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【生き方学習‐役割の後ろにある人】


 今日は阪大で受け持っている授業2回目。

 しっかりと話を聴き、コミュニケーションカードにもたくさん書いてくれる学生さんへ前回、コ質問してくれた事項を丁寧に答えていると授業内容が当初のシラバスから脱線。講演や授業も回数を重ね慣れてきているので、それでも「脱線させたものはなんなのか」が不思議で授業終わりに水泳に行き、泳ぎながら振り返っていた。

  この数年は、実践が忙しいことから大学の授業は減らしてきていた。ただ、ある出来事とそれに対する思いから今期より新たに大阪大学の全学部対象の「現代差別論」の授業を受け持たせてもらうこととなった。だからこそ、思いや願いとやりがいを持ちながらかかわっている。

 今日の授業を振り返りながら、「授業を通して学生さん自身が知識だけでなく生き方を見つめ考える授業にしたいと願っているんやな」という自分の願いが見えた。それは自分を育ててくれたものを振り返る機会ともなった。

 生い立ち(ライフストーリー)を振り返ると、マイノリティ地域に生まれ、また、同和教育を通して多くの人たちの生き方と出会わせてもらってきた。地域の人をはじめ多くの人の生きざまの語りとも出会わせてもらってきたし、保育士、小中学校の先生からも「人」として向き合ってもらってきた。そこにはその人が大切にしていること、こだわっていること、願っていることという「役割」の後ろにある「人」が見え、そんな「人」と数多く出会わせてもらった。それが本当に自分の財産になっている。その後、20代前半から渡米し20年以上にわたってアメリカ先住民居留区でも「人として何を軸にしてどう生きるのか」を今も教わり続けている。

 そんな様々な生き方との出会いの経験を通して自分自身は何を大切にしてどう生きていこうとするのか?そんなことを見つめる機会となっている。

 今、「実践研究者」として実践を持ちながらも3つの大学で人権論や現代差別論などの授業を持たせてもらっているけれど、その機会を通して知識のみならず生き方を見つめる学びを届けたい。そんな願いを持っていることを気づかせてもらった。

 さて、今から今日の授業の受講生170人分のコミュニケーションカードの読み込み。

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