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わが家の子育て

「どうやったら岡本さんみたいな子育てができるのでしょう」と言われることがある。

 よくアウトドアに行って自然の中で遊ぶ。しかし重要なのは、そういういかにもいい父親ふうの活動ではなかろうとおもう。アウトドアはおれの手癖で、それに子どもがつきあっているだけだ。

 ウチの子どもはどこに旅をしてもホテルには泊めてもらえず、手近の川原でテントを張って寝るのが当たり前。旅行とはそういうものだと思っている。かわいそうなものだ。

 ヨソの家庭と違う点があるとすれば、ウチは子どもにも重要な仕事がいくつかあって、それをサボるとかなりめんどくさいことになる(おれが激怒する)という点だろう。

 ニワトリの世話、薪割り、冬は毎日ストーブを焚く、イヌの世話、庭の草刈り、梅の収穫、ダートバイクに乗りに行くなら自分で準備して片付けるとか。

 そういうことだ。たいしたことではない。だが家族で生きるための重要な一部を担っている。じつは、冒頭に話した自然遊びとからめたときに、これが豊かな意味を持ってくるのだ。

 野営(いま流行りのキャンプ場での宴会ではなく)に行くと、薪や石を集めてカマドをつくり、火の番をし、魚をさばいたり料理をしたりという、見たまますぐ参加できる仕事が増える。キャンプ道具という家財一式を運んだりテントを立てたり寝袋を広げたりという単純労働は子どもにももってこいだ。シンプルな暮らしになればなるほど、子どもでもたいへん役に立つのである。

 こうした「いま自分が役に立っている」という実感は子どもにも確実に伝わっているだろう。

 驚いたことがある。土日が各地での朝市で埋まってしまうようになったおれにかわり、ちかごろはバイクのレースに子どもを率先してカミサンが連れて行ってくれる。そんななか見ていて驚いたのが、ほとんどの父親がレースのあとに子どものバイクを洗車してやることだというのだ。

「子どもはお客様か?」。自分のバイクを自分で洗いもしないなど、ウチでは半殺しの刑である。同じバイク遊びをしていても、細部をよく見るとウチではありえないことが平気で起きている。たぶんこのへんがヨソとウチのじつは大きな違いなのだろう。

 おれがカミサンに子どもを5人(10人だったか)産んでくれといったのは、2─3人事故で死んでもゼロにはならないからだ。家族は多いほうが助け合って生き残りやすい。それだけの理由である。子ども好きとか教育がどうとか、そういう歯の浮くような理由はいっさいない。結果は年齢もあって3人で打ち止めとなったが。

 子どもを育てているとおもしろい発見もあるが、それはそれ。生存の問題とはまったく別次元の余禄である。

 すなわちまずは一緒に協力して生き残ることである。そのための迫力。それがウチの生活とヨソとのもっとも違う点ではないかと思う。学校の勉強など、あとで勝手にやればよいのだ。

 てなことを書いているおれだが、子どものころに手伝いをしたかというとぜんぜんしなかったので母にはいつもバカにされている。まったくひどい話である。

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