」
康「うん。あれから僕は、もう東京の、ああいうオフィスで仕事するのはやめることにしたんだ。」
治子「そうですよね。あんなに被害に遭われたんですから。」
康「それもそうだけど、他にも理由があるんだ。」
治子「え? どんな理由なんですか?」
康「限界を感じたからんだ。イラストレーターとしての。」
治子「限界を感じた?」
康「うん。イラストレーターはスピードが命の世界でね。一週間で仕上げてほしいと言われる時もあれば、2日で納品させられる時もあるんだ。」
治子「へえ、そうなんですね……」
康「うん。だから一つ一つの作品にこだわりが持てないというか、ただの作業になっちゃってるんだよ。」
治子「それが、イラストレーターの世界なんですね。」
康「ああ、そうだよ。」
治子「そう考えると、イラストを仕事にするのも相当大変なんですね。」
康「そうなんだよ。画家だったら、普通ゆっくりと作品に取り組みたくなるだろ? 2年とか、3年とか。それに、自分のテイストも出したくなる。でもイラストレーターの世界では、クライアントの求める世界観や要望に応えなくちゃいけないんだ。それは一見当たり前のことなんだけど、いざ現場に立つと、それがプレッシャーになってね。」
治子「なるほど。それでやめられたんですか。」
康「そう。だから、今はイラストレーターを諦めて、もっと純粋な、芸術の世界に踏み込んでるんだ。」
治子「なるほど。それでインターネットで売ってるんですね、先輩の作品。」
康「ああ、そうだよ。」
治子「ハイテクですね。やっぱり、売れるんですか?」
康「いいや、なかなか。」
治子「そうですか……」
康「売れるとしても、ごくたまにだよ。病院とか金持ちとかがほとんど。絵は一枚最低4~5万にはしてるんだけど、画材や手数料を差し引けば、大した収入にはならない。副業であるこのパートの仕事の方が、よっぽどか稼げるよ。」
治子「なるほど、そうなんですね。」
康「とはいっても、やっぱり、こういう畑仕事をしながら自由に作品を描くのって、いいもんだよ。」
治子「そうですよね。その楽しさが、先輩の絵にも反映されてますよ。」
康「わかる?」
治子「はい。高校の時よりも、とてもタッチが鮮やかになってます。」
康「そうか……。まあ、あの頃の僕は暗めの作品が好きだったからね。」

康、再び自分の絵を見つめる。

康「この絵が、フランスにまで届くといいのにな。」
治子「フランスですか。夢が大きいですね。」
康「夢は大きくなくちゃ。人生は一度きりなんだから。」
治子「そうですよね……」

少しの間。
立ち上がる康。

康「さてと。ちょっとパソコンで確認するかな。」
治子「確認って、絵の売れ行きをですか?」
康「売れ行きというか、仕事の依頼のメールだね。」
治子「メール?」
康「そう。僕、そういうのも受け付けてるから。」
治子「ああ、そうなんですね。」
康「うん。さて、今日はどうかな?」

康、部屋の奥へ行ってノートパソコンを持ってくる。

康「仕事の依頼、来てるといいんだけどなぁ。」
治子「来る時もあるんですか?」
康「ああ、あるよ。ま、たまになんだけどね。」
治子「すごい。さすが先輩です。」
康「まあ、これでも元イラストレーターだから。」

康、パソコンの画面を見てぎょっとする。

治子「どうかしたんですか、先輩。」
康「いや。またいつものメールが来たと思ってさ。」
治子「と言いますと?」
康「迷惑メールだよ。」
治子「迷惑メール? よく来るんですか、先輩のパソコンに。」
康「まあね。ネット上で、アドレスを公開してるものだから。よくこういうのが来るんだよね。」

康、治子にパソコンの画面を見せる。

治子「(パソコンの画面を見るなり)うわあ。何ですか、これ。」
康「僕もよくわからないから、結構翻訳ツールにかけて確認するんだけど、なんか金銭の要求をするものがほとんどでさ。」
治子「架空請求ですか。」
康「そうだね。海外ではよくある手口だよ。」
治子「困ったもんですね。」
康「ああ、ホントにね。」

康、再びパソコンの画面を自分の方に戻す。

康「……あれ? これは少し違うみたいだぞ?」
治子「どういう意味ですか?」
康「いつもの迷惑メールとは、微妙に違うみたい。」
治子「わかるんですか?」
康「いやぁ、ボク英語は苦手なんだけど、フランス語は読めて。見てごらん。これ、英語のメールじゃないだろ? いつも来る奴は、みんな英語で書かれてあるんだよ。」
治子「なるほど。このメール、なんて書いてあるんですか?」
康「訳してみるよ。『君の絵はとても素晴らしい。それはわが国のアーティストの発想では生まれない、名作ばかりだ。ぜひとも、私と一緒に仕事をしてはくれないか。報酬はそれ相応に用意するつもりだ。検討をお願いしたい。画家 アンドリュー・キューブリック』。」
治子「それって、つまり。」
康「仕事の依頼だよ。外国人からの。」

溶暗。

 3

舞台は前場に同じ。
泰三と治子は野菜の梱包作業をしている。

泰三「あんた、知ってるのか? その、アンドリューとかいう画家。」
治子「いえ、私もよく知らないですけど。」
泰三「無名の画家なの?」
治子「そうだと思います。少なくとも、日本ではあまり聞きませんよね。」
泰三「俺は絵には詳しくねえんだ。ダ・ヴィンチやゴッホぐらいなら、名前だけは知ってるけど。」
治子「そうですか。」
泰三「康の奴、よくそんな、見ず知らずの画家と会おうと思えたよな。」
治子「まあ、絵を描く人は多いですからね。」
泰三「そんなに多いの?」
治子「はい。絵を描くことで食べようとしている人のほかに、趣味とかアマチュアでやってる人も多いですから。」
泰三「ふうん。それじゃあ、その点では小説家の世界とよく似てるんだな。」
治子「そうですね。私、小説のことはよくわからないですが。」
泰三「ああそう。……あいつ、ちゃんと交渉できたのかなぁ。」
治子「心配ないと思います。先輩はフランス語を話せるみたいですから。」
泰三「へえ~、あいつそんなことも出来るんだ。」
治子「はい。私もびっくりしました。」
泰三「そうか。……そろそろ休憩するか?」
治子「そうですね。じゃあ、休ませてもらいます。」
泰三「よし、分かった。ちょっと待ってろよ。昼飯をつくってくるから。」
治子「はい。」

泰三、作業の手を止めて家の奥へ入っていく。
治子、ふうっとため息をつく。
康、登場。

康「お疲れさま、石島さん。」
治子「ああ、田村先輩。もう戻ってたんですね。」
康「うん。正直、もう少し向こうに居たかったぐらいだよ。」
治子「どうでしたか、交渉の方は。」
康「最高だよ。アンドリューは人がとても善くて、僕の絵に深い理解があってさ。おかげで、いい話が持ち上がってるんだ。」
治子「へえ、どんな話なんですか?」
康「それがね、とびっきりいい条件の仕事の話なんだけど。」

泰三、おにぎりとサラダを運びながら登場。

泰三「オウ、帰ってたのか。」
康「ああ、ただいま。」
泰三「お帰り。」
康「いやあ、悪かったね。忙しくなる時に外へ出ちゃって。」
泰三「いいよ。お前のだって立派な仕事の用なんだから。」
康「それもそうだけど。大丈夫だったの、畑の方は。」
泰三「ああ、順調だったよ。治子ちゃんのおかげで結構はかどってさ。」
康「治子ちゃんって……」
泰三「悪いかよ。」
康「いや、本人がいいならいいけど。」
泰三「別にいいよな、『治子ちゃん』って呼んで。」
治子「ええ、私はかまいませんが。」
康「そう。」
泰三「さ、飯ができてるから、はよ食おうぜ。」
康「ああ、そう。それじゃあ、いただきます。」
治子「いただきます。」

食事を始める一同。

泰三「で、どうだったの。」
康「え?」
泰三「仕事だよ、仕事。海外の画家と会ったんだろ?」
康「ああ」
泰三「どうだったんだよ。そっちの方は。」
康「ああ、それがね。」
泰三「うん。」
康「とてもいい条件の契約ができたんだ。」
泰三「へえ、そりゃよかったじゃねえか。」
康「うん。」
泰三「で、どんな契約なの。」
康「それがね。」
泰三「うん。」
康「僕、彼とフランスでアートプロジェクトをやることになったんだ。」
泰三「アートプロジェクト。フランスで?」
康「ああ。報酬は日本円でざっと400万。交通費とか食費とかの経費は、別で支払ってくれるんだ」
治子「へえ、すごいじゃないですか!」
康「でしょう? だから僕も跳んで喜んじゃって」
治子「やっと、夢が叶ったんですね」
康「ああ」
泰三「……。」
康「どうした、泰三。」
泰三「いや、何というか。まあ、いい条件の契約ではあるよな」
康「でしょ?」
泰三「ただな。一つ、余計な心配であることを承知のうえで話すけど、気がかりなことがあって」
康「なに?」
泰三「その、海外で仕事をするのはいいんだけど、場所が、よりによってあのフランスなのが引っかかってさ」
康「どうして?」
泰三「だってお前、最近テロ被害に結構遭ってる国だし、それに寒波にまで見舞われてんだぞ?」
康「それはそうだけど、以前と今はもう違うだろ」
泰三「そうとも言い切れねえよ」
康「どういうこと?」
泰三「たしかに、テロ組織の親玉は、以前よりは弱まってるさ。けど、それでもテロは起き続けてるんだ。それに、あそこはどんどん寒冷化してるっていう話だ。また寒波が来るのも時間の問題だぞ」
治子「そんな。」
泰三「だから、悪いことは言わねえから、フランスへ行くのはやめときな。せっかくの仕事ではあるけど、あまりにも危険だ。命だけは替えられねえから。」
康「でも、アンドリューは待ってくれてるんだ」
泰三「気持ちはわかるさ。けど、こればかりはやめといた方がいいぞ、康。」
康「……アンドリューは、どうしてあの遠いフランスから東京へとやってきてくれたと思う? 4年前に起きた東京大震災からの復興のために、わざわざ来てくれたからなんだよ。アンドリューは、自分のことを後において、僕たち日本人のために心の復興をさせようとして、はるばるフランスから来てくれてたんだ。それを思うと僕は、彼に、彼の故郷に恩返しをせずにはいられなくてたまらないんだ。」
泰三「だからといって、どうしてお前がフランスへ行く必要があるんだよ。ヨーロッパの街中はただでさえ危なくなってるのに、フランスはさらに寒冷化して、氷漬けにまでなったんだぞ? そんな危険なところへわざわざ行く必要が、どうしてあるってんだ。康。悪いことは言わねえから、他の道を探ったほうがいい」
康「いいや、それはできない。」
泰三「康。」
康「アンドリューが、僕を待ってくれてるんだ」
泰三「……分かった。気持ちは、よく分かった。けどな、康。そのアンドリューって奴は、お前とどういう関係なんだよ。親友か? 兄弟か? いや、違うだろ。血もつながってないし、縁もゆかりもない、赤の他人じゃねえか。どうしてお前は、ネットで知り合ったその赤の他人に、そんなことができるんだ?」
康「……。」
泰三「お前がフランスに思い入れがあるのは分かるし、恩返ししたい気持ちも分かる。けどな、もう少し現実を見るべきだ。あんなに危なっかしい土地に踏み入れる必要が、本当にあるのか? 自分の命を犠牲にしてまで、向こうの人達は求めてはいないだろ」
康「でも、少なくともアンドリューは、僕を求めてる」
泰三「それはそうかもしれないけどよ」
康「なんでそんなに心配するんだよ。」
泰三「そりゃ心配するだろ。」
康「でもなんで。僕と君は赤の他人じゃないか」
泰三「……いつだったかな。俺の親友で、戦場カメラマンになったヤツがいてさ。」
康「親友?」
泰三「そう。そいつも戦場の危険地帯へ行くって言い張って、俺の話を聞かなかったんだよ。」
康「それって、まさかあのニュースで話題になった、あの処刑された人のこと?」
泰三「そうだよ。あいつは、俺の高校の時の同級生なんだよ。」
康「知らなかった。泰三、あの人と知り合いだったんだ」
泰三「さすがに、ニュースに疎いお前でも知ってたか。」
康「当たり前だよ。あれはネットでも大見出しの記事になったぐらいだから。」
泰三「まあ、そうだよな。それだったら、お前も大体わかるだろ? ああやって、友人に先立たれる人間の気持ちをさ。俺はあの時、後悔したんだよ。なんであいつを止めてやることができなかったんだろうって。あの時は、俺はあいつの人生なんだから仕方がないかと思っちまった。けど、それは間違いだったんだ。友人なら友人らしく、お節介といわれようが、もっと気にかけるべきだったんだ。だから俺は決めてたんだ。もう二度と、ああいう過ちはしないって」
康「……。」
泰三「康、夢を追いかけたい気持ちはわかる。けど、こればかりは本当に、やめた方がいい。何が起こる変わらない。諦めた方がいいぞ。」
康「……泰三が心配してくれるのは嬉しいけど、僕には僕の役割があるんだ。」
治子「先輩。」
泰三「役割だと? お前、何思い上がったことを言ってるんだよ」
康「君には分からないんだよ、アートの必要性が」
泰三「たしかに、俺はお前ほど芸術のことをよくは知らねえよ。けど、命の大切さぐらい心得てら。」
康「僕はフランスへ行きたいんだ。」
泰三「お前が行ったところでどうなるってもんじゃねえだろ」
康「君が何と言おうと僕は行くよ。アンドリューが、フランスが僕を待ってるんだ!」
泰三「バカ言ってんじゃねえよ! お前の絵なんかで、本当にフランスが復興するとでも思ってるのか!?」
康「ああ、思ってるさ! たとえ小さくたって、僕の絵で貢献できる自信ぐらい持ってるよ」
泰三「そういうのを『思い上がり』っていうんだよ!」
康「思い上がってなんかない!」
泰三「自分ではわからないだけだ」
康「……泰三。こういう話を、聞いたことないか? 日本人はボランティア精神がなくて、心が冷たいっていう話。」
泰三「心が冷たい? 俺たち日本人が?」
康「ああ。貧しい国に対して、欧米の大富豪をはじめとして、ビジネス界のトップクラスだけじゃなくて、普通の一般市民でさえも、みんなで力を合わせて、たくさんの寄付金をおくるのが当たり前になってるんだ。『寄付は美徳だ』とさえ言われてる。国によっては、そういう類の法律も確立されてるんだ、って、アンドリューから聞いたよ。それに対して日本はどうだよ。寄付の文化は根付いてないし、お願いしても、誰も力を貸してくれないことは当たり前らしい。そんな状況で、僕がアンドリューの願いを断ったら、いったい誰が、フランスの復興を助けるんだよ」
泰三「さあね……もっと著名で金持ちな人がやるんじゃねえの?」
康「それだよ。そういう無責任な気持ちが、向こうにとっては冷たく感じるんだよ。」
泰三「だったらなんだ? お前、本気であのフランスへ行く気なのか?」
康「ああ、そうだよ」
泰三「寒波で凍死するかもしれないんだぞ。テロで爆死する可能性だってあるんだぞ?」
康「覚悟のうえだよ。それでも行かなきゃいけないんだ」
泰三「どうして。」
康「アンドリューが、僕を待ってくれてるからだよ」
泰三「これじゃ堂々巡りじゃねえか。いいか? 何度も言うけど、今のフランスは、とっても危険なんだぞ?」
康「わかってるよ」
泰三「命を捨ててまで行くっていうのか?」
康「捨てるんじゃない、命を懸けて行くんだよ。フランスの人々だって同じ境遇なのだから」
泰三「お前なぁ~」
治子「先輩。本当に行っちゃうんですか? フランスに。」
康「ああ、そのつもりだよ。」
治子「すごいです……本当に、すごいです。先輩が芸術に命を懸けてること自体が、私にとってはすごいと思います。けど……私、こんなことを先輩に言うのは酷かもしれないんですけど。……もっと、先輩のそばにいたいです。もっと、先輩と一緒に畑耕したり、野菜育てたり、もっといろんな話を聞きたいんです。」
康「石島さん……」
治子「先輩。先輩の夢は、フランスへ行って、芸術で貢献することなのは分かってます。けど、私、どうしても言いたいんです。……行かないでください。」
康「え?」
治子「行かないでください。フランスへ行かないでください! 寂しいんです。私にはもう、父や母とも離れ離れになって、頼れる人がいなんです。お願いですから、一緒にいてください。一緒に、ここで生きてください。だって私、私……」
康「石島さん……」
治子「先輩がいないと、生きていけないんです!」
康「……。」
泰三「……。」
治子「先輩。」
康「少し、考えさせてほしい。」
治子「先輩」
康「考えさせてほしいんだ。」
治子「……。」

康、食事を終えて手を合わせた後に、食器をもって台所へ去っていく。

泰三「治子ちゃん、泰三のこと、好きだったんだ。」
治子「……はい。」
泰三「そっか。」
治子「すいません。」
泰三「なにが?」
治子「出しゃばったことをしてしまって、すいません」
泰三「いや。あんたはそれでいいと思うよ。うん。それでいいんだよ」
治子「でも……」
泰三「『でも』、何?」
治子「先輩には、本当に申し訳ないことをしました。」
泰三「何を言うんだよ、あんた」
治子「だって、先輩の夢を阻んでるじゃないですか」
泰三「……。」

少しの間。

泰三「でも、あいつも嬉しいんじゃないか」
治子「え?」
泰三「女性に告白されて、イヤな気分になる男なんていねえよ。多分あいつのことだから、真剣に考えてくれてると思うぜ?」
治子「それなら、嬉しいんですけど……」
泰三「あんたはよくやったよ。今度は、あいつが決断する番だ」
治子「……そうですね。」

舞台袖から、外国人・アンドリュー・キューブリック登場。
アンドリューはタブレットを手にし、肩には荷物を担いでいる。
アンドリュー、玄関に近寄っていく。

アンドリュー「あのう、こんにちは。誰かいませんか」
泰三「ああ、はあい。(玄関の方へ歩いていって)おや、外人さん? 珍しいな。こんにちは。どうかされたんですか?」
アンドリュー「道をお尋ねしたいんですが。名取十三番地はどちらになるでしょうか。」
泰三「名取十三番地?」
アンドリュー「はい。」
泰三「それでしたら、この家がそうですが。」
アンドリュー「オウ、そうでしたか。では、ここがアーティスト・タムラのアトリエなんですか?」
泰三「アトリエ? アーティスト・タムラって……」
アンドリュー「違うのですか?」
泰三「ええ。少なくとも、ここはアトリエではないんですが。」
アンドリュー「おかしいですねぇ~。たしかにネットでは、ここが問い合わせ先の住所になってるんですが。」
泰三「はい? 何のことですか。」
アンドリュー「(タブレットの画面を見せて)これです。」
泰三「(その画面をじっと見つめて)田村康、アーティスト。問い合わせ先……あの野郎! 勝手にここの住所を載せるなよ!」
アンドリュー「タムラさんはここにいるって伺ってますが。」
泰三「え、まあ。たしかに田村はいますよ。田村康のことですよね」
アンドリュー「そうです。」
泰三「あの、失礼ですが……あなたはいったい、どちら様で?」
アンドリュー「アンドリュー・キューブリックと申します。東京を拠点にして、アマチュアで絵画を手がけています」
泰三「アンドリュー・キューブリック? ああ、あなたが。」
アンドリュー「ご存じなんですか?」
泰三「ええ。康から話はかねがね伺っています。ようこそ、遠渡はるばるこんな田舎町へ。」
アンドリュー「いえいえ、とんでもない。とても緑があふれた、美しい村ではないですか。もう、絵のモチーフにしたいぐらいです。」

治子、ひょっこりと玄関に顔を出す。

治子「どうかしましたか?」
泰三「(治子に)今、アマチュア画家のアンドリューが見えてるんだよ」
治子「ええっ? アンドリューって、田村先輩の取引先のアンドリューさんですか?」
泰三「そう、そのアンドリューだよ。」
治子「東京からわざわざ来たんですか?」
泰三「そうらしい。」
アンドリュー「(泰三に)タムラは今いますか?」
泰三「ええ、今いますが。」
アンドリュー「彼に会わせてもらえませんか。話がしたいのです。」
泰三「え、ええ。分かりました。」

泰三、部屋の奥へ入っていく。

泰三「お~い、康。お客さんだぞ。例のアマチュア画家の、アンドリューさんが見えてるぞ。」
康「え? ホントに?」
泰三「ああ。どうしてだかわからないけど、東京からいきなり訪ねてきたんだと。」

康、登場。
彼は喜々としてアンドリューに近寄っていく。

康「オウ、アンドリュー!」
アンドリュー「おお、タムラー!」

康とアンドリュー、互いに抱擁しあう。

康「こんなところまで来てくれてたのか」
アンドリュー「もちろんヨ。あなたのことを思うとじっとしてられなくて。皆、あなたを待ってるんだヨ。」
康「いやぁ、そんな大げさな」
アンドリュー「いいや、大げさなんかじゃない。フランスの皆は、あなたの描く絵を待ってる。もう、一日でも早くあなたとアートプロジェクトを展開したいほどだヨ。」
康「いや、それが……」
アンドリュー「あれ? OKじゃなかったの、タムラ。」
康「いや、その、何というか……僕はOK、大歓迎なんだ。けど、ちょっと事情があって……」
アンドリュー「ジジョー?」
康「そう。紹介するよ。山宮泰三。僕を雇ってくれてる人だ」
泰三「どうも。」
アンドリュー「雇っている? 何で。」
康「僕が彼の畑を耕したり、収穫したりするんだ。」
アンドリュー「畑を? タムラ、畑を耕すの?」
康「そう。パートタイムでね。」
アンドリュー「なるほど。」
康「率直に言うと、雇い主の彼が許してくれないんだ。」
アンドリュー「なんで?」
泰三「おい、康。それは語弊があるぞ」
康「でも、実質そういうもんじゃないか」
泰三「それはそうかもしれないけどよ」
アンドリュー「なんでタムラの自由を奪うの? それはタムラの権利でしょう」
康「そうだよ。たしかにそうなんだけど……」
アンドリュー「人生は自由なはずでしょ? どうしてそれを主張しないの」
康「いや、そうなんだけど……」
アンドリュー「何か理由があるの?」
康「いや、それが……」
アンドリュー「うん。」
康「……理由は話せない。けど、僕……フランスへ行けなくなったんだ」
アンドリュー「え、そんな。」
康「申し訳ない。一度引き受けた依頼なのに、こうしていきなり断っちゃって。本当に、すまない!」
アンドリュー「タムラ……」

アンドリュー、康の手を取る。

アンドリュー「タムラ。私たちの地は今、凍えてしまっているのです。それはフランスの国土だけじゃない。フランス人の心さえも凍えてしまっているのです。タムラ。どうか私たちを助けてほしい。あなたの持つ芸術の力で、助けてほしいのです。それ相応の報酬は払います。足りないのならもっと出します。だからタムラ、お願いだ。私のこの願いを、聞き入れてはくれませんか。」
康「いや……できれば聞き入れたいよ。君たちのために尽くしたいよ。けど……(泰三に向かって、小声で)ああ、どうしよう~」
泰三「(小声で)どうしようって、いきなり俺に振るなよ」
康「だって、そもそも止めてるのは君じゃないか」
泰三「止めてるというか、俺はお前を心配してのことだよ」
康「どっちだって同じことじゃないか。」
泰三「いや、違うだろ。」
康「とにかく、そういうのをアンドリューに説明ができないから、君が説明してくれよ」
泰三「は? 何で俺が。」
康「僕はフランスに行きたいんだよ。それを君が……」
泰三「わかった。わかったよ。」

泰三、アンドリューの前に立つ。

泰三「え、えー。アンドリューさん、とか言ったね。あなたの気持ち、しかと受け取りました。しかし、うちの康を危険な所へ連れて行かすわけにはいかんのですよ」
康「『うちの康』って。」
泰三「なんだよ、文句あるのか」
康「いや、別に。」
アンドリュー「危険? フランスがですか?」
泰三「そうです。その、今のフランスは大変きな臭い。」
アンドリュー「え、きな粉臭い?」
泰三「いや、きな粉臭いじゃなくて、きな臭い。きな臭いというのはつまり、戦争やテロなどで危なっかしいってことです。それに加えて、あの寒波による冷害もあったじゃないですか。おかげで船や飛行機はもちろん、鉄道や車もほとんど止まったと聞いてます。その、フランスはここ数年、ずっとテロに遭ってますよね? そんな危険な状況の中で、こいつ(康のこと)をただ見送るわけには、いかないんですよ。」
アンドリュー「……それは、たしかにそうでしょう。リスクが伴うのは否めません。しかし、どうか私たちの身にもなってほしい。私たちは今、ご存知のように危機的状況なのです。テロに何度も遭って、寒波も受けた。かつては芸術の都と言われていたパリも、今では一流アーティストはもちろん、その卵でさえもいなくなってしまいました。ですが、そんな時こそ、タムラのような、心あるアーティストが必要なんです。タムラのような人がいないと、この悲惨な状況はどうしても変えられない。」
泰三「お気持ちはよくわかります。ですが、なんでよりによって康なんですか?」
アンドリュー「他のアーティストにも広く声をかけてはいるんです。ですが、ほとんどの日本アーティストは、安定ばかり求めて、動こうとしてくれない。助けてくれないんです。日本人は、本当に心が冷たい。けどそんな中で、タムラは快く引き受けてくれました。私のわずかな報酬に快くうなずいてくれて、彼は他の日本人と違って、金の亡者なんかじゃないことに、強く感激したんです。」
泰三「……。」
アンドリュー「ご主人さん、どうかあなたの部下・タムラを、しばらく私のところに預けてはくれませんか。私たちには、どうしてもタムラが必要なんです。お願いします。どうか、お願いします!」

アンドリュー、泰三の手を強く握る。
沈黙。

泰三「(治子に向かって)どうしよう……」
治子「え、どうしようって言われても……」
泰三「まあ、困るか」
アンドリュー「どうなんですか? いいのですか? それとも、やっぱりダメですか?」
泰三「いや、その……まあ、結局は康の人生ですから、無理に止めはしません。ですが、これは雇い主以前に、親友として心配なんですよ。テロにしろ、寒波にしろ、そういう対策の方はしっかりしてるんでしょうか。」
アンドリュー「それはもちろん、出来る限りのことは尽くしています。たしかに、フランス全体の治安はまだまだ良くはありません。ですが、私の家には専属のボディーガードがついています。彼らが、タムラをしっかりと守ってくれるでしょう。それだけじゃありません。最近はAIを取り入れて、テロ対策をしっかりと取ってます。」
泰三「AI? 人工知能ですか」
アンドリュー「そうです。まだ市販されてない、わが社のオリジナルなんです。」
泰三「へえ、アンドリューさんの会社って、AIを開発してる会社なんですね」
アンドリュー「そうです。」
泰三「そのAIが、どうやってテロ対策をするんですか?」
アンドリュー「防犯カメラに表情を認識させるんです。その表情から、犯罪を犯す人を前もってキャッチして、ボディーガードのインカムに情報を発信します。それで、少しでもテロを起こそうとすれば、すぐ捕まえられるんです。」
泰三「そんなのがあるんですか、今時。」
アンドリュー「はい。現にアメリカでは、テロを前もって防ぐことに成功しています。」
泰三「ほう、それはすごいな……」
アンドリュー「はい。ですからどうか、安心してください。私たちは決して、タムラを見殺しにはしません。」
泰三「なるほど。テロ対策については、たしかに納得いきました。でも、たとえば寒波の時の食糧対策はどうする気なんですか? 一時期こちらのニュースでも、大きく話題になりましたが。」
アンドリュー「それについては、ご安心ください。それもバッチリです。最近アメリカでは、一つの分子から肉やパンをつくる電子レンジが発明されて、いまフランスにも広く普及が始まっているところです。」
泰三「え? そんなのもあるんですか?」
アンドリュー「はい。いわゆる、3Dプリンターの応用ですね」
泰三「なるほど。でも、まるでSFみたいな話だ」
アンドリュー「今ではもう、そういう嘘みたいな技術はたくさんあるんです。ただ、少し前までは注目がされてなかっただけです。」
泰三「なるほどな……」
アンドリュー「どうですか。これで私たちを、信用してもらえましたか?」
泰三「ええ、まあ、そこまで準備ができてたら……」
アンドリュー「では、タムラをフランスに、連れて行っていいんですか?」
泰三「……まあ、俺はコイツの親でも、兄弟でもないですからね」
康「泰三。」
泰三「康。お前、どうしても行きたいのか?」
康「え?」
泰三「どうしても行きたいのかって聞いてんだよ。フランスに。」
康「……ああ。行きたい。フランスへ行って、現地の人に大きく貢献したい。どんなに危険な土地だったとしても、僕は行きたい。僕の作品で、フランスの人の心が救われるのなら。」
泰三「そう……。だったら、止めねえよ。行って来いよ、フランスへ。」
康「……ああ。わかった!」
アンドリュー「タムラ!」

再び抱きしめあうアンドリューと康。

康「アンドリュー、これで決まりだ。早速荷造りをしてくるよ。」
アンドリュー「わかった。これからもよろしく頼むよ、タムラ」
康「こちらこそ、アンドリュー。また向こうで会おう。」
アンドリュー「ありがとう。ありがとう!」
泰三「アンドリューさん、康を頼みましたよ。」
アンドリュー「ええ、もちろん! 彼を、命がけでお守りします。」
康「それじゃあアンドリュー、また向こうで。」
アンドリュー「はい。東京で、待ってるからね!」
康「うん。」
アンドリュー「それじゃあ、お邪魔しました。」

アンドリュー、退場。

康「泰三、それじゃあ俺、ちょっと荷造りをしてくるよ」

泰三、康をじっと見つめめる。

康「……泰三? どうした?」
泰三「気をつけて行って来いよ」
康「え?」
泰三「気をつけて、行って来いよ! 活躍しろよ! フランスで!」
康「……ああ。」

暗転。

 5

舞台は前場に同じ。
泰三と治子はゆったりとお茶を飲んでいる。

治子「田村先輩、本当にすごいです。自分の夢を叶えたんですから」
泰三「ああ、そうだな。でも、本当に大変なのはこれからだろうな。」
治子「それは、そうでしょうけど……でも、自分の気持ちに素直になって生きていくのって、なんだかすごいです。」
泰三「まあな。」
治子「田村先輩の親御さん、今の田村先輩を見たらさぞ嬉しいでしょうね。」
泰三「そうだな。今は離ればなれだもんな。」
治子「田村先輩の親御さんって、何をしてる方なんですか?」
泰三「二人とも、自衛隊に務めてるんだよ。」
治子「自衛隊ですか?」
泰三「ああ。」
治子「それはすごいですね……」
泰三「ほんとにな。特に今では、国際的に大変な状況だからな」
治子「そうですよね。テロの過激派組織と戦うのが必死ですからね」
泰三「いやあ、それもそうだけど、それだけじゃないんだ。」
治子「どういう意味ですか?」
泰三「今、中東の方ではいつまでも戦争が続いているんだ。」
治子「ああ、確かに、そう聞きますけど。」
泰三「あそこは、もう第二次世界大戦以後からずっと続いてて、もう取り返しのつかない状況になってるんだ。」
治子「と言いますと?」
泰三「彼らは、自分の故郷を焼け野原にされて、互いに民族差別もしていって、永遠の復讐の連鎖が続いてばかりいるんだ。いま日本の自衛隊が中東へ行っているのは、そういう復讐の連鎖をなくすためなんだよ。」
治子「復讐、ですか。」
泰三「ああ。」
治子「泰三さん、詳しいんですね」
泰三「まあ、元・作家志望だったからな」
治子「なるほど。……そういうのって、自力で止めることはできないのでしょうか。」
泰三「そういうのって、戦争のことか。」
治子「はい。」
泰三「それは、なかなか難しいと思うよ。」
治子「どうしてですか?」
泰三「中東の子供たちは、まともな教育を受けることができてないからさ。先進国の慈善団体が少しずつ援助をしてはいるものの、まだまだ課題は多いのさ。戦争をしている大人の後ろ姿を見れば、どんな子供だって影響を受けずにはいられないんだよ。今でも、こうして日本が平和に暮らしている一方で、子供たちは銃を抱えて、毎日怯えながら暮らしてる国や地域もあるんだってさ。」
治子「そんな、かわいそう……」
泰三「ほんとにな。これじゃいつまで経っても戦争は終わらないわけだよ。」
治子「そんな。」
泰三「康の親御さんは、ホント大変な仕事をしてると思うよ。」
治子「そうですね。……人って、なぜ争いをするんでしょうね。」
泰三「まあ、端的に言えば、自分の欲から起きることが多いらしいぜ。」
治子「自分の欲ですか?」
泰三「そう。たとえば、中東で石油が掘り出されると、その利権をめぐって口論になるんだよ。でも結局は、強い国が武力でもって、その利権を搾取するんだ。そういう争いから火がついて、規模はどんどん大きくなって、戦争とか紛争になっていくってわけさ。」
治子「ひどい話ですね……」
泰三「ほんとにな。でも、これが現実なんだ。」
治子「……人の欲って、そんなに抑えられないものなのでしょうか。」
泰三「まあ、難しいと思うな。」
治子「そうですか。」
泰三「向こうの国は、日本とは事情が違いすぎるんだ。きれいな水もまともにないし、雨もなかなか降らない。そのおかげで彼らが手に入れられるのはせいぜい化石燃料か宝石だけだ。まあ、地域によっては野菜や果物は育つだろうけど、そんなのは金にかえたら大したことはない。人は結局、金がないと生きていけないからさ」
治子「お金がないと生きていけない、ですか。それは、たしかにそうですよね。私もこういう立場になって、しみじみと感じます。今までの生活がいかに恵まれてたのかが。」
泰三「そうだよな。特にあんたの場合は、俺よりもつらい思いをたくさんしただろうにな。」
治子「まあ、今はこうしてご飯を頂いてるので、まだいい方です。ですが、父の方がよっぽど大変だと思います。」
泰三「そう、だよな……まあ、でも、日本はまだ恵まれてるよ。中東のように、銃弾が飛んでくるわけじゃないし、まともな仕事も探せば見つかるし。あんたんとこのお父さんも、きっと無事に仕事を見つけて、次の人生を歩んでると思うぜ。」
治子「そうだといいんですが。」
泰三「きっとそうだよ。そうに決まってる。」
治子「……だと、いいですね。」

間。
泰三、食事をやめて向こうを見つめる。

泰三「あれ、あそこにいるのは康じゃないか?」
治子「え? あ、ほんとだ。田村先輩ですね。」
泰三「まだここにいたのかよ。あれ? こっちに来るぞ。」

康、荷物を持って登場。

泰三「なんだよ。寂しくなったのか?」
康「そんなんじゃないよ。今まで世話になったから、挨拶に来たんだよ」
泰三「いいよ。そんな挨拶なんて。」
康「いや。君のおかげで、ここまでやって来られたんだ。本当に、ありがとう。」
泰三「……お、おう。向こうへ行っても、達者に暮らせよ」
康「うん。」
治子「先輩。」
康「石島さん。君と巡り合えて、本当によかった。そして、ありがとう。僕のことを思ってくれて。でも……僕は自分の使命を果たすために、フランスへ行くよ。その間、ここで見守っててくれ」
治子「……わかりました。どうか、お気をつけて。」
康「うん。ありがとう。また、いつかこの日本に戻ってきたら、その時は、ここに顔を出すから。」
治子「はい……先輩、元気でいてくださいね!」
康「うん! ……じゃあ、石島さん、行ってくるよ。」
治子「はい……」
康「(手を差し出す)」
治子「……。」
康「また、いつか会おうね。」
治子「……。」

治子、康の手を強く握る。
ゆっくりと手を離す康。

康「じゃ、そろそろ。」
治子「先輩。」
康「また、いつか会おう。」
治子「先輩!」

康、退場。
治子、康の去ったほうへ向かって大きく手を振る。
音楽。

治子「せんぱ~い! がんばってください! がんばってくださ~い!」
康の声「ありがとう! またいつかね!」
治子「はい! さようなら~!」

間。

泰三「行っちまったな。」
治子「そうですね。」
泰三「さ、俺たちは俺たちの仕事をしよう。」
治子「はい!」

泰三、治子、畑仕事に取り掛かる準備をする。
その時、治子、ふと何かに気が付いて向こうを見る。

泰三「どうした?」
治子「あそこに、人がいるんです。」
泰三「え? ……あ、ほんとだな。」
治子「なんか見覚えが……あ、お父さんだ。」
泰三「え?」
治子「あそこにいるの、私のお父さんです。」
泰三「ホントか?」
治子「はい、間違いないです。(向こうに向かって)お父さ~ん! おとうさぁ~ん!」

治子、舞台を駆けて去っていく。

泰三「お、おい! 待てよ!」

泰三、治子の後を追って退場。
ヒューっという飛行機の飛ぶ音。
溶暗。

                             おわり

おもに僕が代表を務めている小劇団の活動費として再投資させていただきます。 よろしくお願いします!