『本当は手放したいモノはなんだろう』

『モノという形はなくなっても、思い出は消えないんですね。』
松本明子

出典)PHP No.895 p.26
 株式会社PHP研究所

 私にとってはバラドルの印象しかなかった松本明子さんですが、最近は『実家じまい終わらせました!』というご著書があるほど、実家の処分に悩まれ、苦労をされたことで話題になっているようです。
 冒頭の言葉は、そんな松本明子さんが、PHPの中で語られたものです。
そして、『(中略)今は心も体も身軽です。』と続きます。

 実家という、親から引き継いだモノ。さらに松本さんの場合は、お父様がなくなる直前に『明子、実家を頼む』と言って、遺していったモノ。
 私もモノは捨てられずとっておくほうなので、気持ちはわかる気がします。
 また、遺されたわけではないですが、祖父の会社を継いだ者として、『自分だけのモノ』ではない『遺されたモノ』を持つ身の苦労もわかる気がします。

 松本さんの話は『実家』という、実態のあるモノについて語られていますが、実態のないモノ、例えば人間関係だとか、肩書だとか、立場だとか、そういうモノにも、同じようなことが言えるのではないかなと、そんなことを感じました。

 惰性や付き合いで参加している集まり。
 流れ上、仕方なくやっている立場。
 断ることができず、本意ではなく名乗っている肩書。

 多くの人は、いろいろな無駄なモノを背負ったり、背負わされたりして社会生活を送っているのではないかと思います。
 あまりにもたくさんの、本意ではないモノを、頭や心に抱えていると、本当にやりたいことをやるどころか、本当にやりたいことに気付く空間すらなくなってしまうのかもしれません。

 人間関係、立場、肩書、それらを含めたモノ。
 全ての無駄なモノをいきなり手放すのは難しいです、怖いと思います。
 それでも、本当に自分に必要なモノに気付くために、それを自分の中に受け入れるために、少しずつでも無駄なモノを手放していくのも一つの手段かもしれません。
 それらを手放したとしても、今までやってきたことや人間関係が無くなってしまうわけではないと思います。
 それは自分の中にも、関わった人々の中にも、きっと残っていると思います。

 『本当は手放したいモノはなんだろう』
 色々と抱え込んでしまい、なにを手放していいのか悩んでいる方。
 本当は手放したいものがあるのに、怖くて手放すことができなく悩んでいる方。
 いつでもご相談ください。

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